このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

【4月2日(土)】

 被災地へ出発する前に準備をする。

 愛知県の社会福祉協議会で、ボランティア保険に加入する。
 470円で、今年度末まで、ボランティア中の怪我等に補償が適用される。
 ちなみに、被災地では急性肺炎等を防ぐため、マスクが必須である。
 また、釘等を踏んで、破傷風にならないよう、注意したい。

 次に、インターネットで、県外のボランティアを受け入れる被災地を探す。
 自動車を利用するため、駐車場は必須である。
 合わせて、宿泊の確保を行なう。

 また、ゴム長靴、ゴム手袋、軍手、非常食等の準備も欠かせない。


【4月3日(日)】

 名古屋から東京まで東名自動車道、東京から福島まで東北自動車道等を利用して、移動する。
 東北自動車道は、特に変わった様子は見られないが、自衛隊の車輌を時折見かける。

 福島市で宿泊するため、福島西インターチェンジから降りる。
 ガソリンスタンドでは、「3日前から、ガソリン不足が解消された」と従業員が返答。
 コンビニエンスストアも、飲料物、おにぎり等、充分に配列されていた。
 (後日、宮城県、山形県では、若干不足している印象を受けた)

 福島市は福島第一原発から60km程度であろうか。
 しかし、街の雰囲気は、特に変わった様子は見られなかった。
 明日に備えて就寝する。夜中、余震で揺れる。


【4月4日(月)】

 県外のボランティアを受け入れている、宮城県亘理町のボランティアセンターへ向かう。
 県内外から、毎日100名前後のボランティアが参加しているようだ。
 ボランティアの需要と供給の調整を行なう"マッチング"を経て、
 津波に襲われたY邸で、土砂の撤去作業を行なう。

 仙台東部道路は、宮城県の湾岸部を南北に走っているが、
 その東側と西側は、風景が全く異なる。
 津波が発生したとき、道路が壁になって、東側はプールのようになったという。
 JR常磐線の線路上には、木材などが散らばっていた。
 住宅街では、飼い主をなくした犬が彷徨っていた。

 ボランティア終了後、亘理町の荒浜地区を訪れた。凄まじい風景に愕然とする。


宮城県亘理町にて


宮城県亘理町にて


宮城県亘理町にて


宮城県亘理町にて


JR常磐線の線路に障害物が散乱する


倒された塀


【4月5日(火)】

 昨日に引き続き、宮城県亘理町のボランティアセンターへ行く。

 亘理町役場にて、駐車場の交通整理を行なう。午前中から、自動車が次々に到着する。
 役場の建物は、地震のダメージを受けていたため、仮設の建物に機能が移管されていた。

 様々な被災者が訪れる。
 久しぶりの再会を喜ぶ人たち、貴重品を全て無くして、ため息をつく老人…

 役場は、三種類の旗を配布していた。
 自宅もがれきと一緒に撤去したい人は赤色の旗、
 自宅を残し、がれきのみを撤去したい人は黄色の旗、
 自宅もがれきもそのままでよい人は緑色の旗を、自宅に掲げてほしい、という。
 赤色の旗がどんどん少なくなっていく…


宮城県・亘理町役場


自宅もがれきと共に撤去したい場合は赤い旗を掲げる


【4月6日(水)】

 宮城県岩沼市のボランティアセンターへ行く。
 地元の高校生など、比較的若年層のボランティアが多いようだ。

 午前2時間、午後2時間の作業時間は若干短い。
 午前はSA邸で、午後はSU邸で、土砂、流木、巨石等の撤去を行なう。
 老婦人がボランティアに話し相手を求めてくる。
 塩水で、楽しみにしていた花が枯れてしまったのよ、
 こんな重い石も流れてきたのよ等々。
 誰かに被災の状況を聞いてもらうことで、必死に気持ちの整理を付けようとしているようだった。


宮城県岩沼市にて


子供用の自転車が押しつぶされていた


コンビニエンスストア


海岸線の松林は、津波で歪んでいた

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