このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

【4月10日(日)】

 福島県の福島市から相馬市へ移動、自動車で山を越えて、1時間半程度である。

 日曜日のため、福島県相馬市のボランティアセンターは多くの人たちが集まっていた。
 掲示された希望職種をボランティアが選択できるが、
 若干、マッチングに時間がかかり、一部のボランティアが不満を漏らしている。

 松川浦のM食堂で作業を行なうことになった。
 床版を剥がし、床下の泥を取り除く。
 不安定な姿勢になるため、力が入りにくい。
 苦労しながら、作業を続ける。
 終了後、家主に、「復興したとき、また訪れて下さい」と感謝された。

 風光明媚な松川浦も、津波の傷跡は生々しい。
 巨大な船が陸に上がり、自動車は海に浮かんでいた。
 但し、入江であるため、何とか家が残されているところが多い。
 しかし、直接津波を浴びた地域は、それは無残なものであった。
 造営された住宅街は、土台を残すだけで、何も残されていない。
 住人らしき人々は、何かを求めて、ぼんやりと眺めるだけであった。

 また、ボランティアの誰かがつぶやく。
 「ボランティアの数は、相馬市と南相馬市は全然違うらしい」
 南相馬市は、福島第一原発から30km圏内に、大部分が入っている。
 情けないが、私も南相馬市に入る勇気は持ち合わせていなかった。

 ボランティアが終ってから、国道6号線を北上する。
 福島県新地町や宮城県山元町も被害が大きい。
 どこに行っても、被害の大きさに驚く。


風光明媚な松川浦は、姿を変えてしまった


福島県相馬市の松川浦


福島県相馬市の松川浦


市場は無残な状態となっていた


岩壁に打ち上げられた船


陸地の船


住宅地は土台のみを残していた


破壊された車輌

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