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インドネシア(ジャワ)の鉄道に乗る


私の好きなインドネシア - インドネシアの鉄道に乗る

インドネシア鉄道史


黎明
19世紀~20世紀初め
発展
20世紀前半
混乱
第二次大戦/独立戦争
復興
1950~80年代
現在
1990年代以降


★ インドネシア鉄道史について

「インドネシア鉄道史」は、次のサイトで公開されているコンテンツ(英文)を作者了解のもと、和訳したものです。転載について理解を示し、了解してくださった作者に感謝いたします。

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 著者:Indra Krishnamurti

なお、文中に挿入されている黄色の背景で小さい文字の部分は私の訳注です。
★ 黎明(19世紀~20世紀初め)

・ジャワ島
 1864年6月17日、蘭領東インド(今のインドネシア)の総督 L. A. J. W. Baron Sloet van Beele は、ジャワで初めての鉄道建設工事に着手した。その鉄道は、蘭印鉄道会社(Nederlandsch-Indische Spoorweg Maatschappij)によるものであり、スマラン(Semarang)とタングン(Tanggung:*1)間を運行する最初の鉄道だった。運行開始は1867年8月10日のことだった。

*1「Tanggung」:場所が分かりません。現在調査中。また、インドネシア国鉄のサイトでは、Kemijen-Tanggung 間とあります。区間距離は約25kmだったとのこと。
PT. Kereta Api Sejarah(歴史)のページを参照。
路線概略図

 しかし、その路線は不採算であったため、同社は政府に対しフォルステンランデン(Vorstenlanden:ソロ~ジョグジャカルタ周辺を指す)を経由してジョグジャカルタ(Yogyakarta)まで残り166kmの幹線を完成させるべく援助を要請した。標準ゲージ(1435 mm/ 4' 8.5")線路建設の決定は、膨大な建設工事費用増の原因の一つとなった。このため、1869年 J. A. Kool と N. H. Henketが1067 mm (3' 6")幅ゲージ(狭軌)の経済性と適切さを報告するや、その後のほとんどの工事で、狭軌が選択されることとなった。

 最初の狭軌路線は、ジャカルタ(Jakarta)とボゴール(Bogor)を結び、NIS(蘭印鉄道会社)によって建設された。それは、2年の工期の後、1873年1月31日に開通した。この路線は、かなり採算性に優れてはいたが、中部・東部ジャワにあるNISの他の路線と接続されていなかった。結局、1913年にこの路線は、SS(Staats-Spoorwegen:国鉄)へ売却されることになる。

 当時、オランダ国家は、鉄道建設へ直接 関与しはじめるようになった。1878年5月16日、東インドの国鉄(Staatsspoor-en Tramwegen in Nederlandsch-Indie)は、スラバヤ(Surabaya)とパスルアン(Pasuruan:*2)間に初めての路線を開設した。その3年後、西ジャワでは、チラチャップ(Cilacap)~ジャワ南岸の要所~への延長をにらんで、ボゴール(Bogor)からチチュルグ(Cicurug:*3)への線路建設が開始された。

*2「Pasuruan」:スラバヤの南東にある町。スラバヤから自動車で2時間くらいでしょう。今の地図だとあんまり大きな町ではなさそうですが、当時は何か重要な施設があったんでしょうか。( 路線概略図に寄せられたコメント を参照ください。)

*3「Cicurug」:ボゴールの南側にある町。スカブミ(Sukabumi)とボゴールの中間点くらいでしょうか。こっちを経由して、バンドゥンへ抜ける路線は今も走っているのでしょうか? スカブミ−バンドゥン間は地図を見ると線路は載っているのですが、もう列車は走っていないではないでしょうか。


 1884年、SS(国鉄)の線路は、スラカルタ(ソロ)まで到達し、NIS(蘭印鉄道会社)の主線に繋がった。また、1888年にはチラチャップ(Cilacap)まで到達した。そして、ジャカルタ(Jakarta)とスラバヤ(Surabaya)間は、1894年にマオス(Maos:*4)とチバトゥ(Cibatu:*5)間の路線が完成したことにより、繋がった。しかしながら、当時は夜間走行を行わず、また地域によりゲージが異なるためジョグジャカルタとスラカルタで乗客・荷物の乗り換えが必要だったので、実質走行時間は32時間半だったが、ジャカルタ−スラバヤ間の移動には3日間の行程が必要だった。それでも、同区間を2週間かけて移動した馬車の旅に比べれば大きな進歩だった。

