このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2004年

大村益二郎の像〜靖国神社〜
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逓信病院 から靖国通りに向かうと、靖国神社がある。


 靖国神社は、明治2年(1869年)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された。初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年(1879年)に靖国神社と改称された。

 幕末の志士 吉田松陰坂本龍馬 、高杉晋作、大村益次郎なども維新殉難者として合祀されている。

靖国神社神門


昭和9年(1934年)に完成した檜造りの門だそうだ。

明治29年(1896年)、 正岡子規 は靖国神社を句に詠んでいる。

   九段阪靖國神社

天邊に秀でたる眉をかすみけり

『寒山落木』 (巻五)

よく分からない句である。

大村益二郎の像


大村益二郎は近代日本陸軍の創設者で、靖国神社の創建に尽力。

明治26年(1893年)、日本で最初の西洋式銅像として建てらたそうだ。

 慶応4年(1868年)5月15日(陽暦7月4日)、新政府軍は現在の 外神田三丁目 に集結。大村益二郎の指揮の下、 上野寛永寺 に立てこもる彰義隊を総攻撃、夕刻敗退させた。

 明治2年(1869年)9月4日、大村益二郎は 京都 で数人の暴漢に襲われ、11月5日死去。

二松学舎大学 へ。

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