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なつかしの私鉄・地下鉄の車両たち




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写真

タイトル

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東武りょうもう用1800系

北千住 1990年6月

1800系は、有料急行用として1969年〜1987年に製造。1991年に一部車両で300形に改造され、他は1998年3月末までに200系・250系に代わり引退した

日立電鉄2000系

常北太田 2005年2月26日

日立電鉄は、2005年3月をもって全線路線廃止になった茨城県下の電化路線。車両は1991年秋以降、営団(現東京メトロ)銀座線2000形車体に、足回りは営団日比谷線3000系のものを再用した2000・3000系。塗装は日立オリジナル色となったが、一部往年の日立旧塗装に戻された編成もいた。以後、乗客の減少により、路線全体で本数を減らし、殆どの車両が車庫で雨ざらしになっている状態に。写真は路線廃止直前で、車両も手入れが悪く陳腐化が著しい

日立電鉄3000系

常北太田 2005年2月26日

晩年は、全般検査・重要部検査時も塗装作業は行わず、塗装の褪せや外鉄板の陳腐化が著しかった。

日立電鉄2000系 扇風機

2005年2月26日

種車の営団(現東京メトロ)2000系はファンデリアだったが、譲渡時は冷房化の計画もあった為、営団1500形用扇風機を再用し天井部の改造を実施。三菱製のグリーン羽の扇風機は、銀座線の特徴だった。譲渡後も営団マークが残ってた

方南町支線で使用した営団(現東京メトロ)丸の内線500系

中野坂上 1993年8月28日

500系は1954年にデビューした300形のマイナーチェンジ形式として、1957年にデビュー。丸の内線本線の主力車両だった。1993年初夏より、2000系の代替として方南町支線で3両で使用された車両もいた。1995年2月末以降、本線は02系に統一され、翌1996年7月、02系方南町支線仕様車に座を譲り引退。その時点で丸の内線から赤い鋼製車は姿を消した。500系の方南町支線での活躍は、僅か3年で、同線500形が営団最後の非冷房車だった。

デビュー間もない営団(現東京メトロ)東西線05系と在来5000系

西船橋 1989年4月1日

05系は5000系にかわる電子チョッパ車として、1988年11月デビュー。1993年夏に製造された車両から、IGBT素子のVVVF車となった。1999年度に、外観・室内共に大きくモデルチェンジした車両がデビューしたが、それも05系の続番扱いされてる。その後も、幾度かマイナーチェンジも経て、2004年暮まで増備が続いた。撮影時は、05系最初期車デビューから約半年で、写真左の5000系非冷房車が主力だった。

営団(現東京メトロ)5000系

原木中山 1988年8月20日

当時、東西線は8000系10連3本を半蔵門線から借用してた時期で、それ以外、5000系は全車非冷房車だった。

営団(現東京メトロ)05系ワイドドアー車

西船橋  1992年7月10日

05系第14編成はワイドドアー・VVVF制御試験車として1991年秋にデビュー。第15編成〜18編成は、従来の電子チョッパのワイドドアー車として1992年4月〜5月に新製。写真は新製直後で、前面の `WIDE DOOR` の黄色いステッカーが懐かしい。

非冷房時代の営団(現東京メトロ)6000系

海老名 1993年5月5日 

近年は、多摩線運用主体となった千代田線直通車であるが、当時は、本厚木止まりが多かった。6000系は1968年〜1990年にかけて353両新製した千代田線の主力車。1985年以前新製の車両は非冷房車だった。

千代田線北綾瀬支線用 
営団(現東京メトロ)5000系

綾瀬   1987年12月12日

綾瀬〜北綾瀬間は、1979年12月に開業し、本線とは乗り入れず5000系ステンレス車と6000系試作車の3連で運行。撮影時は非冷房時代で、同線の5000系・6000系も1994年春迄に冷房化を行った。2000年2月に5000系は、東西線で運用離脱したアルミ試作車に置き換わり、ステンレス5000系千代田線色も消滅した。

営団(現東京メトロ)半蔵門線8000系

梶ヶ谷  1989年9月15日

前面行先幕LED化前の姿。半蔵門線は、1989年1月26日に半蔵門〜三越前間開通。以後、1990年11月28日に水天宮前まで延びた。写真の三越前行が見られたのは、1年10ヶ月と短かった。押上まで伸び、東武伊勢崎線・日光線と相互乗入開始したのは、営団末期の2003年3月19日以降。半蔵門線車両も埼玉県に顔を出すようになった。

営団(現東京メトロ)半蔵門線8000系

鷺沼検車区  1992年4月6日

半蔵門線8000系は、1994年夏に全10両編成化される前は8両編成も存在した。1991年春以降、8両編成を示すステッカーも掲示された。

東急世田谷線80形

下高井戸  1988年3月21日

この頃の世田谷線は下高井戸駅・三軒茶屋両駅共に改築前だった。同線の車両は、2001年2月までに冷房付・VVVF車300形に統一された。

相鉄3050系

二俣川 1995年7月22日

3010系は1966年に、旧国鉄63形の足回り・台枠を再用し、6000系同車体を新製してデビューした車両。10連1本のみで、永らく釣掛車だった。冷房化も当面見送られたが、1987年末に試験的に相鉄初のVVVF制御に改造され、同時に冷房化。釣り掛駆動から、相鉄標準の直角カルダンに変更されたが、VVVFとの組み合わせは他社に例を見ない。形式も3050系と称する様になり改番。1998年末に相模大塚で脱線事故を起こし、翌1999年春に廃車になった。

相鉄旧6000系鋼製車(左)と
旧6000系アルミ試作車(右)

星川  1995年4月2日

6000系は1961年〜1974年に製造され、相鉄の主力車に。1970年以降に製造されたものについては、車体広幅となり前面レイアウトも変更、これを新6000系と呼ぶ。写真は、初期タイプの旧6000系。 そのうち、写真右の6021はアルミ試作車として新製。6000系アルミ車は1両のみで、他の鋼製車と混結して運用に就いてた。旧6000系はアルミ試作車も含め、1997年度中に廃車になった。

相鉄新6000系 緑園都市号

二俣川  1995年7月22日

写真は、1989年春にペイントされた特殊塗装車。新6000系は、2003年11月に全車引退した

小田急2400系車内
1987年7月

小田急2400系(カルダン初期車)は1959〜1963年に製造された最後の中型車。 小田急通勤車は全車20m車に統一する事から、冷房化は見送られ1985年春以降廃車が始まる。1989年3月に全廃に。写真は車内で、鋼製に塗装仕上の袖仕切・客扉や天井の扇風機が昭和を感じる。小田急通勤車の内装基本色だったライトグリーンベース色は2007年現在、8000系未更新車のみになってしまった(8000系は模様入の為、更新前の5200系以前の無地ライトグリーンとは異なる)。

伊豆箱根鉄道大雄山線163号

小田原  1993年8月17日

163号は旧相鉄2000系。大雄山線最後の釣掛・非冷房車だった。1996年秋に廃車となった。

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