*4「Maos」:Kroyaの西方10kmあたりの町。
*5「Cibatu」:バンドゥンとタシクマラヤ(Tasikmalaya)の中間くらい。

 The Samarang-Joana Stoomtram Maatschappij(スマラン−ジョアナ蒸気トラム会社)が、1881年にスマラン(Semarang)−ジュワナ(Juwana:*6)間にトラム路線の建設認可を取得した。それは、ジャワにその後誕生する15のトラム会社の最初のものだった。トラムは通常、砂糖農場・工場、タバコやゴムの農場といった農業や森林事業の開発と関係していた。また、トラムは主線路までの支線としても活用された。

*6「Juwana」(Joana):スマランからジャワの北岸沿いに東へ行ったところにある町。距離は100km弱くらいでしょう。スマランからスラバヤまでジャワの北岸沿いを走る線路は地図に載ってはいるものの、現在は廃線の模様です。(2002年10月に、スマラン Poncol駅で国鉄職員に聞いた話。) ( 路線概略図に寄せられたコメント を参照ください。)

・スマトラ島、他
 スマトラでは、軍事目的で1876年に建設されたUle Lheeの港とバンダ・アチェ(Banda Aceh)間を結ぶ路線が最初の鉄道だった。経済活動に重点を置いた初めての路線は、1886年にラブハン(Labuhan)とメダン(Medan)の間に、デリ鉄道会社(the Deli Spoorweg Maatschappij)によって建設された。この路線は、肥沃なデリ(Deli)地域、そしてベジタン(Besitang)、タンジュンバライ(Tanjungbalai)、ランタウ・プラパット(Rantau Prapat)およびプマタン・シアンタール(Pematang Siantar)へ運行した。ランタウ・プラパットへの線路の最後の部分は、1937年に完成した。

 アチェの路線は、後に750mm(2' 5.5"")へ軌道幅を変更され、1917年にバンダ・アチェの南方520kmのベジタン(Besitang)まで完成した。また、メダンからのデリ鉄道会社の路線との連結駅が、そのベジタンには建設されていた。アチェ国有蒸気トラム(Atjeh Staatsstoomtram)は、1916年1月1日に軍から国鉄へ移管された。

 政府は、西スマトラのミナンカバウ(Minangkabau)地域でトゥルック・バユール(Teluk Bayur)とサワ・ルント(Sawah Lunto)の石炭鉱山を結ぶ路線を、1891~1894年にかけて建設した。この158kmに及ぶ路線は、773mまで登ってブキット・バリサン山地を越えなければならず、カユタナム(Kayutanam)とバトゥ・タバル(Batu Tabal)の区間はラック路線を必要としていた。それは、インドネシアでは(過去も現在も含め)、そこそこの長さのラック路線では唯一つのものだった。

 スマトラの南部では、パンジャン(Panjang:ジャワへのフェリー港)からクルタパティ(Kertapati:パレンバンからムシ(Musi)川を渡ったところ)と、ルブックリンガウ(Lubuklinggau)へ向けて政府が鉄道を建設した。また、その鉄道はタンジュン・エニム(Tanjung Enim)の石炭鉱山のためにも利用された。建設は1914年に開始され、1932年に完了した。

・スマトラの鉄道は残念ながら、上述の北部・西部・南部3箇所に分断されており、相互に接続はされていません。

 インドネシアにおけるジャワ・マドゥーラ・スマトラ以外の唯一の公共鉄道は、1922年に南セレヴェス(南スラヴェシ)でスタートした。その線路は、ウジュンパンダン(Ujung Pandang:現在のマカッサル)からタカラール(Takalar:*7)までの47kmの長さだった。しかし、その路線は、交通量が少なかったため、1930年に閉鎖された。

*7「タカラール」:スラヴェシのタカラールは、ウジュンパンダンの南方の町。手元の地図には線路はもはや記載されていません。

◆原文
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 このページは著者了解のもと、原文(英文)を和訳したものです。黄色の背景で小さい文字の部分は訳注です。
 また、翻訳作業にあたっては、アット・ニフティ掲示板「バリとインドネシア」参加者のご協力をいただきました。

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