このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
幕末・維新ゆかりの地
佐久間象山・大村益二郎遭難之碑
「池田屋騒動之址」
から高瀬川を渡ると、「佐久間象山・大村益二郎遭難之碑」があった。
佐久間象山先生遭難之碑
大村益二郎先生遭難之碑
北へ約壹丁
佐久間象山・大村益二郎遭難之碑
よく見ると「
北へ約壹丁
」とあり、この石碑は道標であった。
佐久間象山は信州松代藩の出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。彼の塾からは、勝海舟・
吉田松陰
・
坂本龍馬
ら傑物を輩出しています。元治元年(1864年)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めたため、同年7月11日に刺客に斬殺されました。
大村益次郎は長州藩出身で、医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも学んで兵学者となりました。長州藩の軍事指導者として活躍し、その功績から維新後、兵部大輔に任名され、近代兵制樹立に尽力しました。しかし、廃刀論で士族の反感を買い、明治2年に三条木屋町にて反対派士族に襲われ、同年敗血症で死去しました。
三条小橋商店街振興組合
「遭難の地」には行かなかった。
靖国神社
に大村益二郎の像がある。
三条大橋
へ。
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