このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
一人旅で出会った素敵な女性Aさん |
「もしもし、Y・Aさんですね。 ご無沙汰していましたが、みい子です」 「まあ、みい子さん、こちらこそご無沙汰でした。 お元気でしたか」 「久しぶりに京都に来たので、お電話をしたのですが、 海外旅行に行ってお留守なのかなと思っていたけど、 今日はご在宅だったのですね」 「はい、ロシアに15日間行って昨日帰ってきた ばかりなので、朝寝をしていたんですのよ」 「Yさんのお元気な声が聞けて良かったわ。次回の海外旅行の予定はもう決まっているんですか」 「次回は8月になる予定で現在手続き中です」 「丁度良かったわ、ご都合の良い日に私の家へいらっしゃいませんか。軽く昼食の準備しておきますから。久しぶりにゆっくりっとおしゃべりしましょうよ」 「では、お言葉に甘えて明後日の11時ごろにお宅にお邪魔します」 このような会話があって、約束した日に来訪された彼女と、積もる話に時間が経つのを忘れて雑談に花が咲いたのでした。 先ずは彼女と私の出逢いから説明する必要がありますよね。 平成14年秋のある日の事です。私は京都の娘の家を拠点に方々へ気ままな一人旅を楽しんでおりました。近くの「読売旅行社」に、出かけて行きパンフレットを見て、行きたいところに申し込むのですが、泊まりの旅行は殆どが2名以上、という条件付きが多く、一人でも参加可能な日帰り旅行を選ばざるを得ないのですが、このときも信州方面の温泉とその周辺を巡る日帰りのツアーに申し込みました。 近くの駅からバスが出るので、早朝からの出発でしたが体調も、気候もよく愉しい一日になるだろうという予感で、心うきうき、ときめいてバスに乗りました。 参加している人達は友達同士や家族連れ、カップルなどが愉しそうにお喋りに興じていますが、私のように一人だけの参加者は、知らない人の中に入り込むのも憚られ、静かに車窓を流れていく景色を眺めていましたが、その中でひときわ目立つ、華やかな女性がいました。その女性も一人で参加しているようなので、自然と話をするようになったのでした。 Y・Aと名乗ったその人は、服装もアクセサリーも、かなりの高級品と見えるのですが、それらが自然に身に付いて、上品な顔立ちを一層引き立てていて、少し近寄りがたい雰囲気を醸し出している女性でした。しかし、二言、三言、言葉を交わす内に案外気さくな人だなと安心しました。私は物怖じしない性格の持ち主だと自認しているのですが、このような出会いがその後、長年の知己のような交際に繋がるとは予期しては無かったのでした。 話をしている内に私が住んでいる娘の家の前は時々通る道でよく知っていることや、ご主人を亡くされ今は一人暮らしであること、旅行大好きで国内は勿論、海外旅行は一年に10回以上、既に100回以上出かけて世界中を旅していることなどなど、話は尽きなかったのですが、そのツアーがご縁となってその後は誘ったり、誘われたり、彼女の海外旅行の間隙を日帰り旅行や一・二泊程度のツアーにご一緒する事になったわけです。私は一人旅が大好き人間ですが、彼女は私を遥かに超えるスケールで海外旅行は勿論の事、国内旅行にも精通していて、(このような人生を送る女性はどのような境遇の人だろうか)と関心が湧いてくるのでした。 相手のプライベートな部分に深く立ち入る事は注意しながらの雑談でしたが親しくなるに従って、こちらもざっくばらんに、話す事でお互いの心が通じ合うことがありますが、私は徳島で住んでいる事を話すと、ご主人が裁判官時代、転勤で徳島でも住んだ事があるので徳島には今でも交際しているお友達がいることや、お舅さんも弁護士を職業としていた事、息子さんも含めて親子3代にわたって皆さん京都大学出身である事などを謙虚に語る彼女の言葉を聞きながら(なるほど)と納得したのでした。 しかし私にはまだ解けない大きな謎が残りました。