はつかり物語はつかり物語 東北方面初となる特急列車が常磐線経由であったことは、沿線育ちの館長にはチョッピリ自慢したい気分です。さらにその後の気動車化も初物で、立て続けの快挙といったところでしょうか。
1958(昭和33)年10月、「はつかり」は「さくら」で使用されていたスハ44系客車を中心に、8両編成でスタートしています。牽引機は【上野】C62【仙台】C61【青森】で、盛岡以北はC60補機付きです。
常磐線1958(昭和33)年10月時刻表
を参照ください
デビュー当時の運行は、上下ともジャスト12時間。平均速度62.5km/h、お世辞にも早いとは言えませんが、カマ交換、給炭、給水を考えれば、大変な努力の下で運行されていたことが想像できます。
1960(昭和35)年12月、「はつかり」は本邦初となる気動車特急に変身しました。翌年3月のダイヤ改正での時刻表は次の通りです。
1・2等特急はつかり
1レ(気) 上野 [13:15] 2レ(気) 青森 [05:00]
水戸 [14:44] 尻内 [06:29]
平 [15:58] 盛岡 [08:15]
仙台 [18:11] 一ノ関 [09:32]
一ノ関 [19:30] 仙台 [10:53]
盛岡 [20:48] 平 [13:04]
尻内 [22:30] 水戸 [14:18]
青森 [23:58] 上野 [15:45]
客車時代に比べ、1時間以上短縮させていますが、初めから順調に進んだわけではありません。
長距離気動車は初のこともあり、オーバーヒート等のトラブルが続出で、新聞紙上では「はつかり、がっかり、事故ばっかり」などと書きたてられてしまいました。
1968(昭和43)年8月、東北全線電化完成で、「はつかり」は9月9日より電車化されます。車両は新規製作された583系、昼は座席で、夜は寝台で運用可能な車両です。そして電車化された「はつかり」は10月から東北線オンリーでの、しかも2往復運用となり、常磐から姿を消してしまうのです。
ごく短い間だけでしたが、電車特急「はつかり」が、常磐線で見ることができました。13連の長編成はとても見ごたえのあるものでした。
1969(昭和44)年10月の時刻表
1号 2号 1号 2号
2021M 1M 2M 2022M
上野 [10:15] [15:40] 青森 [04:55] [09:05]
大宮 [10:38] レ 浅虫 レ [09:18]
宇都宮 レ [16:52] 尻内 レ [10:11]
郡山 [12:41] レ 盛岡 [07:17] [11:30]
福島 [13:16] [18:42] 仙台 [09:24] [13:36]
仙台 [14:18] [19:42] 福島 [10:22] [14:33]
盛岡 [16:24] [21:46] 郡山 レ [15:09]
尻内 [17:39] レ 宇都宮 [12:15] レ
浅虫 [18:30] レ 大宮 レ [17:14]
青森 [18:47] [00:10] 上野 [13:25] [17:37]
電車化と、東北線経由としたことによる経路短縮から、大幅な時間短縮が実現しました。
その後、485系の投入等で本数を増やし、時短も行いながら、「はつかり」は大ファミリーに育ちます。
1982(昭和57)年11月、東北新幹線の盛岡本格稼働に伴い、「はつかり」は盛岡以北のローカル特急となります。距離こそ短縮されますが本数は大幅増となり、新幹線以北の連絡列車として使命を果たします。
2002(平成14)年12月、東北新幹線の八戸延長開業に伴い、「はつかり」は消滅します。
新製583系 お披露目 試乗会 常磐線 1968.9.7 |