写真 | タイトル | 写真 | タイトル |
| 1987年当時の
東急目蒲線、奥沢検車区
1987年10月3日
今は亡き目蒲線は、目黒〜五反田を結ぶ短路線で、撮影時の1987年当時は、戦前製、グリーンに塗装した鋼製車・釣掛車の3000系も多く使用していた。1989年3月、7700系等の18mオールステンレス車に置き変わり3000系は引退した。目蒲線は、2000年8月6日に目黒〜武蔵小杉を目黒線、多摩川〜蒲田を多摩川線と分離。目黒線用車両は2代3000系と、後にデビューした5080系を使用している。2000年9月26日に東京メトロ(当時は営団)南北線と都営三田線と乗入開始。写真の奥沢検車区は、目黒線所属となり稀に東京メトロ9000系や都営6300系が停泊する事もあり、撮影から十数年で同所に停泊する車両は大きな変貌を見せた。
|
| 東急3400系3493号
1988年2月 奥沢検車区にて
3400系は戦前製の車両を改造し、デビューした車両。リベット付の側面や、屋根形状が時代を感じる。
|
| 東急東横線8500系8507号と、
新鋭9000系9101号
1987年9月15日 田園調布
この頃は、8500系も東横線を走ってた。田園調布駅地下化工事は、1990年代に入り着工。地上時代の駅も終幕を閉めようとしていた。撮影時は、1986年春にデビューしたVVVF車9000系も1編成のみで、1987年末以降増備が始まった。
|
| 営団(現東京メトロ)銀座線2000系2085号
1988年3月13日 銀座
2000系は1959年〜1963年に104両新製されたカルダン車。銀座線の主力車で、MGをもたない事から、同系以前の銀座線車両は駅間で電気が消える事で有名だった。
後継の01系に押され、1986年以降廃車が始まり、1993年7月に全廃になった。廃車後、日立電鉄(2005年3月廃止)・銚子電鉄に譲渡された車両もいた。
|
| 営団(現東京メトロ)丸の内線500形572号
四ツ谷 1992年4月6日
丸の内線の赤い鋼製車300・400・500・800・900形は1953年〜1967年に製造。300形は、初のカルダン車としてデビューし、多少のマイナーチェンジがある度、形式を変えていた。白帯のステンレス飾りが特徴だった。後継の02系に押され、1988年末より廃車が始まり、1995年2月に本線から引退、1996年7月に方南町支線からも引退し、全廃になった。 |
| 営団(現東京メトロ)丸の内線方南町支線用2000系2033号
中野坂上 1990年9月
方南町支線用車両は、2000系が3両で使用されてきた。1993年初夏以降、500系に置き換えられ、丸の内線方南町支線用の2000系は引退した。さらに、方南町支線は1996年夏以降、02系(80番台3両固定)に置き換えられた。2004年7月、中野坂上駅の方南町支線ホームにホームドアーを設置した。
|
| 伊豆急100系
1990年8月11月 城ヶ崎海岸にて
1000系は1961年の開業時より使用。1964年以降に新製した先頭車は、写真の様に高運転台タイプになったほか、前照灯も腰部に配した。2002年4月に、JR113・115系を譲渡した後継の200系と代替に、100系・1000系は全廃になった。2005年春以降、伊豆急は東急8000系を譲渡することになり、200系も廃車が始まっている。
|
| 相鉄旧6000系
星川 1995年3月
相鉄初の20m車、直角カルダン車の旧6000系は1961年〜1969年に製造。1992年春以降、後継の8000・9000系に押され廃車が始まり、1997年3月に全車運用離脱し、数ヶ月の休車を経て廃車になった。広幅の新6000系は、それから6年後の2003年11月に全廃になった。
|