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天 守

 ◆「天守」は「天主」ともいう。古くは「殿守」また「殿主」と書かれていた。どの字も「てんしゅ」と読む。文字からして、御殿の屋上に物見のための望楼を設けたのがその起源であると考えられている。天守の起源については、諸説があり、近世の天守建築の祖形は、天正7年(1579)に完成した織田信長の安土城天主に求めることができる。信長は「天主」と命名した。


 ◆普段は大名の生活の場所であり、戦時にはそのまま司令塔や展望台としての役割を果たしていたのが、天守本来の姿であったといえる。しかし、重層の天守は住むには便利が悪く、別に御殿が建てられるようになると、大名の生活の場は御殿に移った。
 そのため天守は戦時には籠城した際に最後の砦となることを目的として構築されるようになり、籠城戦に備えて城を敵から守る仕掛けが数多く造られた。外壁に切られた狭間(さま)や、最下層などに設けられた石落しからは鉄砲や弓で射撃したり、投石によって敵を攻撃することを想定していた。また、装飾のためにつけられた破風(はふ)の裏にも隠れて攻撃できる空間があり、天守単独となっても最後まで抗戦する仕掛けが凝らされている。


 ◆天守は本来、物見という軍事的な目的のために建てられたもので、戦国時代末期から安土桃山時代にかけて見られる初期の天守は、望楼が御殿の上に載る形で建てられていた。こうした天守の形式を望楼型と呼ぶ。ただ、望楼型天守は構造上の一貫性がなかったため、高層に建てることはできなかった。江戸時代には、下層から同じ逓減率で積み重ねていく形の層塔型天守が新たに登場する。天守が高くなると、見晴らしがよくなるという軍事的な要因だけでなく、遠くからでも見ることができ、権威を象徴する政治的な意味を持つようになっていった。
◆天守の構成形式小天守(しょうてんしゅ)付櫓(つけやぐら)の取り付け方によって、天守の構成は、「独立式」「複合式」「連結式」「連立式」の4種類に分けられる。  

◆天守の意匠(松本城)
●外壁は大壁塗りの白漆喰仕上げ、腰(下部)は黒漆塗りの板張り。
●入母屋破風、唐破風(からはふ)、千鳥破風で飾っている

●本瓦葺き。
部分〜狭間(さま)。矢狭間、鉄砲狭間が1間ごとに開いている。
部分〜石落し。四隅と中間にも設けられている。
●外見は5重になっているが、内部は6階の構造。
●天守の屋根の頂には(しゃち)を飾る。天守の象徴の一つ。

◆天守の形式
 望楼型と層塔型
二種類がある

層塔型(そうとうがた)
 
江戸時代に登場し、下層から同じ逓減率で積み重ねていく形式。

望楼型(ぼうろうがた)
 基本構造は、入母屋造りの大屋根に望楼を載せる。

千鳥破風(ちどりはふ)
 
入母屋破風と同じくともに三角形をしているが、千鳥破風の下方が屋根面に突き当たって止まる三角形の出窓。

 装飾や採光のために設けられる。中に破風の間を設けることも多い。千鳥破風を横に二つ並べたものは比翼千鳥破風という。

入母屋破風(いりもやはふ)
 入母屋造の屋根の端部(三角形の垂直な壁面)であり、天守最上階には必ずある。また、望楼型天守では、建築構造上、必要となり、一重目か二重目に入母屋破風がある。入母屋破風を横に二つ並べたものを比翼(ひよく)入母屋破風という。姫路城や名古屋城などの、特別に大きな天守に使われた。

 入母屋破風は、屋根の隅棟に接続し、千鳥破風は、下の屋根面に突き当たって止まる。

コラム
{その1}
 幕末には御三階櫓を含めた天守は、約70存在していた。しかしほとんどは明治政府によって解体された。天守が残ったのは約20城だけである。そのうち熊本城が1877年に西南戦争で、岡山城・広島城・大垣城・福山城・名古屋城・水戸城・和歌山城が1945年に第2次世界大戦で、松前城が1949年に火災で焼失してしまった。

 現存している天守は国宝に指定されている犬山城・彦根城・姫路城・松本城・松江城と国の重要文化財に指定されている丸岡城・丸亀城・宇和島城・備中松山城・高知城・弘前城・伊予松山城のあわせて12城にすぎない。

 
{その2}  
すべての城に天守があったわけではない。天守台すらない城もあれば、天守台は築いたものの天守は築かれなかった城、災害で失われた天守が再建されなかった城など、天守を持たない城も多かった。
武家諸法度(1615)、公布後は、城の新造や増改築が禁止されたため、三重櫓を建てて、天守の代用とすることが多かった。 

下見板張り(岡山城)

白漆喰総塗籠(姫路城)

天守の内部

▼宇和島城天守のひな形

城中最大の高層建築物

その城の権威の象徴

◆重と階〜天守や櫓の大きさを表す場合、三重四階という表現が使われる
 
外観の屋根の数が重数で、内部の床の数が階数となる。たとえば五重六階とは、外からは屋根が五つ重なって見え、内部は六階建てになっていることを表す。 

◆天守の外壁〜外壁は防火と防弾に優れた土壁が基本

 仕上げ方には大きく分けて、厚い土壁の表面に、白い漆喰を仕上げ塗りした塗籠めと、黒く塗った木の板を張った下見板張りの2種類がある。塗籠めの天守は真っ白な優雅な姿をみせ、その代表例の姫路城は「白鷺城」の別名がある.。下見板張り天守の代表は岡山城で「鳥城」と呼ばれた。「鳥」とはカラスのこと。

{国宝 松本城天守}

▽城ガイド(城の見方)へのリンク

*城門

付櫓〜天守に付属する櫓のことで、櫓のうちでその最上階が天守本体と独立しているものは、とくに小天守(こてんしゅ)という。その場合には、天守を大天守(おおてんしゅ)として区別する

*城を守る仕掛け

■独立式の宇和島城天守

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江戸城天守台

松江城天守

■連立式の姫路城天守は、大天守の三方に西小天守、(いぬい)小天守、東小天守を従え、これらを渡櫓で連結した構成

■連結式の松本城天守

■複合式の備中松山城天守

【独立式】
 付属建築物がなく、天守だけが単独に建つ形式。丸岡城、宇和島城、高知城など。

◆天守台
 天守は天守台という石垣の台座に建っている。高さは5〜20mぐらいのものが多い。

【連立式】
 天守と二基以上の小天守(または隅櫓)を中庭を取り囲むように口字状に建て、それらを渡櫓で連結した形式。姫路城、松山城など。

【複合式】
 天守に直結して小天守あるいは付櫓を設けた形式。犬山城、彦根城、松江城、岡山城などがある。

【連結式】
 天守と小天守を渡櫓(わたりやぐら)で連結した形式。名古屋城、広島城、松本城などがある。

*城地

*望楼型と層塔型の違いは、天守の1階または2階の屋根に入母屋破風があれば望楼型、なければ層塔型

*櫓.御殿.庭園
*堀.石垣.土塁.土塀
                         

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