このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

【4月11日(月)】

 宮城県第二の都市・石巻市へ移動した。
 東日本大震災では、最も多い死者、行方不明者数である。
 前日は、菅総理大臣も訪問している。

 石巻市に通ずる三陸道は、自衛隊の救援車輌を多く見かけた。
 石巻市に到着すると、市街地は砂埃に覆われていた。

 石巻ボランティアセンターは、日本財団、ピースボート等の団体が多く参加している。
 石巻専修大学が、土地を貸してくれたこともあり、
 他地域と比較して、組織的、効率的である印象を受ける。
 参加者も非常に多い。

 一部の市街地は、地盤沈下のためか、深い水溜まりになっており、
 その中を、ボランティアを運ぶ自動車は進んでいく。

 最初に訪れた場所は、津波で、市場のイカが家中に満ちてしまった民家である。
 悪臭を放つため、ツナギ等を着用して、作業を行なう。
 また、近隣の家も津波で乱雑な状態になっていたため、家主の手伝いを行なう。
 しかし、時間の制約があり、作業の途中で、撤退せざるを得なかった。

 移動の途中、焼野原になった町を通過した。戦場のようであった。
 門脇小学校は、火災であろうか、黒焦になっていた。
 その瓦礫に、アルバムを見つけた。
 老人が孫らしき子供を抱いて、ニコニコ笑っている。
 写真が楽しそうであればあるほど、胸が苦しく締め付けられる。

 午後から、ゴミと化した、高校の机、棚、畳等を撤去した。
 体育館は破壊され、校舎の窓ガラスは粉々になっていた。

 センターへ自動車で帰還する途中、福島県浜通りを震源とする余震が発生し、
 石巻も津波注意報は発信される。
 車道は渋滞しており、今、津波が襲ってきたら、私たちも被災者となってしまう。
 雨は一層強くなり、周囲に緊迫感が漂う。


ボランティア・センターが設置された石巻専修大学


宮城県石巻市にて


宮城県石巻市にて


宮城県石巻市にて


石巻市内の高校にて


被害を受けた体育館


【4月12日(火)】

 昨日に引き続き、宮城県石巻市のボランティアセンターへ行く。

 被災地から離れたM宅で、ゴミの撤去を行なう。
 しかし、単に、ゴミ屋敷からゴミを撤去しているだけで、
 地震や津波の被害と直接関係がないように感じられた。
 近所の人に尋ねても、M宅は地震等の被災者ではない旨の意見が述べられた。

 ボランティアセンターへ帰還して、その件を報告した。
 センターも被災者であるか否か、判断に困る場合があるという。
 まあ、これもひとつの経験であろう。

 宿泊地へ移動する途中、高速道路の事故渋滞、些細なトラブル等が発生して、
 ボランティアとは関係ないところで、疲れが増してしまった。

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