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みい子のエッセイ集

   舞妓さん 従姉妹と京都を歩く
  河辺寺遺跡 ザ・リッツ・カールトン大阪にて
熊本にて レイクフォレストリゾート
榊原温泉 源氏物語ミュージアム
香雪美術館 パソコンとの出会い
神戸市立小磯記念美術館

☆ 従姉妹と京都を歩く ☆


  

2007年秋 城崎温泉

  
 ☆ 2005年夏 
 久しぶりに京都で数日滞在する予定だったので、従姉妹に連絡をとり都合の良い日を選んでもらって、京都駅構内2階の「吉兆」でお昼前に待ち合わせました。豪華な懐石料理をゆっくりと味わいながら、しばらく会えなかった間の積もる話を交え、しばし、至福の時を過ごしました。

 ピンク系の洋服がとても良く似合うので好んで着ているのですが、この日の彼女は色もデザインも地味な服装で統一していましたが、それにも拘わらず相変わらず若々しく、いつものように、にこやかに私を迎えてくれました。
 「京都を歩こう」という本を片手に方々を歩き、楽しんでいる様子や、友達との交流も大切に、頻繁にお出かけして毎日が充実していることは、携帯に入ってくるメールで知っていましたが、育ちの良さから自ずとにじみ出る、おっとりとした性格が誰にも好かれる所以でしょうか。

 彼女は高校まで徳島の生家で過ごし、以後は伯父様の家がある芦屋から大学へ通ったのですが、芦屋時代は広い邸宅の中で、お手伝いさんが何人もいて、純和風の平屋建ての家は畳敷きの広い廊下伝いに他の棟に連なり、裏庭にはテニスコートもあって、休日ともなれば友達とテニスに興じた青春時代を話してくれました。

 当主の伯父様には京都に別宅があって、本宅と別宅を行ったり来たり、昔のお金持ちの生活の一旦も知りました。この芦屋の邸宅は余りに広すぎて維持費がかかるために、現在は人手に渡っているようですが、ここで育った従兄妹たちは東京で、それぞれ立派に生活をされているようですが、「栄枯盛衰は世の習い」という言葉を思い出していました。
 このように芦屋のお嬢様として優雅な青春時代を経て、結婚し京都の古いしきたりの残る家で始めて知った外の世界に戸惑いもあり苦労もしたと思いますが、聡明な彼女はそれも立派に乗り越えて、現在は悠悠自適の毎日です。

 涼しくなったら京都に行きます。また方々へ案内してくださいね。
    

 ☆ 2004年秋 
 従姉妹(正確にいうと夫の従姉妹)と二人で京都を歩き回っている。
彼女は大学で管理栄養士の資格を得て、病院の栄養士として働いていたが、望まれて京都の旧家に嫁ぎ、古いしきたりの残る家で、舅・姑・小姑に仕えながら二人の子供を育て、専業主婦の生活をしていたが 「このまま年老いて行く事」 に疑問をもった時、再び社会に出て働くことを決意した。
 
 働くことに対しては家族から、多少の反対もあったようだが、総合病院へ就職し、早くからパソコンを勉強し、職場で活用することで周囲からも一目置かれ、関係方面からの講演などの要請にも応じて堂々と数多くの研究発表も経験している素晴らしい女性である。
実力と統率力を見込まれて部長の要職も無事勤め上げ、定年退職した。
子供たちも結婚し、ご主人と二人だけの悠悠自適の毎日を送っている。
「天は二物を与えず」という言葉があるが、彼女は美貌と有り余るほどの才能を持ち経済的にも安定し、私から見て羨ましい存在である。

 夫の従姉妹と私の関係は、遠い親戚の女性という程度の認識であったが、私が京都の病院で手術をして、京都生活が長くなったお陰で彼女との深い交流が始まったのであった。
彼女の説によると 「京都で長年生活しながら京都を知らない」事に気が付き、片っ端から京都を歩くことに目覚めたという。
ご主人は京都生まれの京都育ちなので、今更京都を知る必要が無いといって一緒に出かけようとはしないので、彼女は一人で方々へ出かけていたそうだが、私が京都に来るのを待ちかねて誘ってくれるようになった。電話やメールで連絡を取り合い彼女の立てたスケジュールに従って一緒に歩く楽しさ。美味しい料理に舌鼓を打ち、価値観を同じくする女性と雑談をしながら古都を巡る幸せに感謝している。

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