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なつかしの私鉄・地下鉄の車両たち4




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タイトル

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京王5000系

下高井戸 1988年3月21日 

京王5000系は、1963年、昇圧時にデビュー。翌1964年、ローレル賞を受賞。アイボリー塗装や丸みを帯びた正面窓等が当時としては優秀であった。初期車で2700系から足回りを流用し、釣掛車の車両もあった。1968年以降に製造された車両は、関東通勤車初の冷房車としてデビュー。写真は非冷房車の初期車タイプ。1886年以降、7000系増備により廃車が始まった。釣掛車が1989年3月をもって全廃になったほか、非冷房車は1992年暮に、他の5000系も1996年12月迄に全廃になった。引退後、富士急行、伊予鉄道、高松琴平鉄道、一畑電鉄等に譲渡された車両もいる。

京王7000系

桜上水 1988年10月1日

7000系は1984年春にグリーン車2010系置き換え用にデビュー。2001年3月のダイヤ改正までは、各停中心に使用されていた。1986年以前製造の車両は、正面のアイボリーマスクはなく、帯色もレッドであったが、1990年迄にアイボリーマスクをつけた。2002年初夏〜秋にかけ帯もピンク・ダークブルーのツートンになり、現在7000系は最初期デビュー時とは外観色が大きく異なる。

都営三田線6000系

志村三丁目  1987年6月

1968年開業時より使用されている三田線用の6000系は、1988年秋に正面にラインカラーの青帯が巻かれた。写真は正面の青帯が巻かれる前の姿。以後、1991年春以降、約半数の車両を冷房化。1993年6月、後継6300系がデビューし、非冷房車で残った車両は予備車6両以外1994年末までに廃車。以後、三田線ワンマン化・東急目黒線乗入を目前に、1999年11月末迄に6300系に押され全廃になった。

更新・塗装変更後の都営5000系

平和島 1988年4月2日

都営5000系は浅草線開業時の1960年にデビューし、1968年までに約150両製造。1981年より、更新・塗装変更が進行したが、一部、未更新のままの車両もいた。写真は、更新・塗装変更後の姿。1991年に後継の5300形に押され廃車が始まり、1995年7月2日をもって引退。浅草線も車両冷房率100%達成した。

京成線に乗り入れた都営浅草線5000系

船橋競馬場  1993年8月28日

1983年10月、都営浅草線車両は、急行運用にて京成線京成成田まで、乗り入れを開始。貫通扉に急行の円盤マークが貼られて乗り入れた。京成乗り入れ急行運用時の円盤マークは、後継の5300形にも引き継がれたが、1998年11月のダイヤ改正時以降は廃止になった。京成は、1991年春に車両冷房化完了。写真撮影の1993年頃は、都営の非冷房車は迷惑乗入扱いされていた。

京急2000形2扉時代

横浜 1988年3月

1982年暮に、600形後継としてデビューした快特専用車。特別料金なしで乗車可能の、豪華なインテリアは大好評だった。1998年春以降、後継の2100形に置き換えられ、2000形は3扉化・ロングシート化の改造を順次施行。2000年秋末迄に全車改造済。

小田急2600形

向ヶ丘遊園 1988年2月

2600形は1964年に小田急初の20m大型車としてデビュー。1974年迄に全車冷房化を施行。デビュー時より、各停に使用されることが多かった。1994年より数編成で8連化を行ない、先頭車の一部が廃車になった。2000年以降、老朽化による廃車が始まり、2004年6月、全廃になった。

東急東横線7000系

田園調布  1990年5月2日

日比谷線直通専用の7000系。写真は、正面赤帯を配した晩期の姿。1991年秋、後継の1000系に変わり、東横線から7000系は引退。同線の全車両冷房化を達成。地上駅時代の田園調布駅も懐かしい。

東急目蒲線7700系

田園調布 1990年5月2日

7700系は7000系(1962年〜1966年製造)を冷房化・VVVF化改造して1987年7月に誕生した車両。当初は大井町線で使用されたが、目蒲線・池上線から3000番台の旧型車が消滅した直後は、7000・7700系が両線で大活躍した。7700系は、21世紀に入った現在も、正面行先表示をLED化する等の小改造をしたうえ、池上線・多摩川線で使用している。一部、1962年に新製した車体も健全で、2007年で車齢45年と、関東大手私鉄の現役営業車両では最長寿車となった。尚、池上線・多摩川線の7600系と7700系は、今後新車に置き換わり、40年以上の活躍に終止符を打つ。

最後のステンレス車として活躍した
東京メトロ5000系5009号(59編成)

吉祥寺   2007年1月5日

5000系は、初の20mセミステンレス車として1964年12月の東西線開業時より1981年までに、東西線・千代田線用として420両製造。うち21両がアルミ試作車だった。1970年代は千代田線本線でも使用していたが、1981年に北綾瀬支線にステンレス車6両を残し東西線在籍となった。1989年〜1994年に、アルミ試作車20両を含む260両で冷房化・界磁添加励磁制御化を行ったほか、北綾瀬支線用6両で抵抗制御のまま冷房化を行った。他は廃車・除籍となり、そのうち120両を1996年4月に新規開業した東葉高速に譲渡した(2006年12月全廃)。冷房化した260両も、新05系のデビューに伴い2000年2月より廃車が始まり北綾瀬支線のステンレス抵抗制御の5000系は、東西線にいたアルミ試作車界磁添加励磁制御の5000系6両を移籍することにより廃車になった。新05系増備は2004年12月をもってストップし、その時点では、東西線用5000系はステンレス車3本とアルミ試作車1本が残ってた。2006年10月以降、有楽町線07系(1993年3月デビュー)を東西線に移籍することにより5000系を置き換え、2006年11月〜12月ににステンレス車2本が廃車になった。撮影時の2007年1月上旬時点では、5009を先頭とした10両編成(東京メトロでは、1990年代初頭より5000系に編成番号を付け、当編成は59編成に該当した)が、東京メトロ唯一のステンレス車として残り、2007年3月17日の運用離脱日まで使用した。晩期もJR総武・中央緩行線に乗り入れていた。5009は1966年製で1992年に冷房化。41年使用した。アルミ試作車の編成も2007年1月中に運用離脱し、当編成が最後の東西線5000系となり、2007年2月から運用離脱まで、'さよなら5000系 'のヘッドマークを付け運用に入っていた。写真で横を走るのはJR中央快速線201系で、こちらも2006年12月からE-233系の置換が始まり、見慣れた光景も過去帳する日が近い。

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営団2000系、営団500系、営団3000系、営団5000系、等、銀座線、丸の内線、日比谷線、東西線で形式消滅した車両。冷房化前の営団6000系、東西線に一時在籍した営団8000系。都営5000系、都営5200系、都営6000系等の浅草線、三田線等の往年の車両。東急3450系、東急5000系、東急7000系、東急7200系、京王5000系、小田急2400形、小田急2600形、小田急4000形、小田急SSE車、小田急NSE車、東武2000系、東武3000系、相鉄6000系、伊豆急100系等の形式消滅車両。廃止となった日立電鉄車両。

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