このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

【4月13日(水)】

 宮城県名取市は、インターネットでは県外のボランティアを募集していなかったが、
 申し出ると、快く受け付けてくれた。
 市民体育館は、被災者の避難場所として使用されるはずであったが、
 体育館そのものも地震の被害を受けており、ボランティアセンターとして使用されている。
 ラジオ体操を経て、マッチングは比較的効率良く行なわれる。

 本日は、海に近い、ゆりあげ小学校で、
 自衛隊が拾得した写真等の洗浄を行なう。
 小学校の体育館には、泥まみれになった写真、ランドセル、卒業写真などが集められている。

 偶然、ある夫婦のアルバムを手にした。
 若い夫婦が結婚をして、子供が生まれて、家族で旅行する等、
 家族の楽しい思い出が綴られている。
 写真を見ると、どれも笑顔が満ちており、
 楽しい生活を送っていたことが容易に想像できる。
 写真の持ち主たちは、どうなってしまったのだろうか。
 見ているのが、段々辛くなってきた。 


ボランティアセンターが設置された名取市体育館


ゆりあげ小学校の体育館


小学校の体育館には、津波で流された写真等が集められた


体育館の時計は、時間を止めていた


被災者の写真は、津波で流されていた


楽しかった思い出…、写真の笑顔が切ない


子供達のランドセル


持ち主は何処へ


持ち主をなくした携帯電話


泥をかぶった卒業証書


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


被災地のガレキが集められる


ガレキの山


陸地の船


ここは海ではない


【4月14日(木)】

 昨日、コンビニで買ったおにぎりを自動車に置き忘れていたが、
 無理に食したところ、昨夜に嘔吐を繰り返した。
 日差しが強かったためか、腐っていたのだろう。
 愚かな失態である。
 疲労も重なっていたため、休日とする。


【4月15日(金)】

 名取市のボランティアセンターに再び参加した。
 ボランティアの延べ人数は6千名を越え、
 最近は、仙台市からの参加者が増加しているという。

 海から2km以内に位置するM宅にて、土砂の撤去を行なう。
 M氏は、定年退職を経て、息子夫婦と悠々自適な生活を送っていたという。
 津波で、多くの土砂、材木、石が来襲し、1階部分が海水に覆われてしまった。
 悲しみを通り越して、笑うしかない、という。
 何とか頑張ってもらいたい、と思う。

 本日で、東日本大震災のボランティアを終えることとする。
 私自身も非常に疲れてしまった。
 他のボランティアも同じことを話していたが、
 どれもキリがなく、気が遠くなるような作業ばかりであった。

 もうひとつ、
 ボランティアが手助けをすることができた御宅は、
 もちろん大変な被災を受けている。
 しかし、ボランティアが全く役に立たないほど、
 大きな被災を受けている地域が、数限りなく存在しているのだ。
 (今回、岩手県を訪れることができなかったのも、残念である)
 最後に知らされるのは、達成感ではない、無力感である。

 だからといって、ボランティアが無意味だということを言うつもりはない。
 情けは人のためならず、
 被災者やボランティアセンターの仲間達と、強い絆を感じることができた。
 多くの学生達やサラリーマン、年配の方々に至るまで、男性女性を問わず、
 みんな共通の目的を持って集まる姿は感動的であった。


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


宮城県名取市にて


【4月16日(土)】

 被災地から、東北、関越、中央自動車道などを利用して、名古屋へ戻る。

 ベトナム帰還兵のように呆然とした表情、虚ろな眼で風景を眺める。
 そういえば、安達太良山は悲しそうな表情をしていた。
 浅間、飛騨、赤石、木曽などの山脈は、優しく出迎えてくれた。
 新緑や花が美しい。同時に、被災地の風景が白黒の記憶で植え付けられている。

 悪夢のような2週間であった。
 いや夢ではない。現実なのだ。
 ひょっとすると、普段の私たちの生活の方が夢なのかもしれない。

 春が来ない冬はない。
 岩手、宮城、そして、福島は復興すると信じている。
 復興したとき、その町や村を歩きたい。
 但し、その整備された道を、何事もなかったかのように、歩くことは避けたい。
 現在の悲惨な被災地の姿を忘れず、脳裏に焼き付けて、沿岸部を歩きたい、と考えている。
 そして、そのとき、東北の皆さんに、心から拍手を送れることを、期待したい。 


福島市にて


桜は美しい花を咲かせていた

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