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徳島出身・京都在住のすてきな女性 M子さん |
平成12年春、京都の娘の家へ来て気ままに出歩く生活を楽しんでいたある日、大阪在住の友達から電話があり大阪駅近くのホテルロビーで待ち合わせ、昼食を食べながら雑談を楽しんでいた。食事も終わりに近づいた頃、隣のテーブルで食事をしているグループの一人の女性が私の席へ来て「奥さん徳島出身ではないですか。」と話しかけて来た。私は県外へ出ると出来るだけ標準語を心掛けているが同郷の友達同士という気楽さで無意識の内に徳島県特有の(阿波弁)で喋っていたのであろう。「徳島出身とわかりますか。」と尋ねると「私も徳島出身ですから、懐かしい方言が聞こえてきたので、つい声を掛けました。」という言葉が返ってきて昔からの知己の如き親近感を憶え、彼女との交流が始まる。 S・M子と名乗ったその女性は、胸元が少しばかり大きめに開いたロングのワンピースを優雅に着こなして、友達との食事を楽しんでいるようであった。その女性と話が弾む内に京都の娘の家とは一キロほど離れた場所に住んでいることがわかり、「その辺は、以前に犬を飼っていた頃に散歩コースとして毎日のように通った道なのでよく知っています」と言う彼女と話題は尽きなかったが、お互いの電話番号を交換し次回の再会を約したが、このような偶然が出会いを与えてくれた(阿波弁)に感謝するのであった。 私よりかなり年下と見えたが、実際は8才年下と語った彼女は若々しくて目鼻立ちのはっきりとした容貌に、手入れの行き届いたストレートの髪型・前髪はオカッパに切り揃えているのが個性的な容姿を引き立て魅力的な女性であった。 サラリーマンであったご主人を数年前に亡くし二人のお嬢さんはそれぞれ嫁ぎ今は一人暮らしをしながらパートで仕事もしているという彼女の家に誘われたのはそれから数日後のことであった。 新築して間もない木の香の残る二階建ての家で、気ままな生活をしながら適度な仕事と幅広い趣味を持ち経済的にも精神的にも立派に自立している一人の女性をそこに見るのであった。 雑談のなかで「パソコンを習いたいと思っているが難しそうなので迷っているのです」という言うので、娘の家にあった古いワープロを貰ってきて「これを差し上げますから練習して下さい。ある程度使えるようになるまで私が教えて上げます。その他基本的なことをある程度覚えてから教えてもらったら上達も早いですよ。」と使い方を説明して私は徳島に帰ったが、暫くして私が京都に来て彼女の家を訪ねると、居間の一隅に立派なパソコンとプリンター等一式を揃えてあった。「パソコン教室にも通っているけれど、若い人たちに混じってのパソコンは、なかなか憶えるのが難しく、使いこなせるまでにはほど遠いように思います。」という彼女に「私で良かったら教えて上げましょうか。」と言って彼女のパート勤めの合間を縫って私は徳島に帰る事も忘れて押し掛け家庭教師が始まったのであった。私もパソコンの世界に魅せられて夢中になっていたが、未熟ではあるが多少先輩であることで私の知り得た知識を伝授しながら彼女のパソコンの腕も進歩していく様子を目にするのは喜ばしい事であった。 大阪のレストランで隣席から聞こえてくる阿波弁が縁となって知己を得てメールでお互いの近況報告や、パソコンを使っての立派な暑中見舞いや年賀状のハガキが送られて来るのを見て、かなり腕を上げている様子を見て、近い内に追い越されるのを感じながら、雑談の中で共通の話題が増えると言うことは楽しい事でもあった。彼女の言葉によれば「あなたと知り合いになって個人教授をして頂いたお陰でパソコンを使えるようになり職場や友達から一目おかれて嬉しいのです。大阪のレストランであなたの阿波弁を聞かなかったら私もパソコンの世界に入る時期も逸していたと思うし、このようなお友達が出来たことを何よりも感謝しているのです」と言ってくれた言葉を聞いて、私も嬉しくなるのであった。 彼女は私がパソコンを教えてくれたことへの感謝の気持ちだと言って{サクランボ狩り}の日帰り旅行に招待して頂き楽しい一日を過ごさせてもらったこともあった。あるときは「湯葉料理の美味しいところがあるけれど湯葉や豆腐は好きですか。」と聞かれ個室を予約して置くからと招待を受けて駅のホーム待合室で落ち合って電車に乗り、案内されたところは近鉄桃山御陵前駅下車徒歩10分にある高級料亭・季節会席料理店{梅の花・京都桃山店}であった。手入れが行き届いて気分も落ち着く和風の庭を眺めながら、湯葉と豆腐を主材とした中に、山海の幸の美しい色と味わいが奏でる会席料理をゆったりとした時間が流れる中でご馳走になりながら、彼女の気持ちを有り難いと思い気配りに感謝する私であった。パソコンを教えてもらったお礼と言って日帰り旅行や会席料理など結構な招待を受けて遠慮もせずに彼女の気持ちを有りがたく素直に受けたがその後も、誘ったり誘われたりで、彼女とは温泉旅行も何回か行ったが、裸になった時に見た均整がとれて引き締まった身体の若若さに感心して見ていたが、一週間に一回はスイミングクラブに通って泳ぎを壱千メートル・水中の歩きを壱千メートル、それ以外にも歩きの会に積極的に参加してかなりの距離を歩くことで身体を鍛えていると聞いて彼女の筋肉の引き締まっている謎が解けて納得するとともに私の腕や足と比較して羨ましい限りであった。 同じ徳島生まれのご主人と結婚し勤めの関係で京都へ転居、ご主人亡きあともここを{ついの棲み家}と決めて新築した家で一人暮らしをしながら嫁いだお嬢さんやお孫さんとの団らんも大切に楽しく暮らす姿は女性の理想的な姿ではなかろうか。最近はお互いの携帯のメールで連絡を取り合って、私が京都へ来ていると知ると彼女のパートがお休みの日に昼食を食べながら雑談をするのも、ささやかではあるが私にとっては楽しいひとときでもある。 私が京都の病院で下垂体腫瘍の手術を受けた結果、京都生活が多くなり、その過程でこのような素晴らしい友達が出来るなんて夢にも思わなかったが人間関係はこうして広がっていくということを大切にしていきたいと思うのである。自分史の中に{M子さんとの出会いと交流}という題名だけを付けたまま、雑用に追われ、暫くお休みの状態であったが、一気に書き上げたこの項もこの辺で一応筆をおく事にしよう。 (2003)平成15年11月24日(月) これを書き上げてほっとした気持ちでテレビのスイッチを入れるとNHKが南極で皆既日食を観測している様子が放送されている。白夜の南極大陸に暗闇が広がって星が輝き皆既の状態になったとき、黒い太陽の周りには白く光るコロナが見え、太陽の光が漏れて指輪のように輝く「ダイヤモンドリング」がテレビに大きく映し出されている。この壮大で幻想的な宇宙のロマンの美しい光景に大きな感動を憶え、しばし画面に見入っていた。我に返ってパソコンの白い画面に目を移し私の大切な友達の一人となったM子さんとの出会いを綴った活字を目で追いながら、今後に於いても末永く交流が続きますようにと願う私である。 上へ |
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