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乙女の舞・人生 作詞作曲 K子さん |
乙女の舞 作詞作曲 T・K子 1 ひらひらひらと 散る桜 うす紫に 揺れながら 乙女の舞を しずしずと 誰に見せるや 舞扇 2 春の陽気に 誘われて 袖ひる返し 微笑みて ふと恥じらいて身を 伏せぬ いとしき人に 捧げけり 3 ちらちらちらと 花びらが 一ひら二ひら あどけなく 汚れを知らぬ 戯れに 二つの蝶は 春を舞う | 人 生 作詞作曲 T・K子 1 ほのかなる 思いを胸に 半世紀心に 秘めて 故郷の 遠い昔を なつかしむ これも人生 2 とも白髪 心は御元 ほのぼのと 慕いし人の 面影を 大空見上げ 目に浮かぶ これも人生 3 曲のみ 曲のみ 面影を大空 見上げ 目に浮かぶ これも人生 |
この唄を作ったT・K子さん、名前も容姿も素敵な女性を、私は以前から面識はあったが、会っても軽く挨拶をする程度の間柄であったが、ある会合でご一緒する機会が重なって親しく言葉を交わすようになっていった。ある日の事、 彼女は長い間、保育所の先生をしていたのは知っていたが、このような才能があるとは知らなかったが、聞くところによると、自分が作った唄が職場の朝礼で、20年間、今も歌い続けられていると聞き、なるほどと納得がいくのであった。 {乙女の舞・人生}この二曲は50年間胸に秘めていた18才の時の初恋を思い出して作詞作曲までの経緯を詳しく話してくれたのであった。 高校を卒業後、幼児教育の勉強をする為に、兵庫県で住んでいるお姉さんを頼ってしばらくの期間、身を寄せていたが、その近所に下宿して学校で音楽を教える教師として勤めていた青年に、ピアノを習う事になったのが、彼と彼女との運命の出会いであった。 18才というまだ純真な乙女だった彼女にとって初恋の人となった彼も勿論独身の、うら若い美青年であったという。ピアノの先生と教え子、お互いの心の中に淡い恋心が芽生えていったのも自然な流れであろう。 休日には彼の自転車の荷台に小さな座布団を敷き、横座りに乗って映画を観に行ったことや、「お下げ髪に小さいリボンの髪飾りで精一杯のおしゃれをして行ったあの頃のあどけない自分の姿が目に浮かんできます」と頬を染めて話してくれた彼女の、恥じらいを含んだ横顔が印象的であった。 このような交際が続いたが、熱い想いをお互いが胸に秘めたまま、彼女は故郷に帰り、念願の保育所の先生となり結婚し、それから50年という歳月が流れていった。 その後、お嬢さんは嫁ぎ、息子さんも結婚して、夫婦二人の生活を送っていたが、間もなくご主人が他界した。数年経ってやっと寂しさにも慣れ、静かな一人暮らしを楽しんでいたが、ある日の事、50年前にピアノを教えてもらっていた彼の事が彷彿と胸に溢れてきて、上記の詩と曲が一気に出来上がったという。 このCDが完成した時に真っ先に聞いてもらいたい人、その人こそ、この曲の主、そして初恋の人、Mさんであった。その人の消息を確認し、はるばると車を運転して兵庫県まで会いに行って持参のCDを聴いてもらったという。 教職を既に定年退職していたその人と、これが50年ぶりの再会であった。彼女はその時に初めて過ぎ去りしあの時の熱い思いを打ち明けたそうだが、それを聞いたMさんも同じ思いであったと言って、慟哭し涙、涙の感激のご対面であったようだ。 50年間の積もる話や近況を語った後で、過ぎし日を懐かしんだと話してくれたのであった。しかし今の彼には妻子がある身、もう二度と逢いまみえることはないであろうと、心に決めて帰ってきたと話してくれたけれど、CDに秘めた熱い想いは美しい思い出として、彼女と彼の心の奥深く静かに時を刻んでいくことであろう。 そしてこの唄を聴いた人たちも乙女の時代を懐かしみ、幸せなひとときを、思い起こさせてくれるであろう。 私にとって、ふとしたご縁で素敵な友達となった彼女との交流を今後においても、大切に育んでいきたいと願っている。 最近受けた健康診断で、実年齢より15才も若い身体という数値が出たと担当医からお墨付きを頂いたと喜んでいたが、何時お会いしても若々しく、そして、おしゃれな彼女、皆に信頼されてリーダーシップを発揮して幅広く活躍する彼女の姿を見るにつけ、今後とも益々輝いた人生を送られますようにと祈っている。 |
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