彼女の海外旅行も含めて旅行に対する情熱がどのようにして沸いてくるのかが疑問が残りましたが、立ち入った質問をするのも限度があります、私は疑問が解けないままに彼女と方々へ旅行を楽しんでいましたが、私が自分史を書いていることを話すと彼女のご主人も自費出版した自分史があることを聞いたので、 「良かったら読ませて頂きたいのですが」と云うと 「このようなものは誰にでも差し上げるわけにいかないので、まだ何十冊も残っていますから、差し上げますよ」 と快く一冊を持ってきてくれました。海外旅行先で求めた、ハーブ入りの紅茶、外国製の珍しいチョコレート、英語で調理方法が書かれているインスタントスープ、などを添えて、ご主人の自分史を頂戴したのでした。 このような経緯で「大空を闊歩」と表題が付いた立派な装丁の自分史を拝見したのですが、さすがにプロの編集による内容は、起承転結の流れがすっきりと、まとめられて読み応えがありました。一気に読んで、再び三度読み返しました。 幼少の時代から始まって、京都大学法学部の学業半ばで特攻隊を志願し、厳しい訓練に明け暮れた戦争中の体験を経て、終戦を迎え、大学へ復学、在学中に司法試験に合格し、結婚。その後の長い間の裁判官として生活から、公証人へ、その職も引き、あいさつ回りをすませて、ほっとする間もなく翌日入院生活が始まり、その後、入退院を繰り返し一年半後に還らぬ人となった事が詳しく記されてありました。 お舅さん・お姑さんを看取り、3人の息子さんも立派に成人し独立したのを見届けたので、今後はご夫婦二人だけで余生を精一杯楽しむ予定でいたのでしょうが、そこにはご主人との永の別れが待っていたのです。 病床で口実筆記で綴ったという自分史を、私も感無量で読ませて頂きました。 絆断ちがたく・・・ともに歩んだ日々 と題して奥様の回想記が末尾に掲載されているのを読んだときに、私が抱いていた謎(海外旅行への熱い思い)が解けたような気がしました。ここにその一部を記します。 「死が数時間後に迫っていた時でさえ、見せられた海外旅行のパンフレットに目をやり、うなずいておりました。世界に夢を馳せ続けていたのでしょうか。私は真新しいパスポートと主人の写真を大事に抱いて、主人の夢を現実のものとして共に語り、共に見聞し、ちょっぴり、いさかいもしながら、世界の国々を歩こうと思います。美しい花々を見ても、驚異の大自然を見ても、数々の遺跡を見ても、カメラのシャッターを切る主人が、いつもそばにいるように思えるのです」 このように、結んでありました。 退院したら一緒に思いっきり海外旅行を楽しむ予定を、果たせなかった夢を心に秘めて、使われなかったご主人の真新しいパスポートと写真を重ね持ち、共に旅している夫婦愛・・・。私はあふれる泪をそのままに、奥様の心情が伝わってくるのを感じながら読んだのでした。 「初めてお会いした時に、海外旅行は100回ぐらい、と伺っていましたが、あれからもう3年近く経ちましたが、現在で合計何回ぐらいになりますか。」 「そうですね、130回を超えました。」 「まだこれからも海外旅行は続ける予定ですか。」 「はい、体が続く限り、行きたいと思っています。」 「お元気なんですね。私も旅行は大好きですが、この年になると言葉が通じない異国で病気になった事を考えたら、億劫になってしまって、国内旅行を選んでしまいます。」 「元気な事はないんですよ。だから他のものは忘れる事があってもお薬だけは山ほど持ってから出発するんですよ。」 「京都はこれから暑くなりそうなので、私は近いうちに徳島へ帰るつもりですが、涼しくなったらまた出てきます。奥様が海外旅行からお帰っておられたら、またお会いして国内旅行にご一緒したいと思っていますから、その節は宜しく。次回にお会いできる日を楽しみにしています。お元気でね。」 「こちらこそ宜しく、今日は楽しかったわ。ご馳走様でした、お元気でね。」 このようにして次回に会う日を約してAさんはにこやかな笑顔で帰られたのでした。 みい子より Y・Aさん、今頃は世界の、どの辺を歩いていますか。 今後も益々お元気で海外旅行の記録を更新してくださいね。 上へ |
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