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小高銀砂軌道 2
〜南側ループ線と採砂場〜
お話を伺ったご婦人の話す所によると、南側の軌道跡は畑の後ろの道と言うことである。
なるほど、見事に道が残っている。
緩やかな勾配、盛り上がった築堤。
軌道の雰囲気を良く残している。
耕したばかりの畑との色彩的な見栄えも良い。
農作業道として現役である軌道跡は山に向かっていく。
そのまま林の中に道は進んでいく。
軌道跡を追いかけてみる。
林の中を抜ける一本の道。
これが軌道跡である。
車一台分ほどの幅で刈り払いが成されており、定期的に使用されているものと考えられる。
軌道跡は町道(現 南
ガソリンカーを用いても登れるかどうかと言うほどの勾配だ。
珪砂を満載したままこの坂を登るシチュエーションは無かっただろうが、空荷でもなかなか難儀であっただろう。
舗装道は程無くして砂利道に変わる。
砂利道を少し進むと西側に細長く開けた土地が見えた。
ここが採砂場で間違いないだろう。先ほどのご婦人の話によるとまだ現役の施設であるという。
敷地の中央を砂利道が通っている。
ここにダンプカーを止め、ショベルカーで珪砂を積み込むのだろう。
珪砂を採取することによって地形が変わっていくので、軌道が何処にあったかのかは判りようが無い。
左の画像は「
ガソリン機関車(恐らくはカトー)が停車し、その傍らではスコップを持った作業員が背の低そうな貨車に珪砂を放り込んでいる。
機関車の下に敷かれている軌道を見ると、随分と華奢な敷設がされているように見える。
珪砂の採取に伴って採砂場が西側にどんどん広がっていくので、軌道を移設しやすいようにしていたのかもしれない。
戦時中の臨時軌道などで使用された
「軌匡」(ききょう)
と似たような構造になっていたのだろう。
「昭和38年」「カトーの機関車」と言うことから考えると、この機関車は「
浪江森林鉄道
」から流れてきた物かも知れない。
2枚上の画像を撮影した場所から左側を見ると、鉄鋼が一本刺さっているのが見えた。
??
!!
ジョイント?
これは紛れも無く鉄道のレールだ。
しかもジョイント付きだ。ジョイントの付いたレールを見るのは勿来の
大日本炭鉱新鉱専用軌道
に次いで2度目だ。
正直言ってこの採砂場付近でレールが発見できるとは思ってもみなかっただけに驚いた。
7kgレールと思われる。
一本見つかったら、更にもう一本ぐらい発見できるのでは…と思い付近を探索しようと思ったのだが、
「猿」に威嚇されたので止めておいた。
猿の咆哮は甲高かった。採砂場付近は彼らの縄張りなのだろう。
下手に進入して攻撃を受けたら私などひとたまりもあるまい。
終点付近の探索を切り上げ、ご婦人に聞いた「土場」…すなわち起点を訪ねる事にする。
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