このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

タイ−7 アユタヤ日本人村編


 前ページの ワット・ロカヤスタ を見終わった時点で既に15時を過ぎていた。当社バンコク駐在員とは19時にホテルのロビー待ち合わせであり、そのためには16時にアユタヤを出発しなければならない。アユタヤ駅からの電車は1時間に1本程度なので、確か16時5分の電車を逃すと、17時15分くらいまで無かったと記憶している。
 あと1時間も残っていないので、ワット・プラ・ラームは断念した。ワット・ロカヤスタからタクシーかトゥクトゥクに乗ろうと思ったのだが、こんなときに限って一台も無い。やむを得ず、 ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット まで歩いて戻った。そのためにかなりのロスタイムとなった。
 トゥクトゥク乗り場まで歩いていくと、運転手がやって来て、僕に尋ねた。

「Yamada?」

 アユタヤには江戸時代に日本人が居住して日本人町を形成していたのだが、タイでは「Yamada」で通っているようだ。タイでYamadaといえばもちろん山田長政である。
 早速トゥクトゥクに乗り込んで「Yamada」に向かった。

 15時45分頃に「Yamada」に到着して入場料を支払ったところ、もらったパンフレットには「アユタヤ日本人村」と書いてある。日本人町と日本人村のどちらが正式なのか分からないが、当HPではパンフレットを採用したい。ちなみに僕の持っている日本史用語集では日本町と記載されている。

 入口すぐのところに石碑が立っているものの、なぜか「アユチヤ」と書かれていた。

なぜか「アユチヤ」

 日本人村には、驚くほど何も無い。石碑の右奥に売店があり、そこに山田長政像があった。撮影OKとのことだったので、写真に撮った。

 日本史用語集では、山田長政は次のように記載されている。

山田長政(?〜1630)
駿河の人。1612年頃シャムに渡り、アユタヤ日本町の長。のちリゴール(六昆)太守となるが、政争で毒殺された。

 あまりにも短い記述である。
 アユタヤ日本人村のパンフレットにはもう少し詳しく書いてあった。

山田長政(静岡県出身と伝えられている)は、日本人義勇隊長として実力者となり、ソングタム王の寵愛を受け、オークヤー・セナピムックの爵位を授けられた。1628年王の死後、長政は、二人の王子に忠誠を尽くしたが、南タイのナコン・シータマラートに反乱が起きたので都を離れ、反乱軍を平定し同地の太守にまでなったが、程なく同地で客死した。

 山田長政については、遠藤周作の「 王国への道−山田長政− 」を大学生のときに読んだことがあるのだが、あまりにも昔過ぎて忘れてしまった。今回訪問したので読み直したいところだ。

 それにしても、現代の飛行機でも成田からバンコクまで飛行機で6時間30分である。当時、船で何ヶ月もかけてアユタヤまで来た勇気に感服する。当時のシャムに骨をうずめる覚悟だったのであろう。
 当時は朱印船貿易が行われていたので、東南アジアにいくつか日本人町が有った。1547年には マラッカ でヤジロウがザビエルに教えを受けている。山田長政が亡くなってから2年後(1632)には森本右近太夫が アンコール・ワット を訪問している。当時の日本人の行動力には驚かされる。

山田長政

 建物から外に出るとチャオプラヤ川が流れている。山田長政もこの流れを見たのだろうか。

チャオプラヤ川

 待たせてあったトゥクトゥクに乗り込んだのは16時ちょうどくらいであった。列車は確か16時5分。日本であれば確実に間に合わないが、ここはタイである。バンコク発が20分ほど遅れたのだから、バンコク行きの列車も遅れているのではないか。はかない希望を持ってアユタヤ駅まで向かったところ、到着したのは16時10分頃。慌てて改札に行くと、列車は案の定遅れていた。余裕で切符を買って、ついでに売店でペットボトルの水を買って飲んだ。改札では16時20分頃に来ると案内が出ていたが、案の定20分になっても来ない。そうなるとイライラしてくる。時間通りに来ていたら遅刻していたくせに、人間なんて勝手なものだ。
 結局列車が来たのは16時25分ころであった。

 アユタヤを出た列車はのんびりとバンコクに向かう。道路と線路が並んで走っているのだが、バスにどんどん抜かれる。スピードではバスに軍配が上がるようだ。

 フアランポーン駅に着いたのは18時ちょうど。タクシーでホテルに戻れば、余裕で19時に間に合う。そう思って歩いていたところ、地下鉄入口が目に入ってしまった。地下鉄が有ったら、それに乗らなければならないというのが僕のルールである。それは鉄道オタクの宿命かもしれない。

地下鉄フアランポーン駅

 フアランポーン駅から地下鉄でスクムウィット駅まで行ったところ、BTSへの乗り換えが大混雑。一駅で最寄のプロンポン駅なのだが、電車に乗っている時間の3倍くらい、切符を買うのに時間がかかった。しかもプロンポン駅を下りたところ、雨が降り始めた。駅からホテルまでは徒歩10分弱を雨に濡れながら歩き、ホテルに着いたのは18時57分。約束の3分前に戻ったのだが、当社駐在員はロビーで待ちくたびれていた。



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