このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

城   地

※実際にはこの型式通りの縄張の例は少なく、ほとんどの城は複数の形式を併用した複雑な縄張となっている。

※城には複数の曲輪が存在したが、このことは城の防衛機能を考えるうえで、非常に大きな意味をもっていた。

※いずれの型式でも、本丸まで直接たどり着ける縄張というのは存在しない。必ず、二の丸や三の丸を経なければならなかった。
 たとえ三の丸が攻略されても二の丸で、二の丸が攻略されても本丸で防戦することができた。縄張は、すべて牙城である本丸を守るためだけに考えられていたといえる。

■城は
(1)城地として選ばれた、防御に適した
土地を選び(山城・平山城・平城)
(2)防衛の為に
土木構築物が造られ(堀・石垣・土塁など)
(3)防備の為に築かれた
建物(天守・櫓・門など)
(4)これらの配置を決める
設計(縄張)
以上の4項目が合体して完成。

連郭式
本丸・二の丸・三の丸を直線的に並べた形式で、山城・平山城に多い。

梯郭式
断崖などを背にした本丸を二の丸と三の丸で階段状に囲む形式で、平山城に多い。

輪郭式
本丸を二の丸・三の丸で環状に囲む形式で平城に多い。

▼平山城〜丘城ともいわれ、山の麓から頂までの高さが一般的に50mほど。.山城は山の上だけを利用した城郭であるが、平山城は山を中心にして、周囲の平地も城郭に取り込んだ造りのもの。彦根城、姫路城、熊本城、金沢城、高知城、仙台城、犬山城など。

【今治城絵図】

名古屋城天守

犬山城天守

岐阜城天守

■本丸・二の丸・三の丸などの曲輪配置については、大別すると輪郭式(りんかくしき)梯郭式(ていかくしき)連郭式(れんかくしき)
という3つに分類されている。

■縄張による曲輪の配置
 縄張は大きく分けて、城の中心である内曲輪と城下町のある外曲輪に区分される。
さらに、内曲輪は、本丸・二の丸・三の丸などの曲輪に区分される。おおむね、本丸には天守や大名の御殿、二の丸には大名一族の屋敷、三の丸には重臣の屋敷があった。
 外曲輪には、かって城下町があり、武士の住む武家町や寺町、商人・職人の住む町人町に分かれていた。

〜「立地」による3類型〜

■城は立地面から山城・平山城・平城に大別できる
 山城・平山城・平城に分類するが、厳密な区別はなく、論者によっても意見が分かれる。一般的な分類では、平地に築かれた城を平城、小高い山や丘の上に建てられたものを平山城、麓からの高さ(比高)が100m以上の城を山城とするのが目安となる。       

       

■安永8年(1779)に作成された今治城の絵図

 今治松平藩の武家屋敷が詳細に記され、城郭の縄張が色分けされて描かれている。今治城は、内堀、中堀、外堀の三重の堀を巡らせた海岸の平城。下方が瀬戸内海方向で、堀には海水が引き込まれ、中堀の一部が舟入となり、海から船が出入りできる海城の機能をもつ。

 今治城の場合、本丸には5層の天守があったとされ、二の丸に藩主館、中堀以内に上級武士、外堀以内に侍屋敷が配され、外堀が侍屋敷と町家の境界になっていたと考えられる。

縄張(なわばり)
 城を構成する区画を曲輪(くるわ)(くるわ)といい、城の中心の曲輪を本丸、それに続く曲輪を二の丸、そして三の丸となる。縄張とは、城地を曲輪(郭)とよばれる複数の区画に仕切り、建造物の配置を計画すること。実際に現場で縄を張り巡らせたことから、縄張と呼ばれている。城は、縄張によって決められた曲輪の周囲を堀や土塁・石垣で巡らし、その中に天守や櫓などを建てることで完成した。

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▽城ガイド(城の見方)へのリンク

▼山城山や丘の頂部を利用して築かれた城。城主の居館は山麓に設けられる。戦国時代の城はほとんどが山城であった。織田信長が岐阜城から安土城に本拠を移した頃から、山城全盛の時代から平山城へと移る。岐阜城、備中松山城(岡山県)、高取城(奈良県)、小谷城(滋賀県)、津和野城(島根県)など。

▼平城〜平地だけを利用して築かれた城。戦乱の世が落ち着き、江戸時代に入ると、城は政治支配の拠点として、平坦な町の中心地に築かれる。江戸城、松本城、名古屋城、二条城、高松城、駿府城など。

*天守
*城門
*堀.石垣.土塁.土塀
*櫓.御殿.庭園
*城を守る仕掛け

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