ときわ物語ときわ物語 常磐沿線育ちの館長は、今でも「ときわ」の愛称が常磐路には最もふさわしいと思っています。
この愛すべき名前をもった列車について、快速としての誕生から、準急・急行へ格上げ、最終的に「ひたち」へ吸収され消滅するまでを書き記してみます。 1955(昭和30)年10月、上野・水戸間に上下2本の気動車快速が設定されます。これらの列車愛称が「ときわ」911レ(気)・914レ(気)と「つくばね」913レ(気)・916レ(気)でした。
常磐線1955(昭和30)年10月時刻表
を参照ください
1958(昭和33)年6月、「つくばね」を吸収して上下各3本体制となります。さらに運行区間が上野・平(現いわき)間と拡大され、準急化されます。
2・3等準急ときわ
1号 下り405レ(気)上野[07:40]〜平[10:59] 上り406レ(気)平[07:45]〜上野[10:53]
2号 下り407レ(気)上野[12:50]〜平[15:55] 上り408レ(気)平[11:40]〜上野[14:49]
3号 下り409レ(気)上野[15:35]〜平[18:44] 上り410レ(気)平[17:35]〜上野[20:43]
常磐線1958(昭和33)年10月時刻表
を参照ください
1959(昭和34)年9月、上下各5本体制へ増強されます。更に「ときわ3号」には土曜日の下りと日曜日の上りに限り、上野・矢祭山間の「奥久慈」を併結します。以来「ときわ」廃止まで、「奥久慈」併結は続きます。すなわち「ときわ」は最後まで全列車電車化はされることがありませんでした。
と
1959(昭和34)年12月時刻表を参照ください
1962(昭和37)年10月、「ときわ」は順調に増加し、上り7本下り8本の体制となります。同年8月15日に、高萩まで電化完成をしていた常磐線でしたので、日立行き「ときわ8号」を451系で運用開始します。気動車ではキロ1両の「ときわ」ですか、電車化でサロ2両編成となります。
1・2等準急ときわ 下り5号・上り2号に奥久慈、土曜下り3号・日曜上り4号に奥久慈2号併結
1号 下り401D 上野[07:20]〜平[10:26] 上り402D 平[05:46]〜上野[09:05]
2号 下り403D 上野[09:30]〜平[12:42] 上り404D 平[07:20]〜上野[10:32]
3号 下り405D 上野[12:30]〜平[15:39] 上り406D 平[08:54]〜上野[12:02]
4号 下り407D 上野[14:25]〜平[17:40] 上り408D 平[11:46]〜上野[14:49]
5号 下り409D 上野[16:10]〜平[19:21] 上り410D 平[14:09]〜上野[17:18]
6号 下り411D 上野[18:20]〜平[21:42] 上り412D 平[17:06]〜上野[20:11]
7号 下り413D 上野[20:25]〜平[23:43] 上り414D 平[18:27]〜上野[21:39]
8号 下り415M 上野[21:35]〜日立[23:48]
以後電車化は着々と進み、本数も増加します。1965(昭和40)年末の状況は次の通りです。
1・2等準急ときわ 下り3号・上り5号に久慈川、下り6号・上り2号に奥久慈併結
1号 下り411M 上野[07:05]〜平[10:20] 上り412M 平[05:54]〜上野[09:30]
2号 下り413M 上野[10:15]〜平[13:35] 上り 2212D原ノ町[05:45]〜上野[10:35]
3号 下り 2213D 上野[10:55]〜水戸[12:45] 上り 1412M 平[08:25]〜上野[11:45]
4号 下り 1413M 上野[12:15]〜平[15:35] 上り414M 平[10:45]〜上野[14:05]
5号 下り415M 上野[14:29]〜平[17:44] 上り 2214D 水戸[14:12]〜上野[15:58]
6号 下り 2215D 上野[16:20]〜原ノ町[21:05] 上り 1414M 平[14:25]〜上野[17:52]
7号 下り 1415M 上野[18:15]〜平[21:36] 上り416M 平[15:25]〜上野[18:44]
8号 下り417M 上野[19:15]〜平[22:39] 上り418M 平[18:08]〜上野[21:35]
9号 下り 1417M 上野[20:15]〜平[23:39] 上り 1418M 平[19:35]〜上野[23:00]
10号 下り419M 上野[21:56]〜日立[00:18]
1963(昭和38)年10月に、全車指定席列車として登場した「ひたち」も451系での運用でした。その後「ときわ」に吸収される運命の同列車時刻も掲げておきます。
下り 1411M 上野[09:15]〜平[12:35] 上り 1416M 平[16:25]〜上野[19:48]
1966(昭和41)年3月、「ときわ」は急行へ格上げとなります。
1967(昭和42)年10月、「ひたち」を吸収し、上り10本下り11本体制となる。「奥久慈」「久慈川」の各1本は変更なし
1969(昭和44)年10月、季節列車として気動車特急「ひたち」が復活、1年後には定期列車化される。
1971(昭和46)年4月、上野口ジャストタイム発車を実現する。上野発時刻表は次の通りです。
ときわ1号 411M [07:00] 平[10:05]
そうま2号 211M [08:00] 仙台[13:14]
<ときわ2号 6411M [08:20] 水戸[10:10]>
ときわ3号 2411M [09:00] 原ノ町[13:25]
ときわ4号 413M [10:00] 平[13:05]
ときわ5号 2213D [11:00] 水戸[12:41] 「奥久慈1号」併結
ときわ6号 415M [12:00] 平[15:05]
ときわ7号 417M [13:00] 平[16:05]
そうま3号 215M [14:00] 仙台[19:32]
ときわ8号 419M [15:00] 平[18:05]
ときわ9号 2215D [16:00] 平[19:15] 「奥久慈2号」併結
ときわ10号 2413M [17:00] 相馬[21:42]
【特急】ひたち 1001D [18:10] 平[20:59]
ときわ11号 1413M [18:30] 水戸[20:07]
ときわ12号 1415M [19:00] 水戸[20:37]
ときわ13号 1417M [20:05] 水戸[21:44]
ときわ14号 1419M [21:00] 水戸[22:46]
1972(昭和47)年10月、特急「ひたち」が電車化され、その後勢力を拡大させます。
一度は自ら吸収した「ひたち」でしたが、今度は逆に飲み込まれる形で1985(昭和60)年3月、「ときわ」は消滅します。
412M 急行ときわ3号 常磐線 川尻(現十王)〜小木津 1973.1 |