このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


這出よかひ屋か下の蟇の聲

伊勢崎市長沼町に浅間山がある。


浅間山


 浅間山には天明3年(1783年) 浅間山大噴火 の流死者を供養した川流れ供養塔も建っているそうだ。

浅間山に芭蕉の句碑があった。


這出よかひ屋か下の蟇の聲

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年) 5月17日(陽暦7月3日)、芭蕉は尾花沢の 鈴木清風 を訪ねた。尾花沢には10泊して3句を残している。

すずしさを我が宿にしてねまる也
這い出でよかひやが下のひきの声
まゆはきを俤にして紅粉の花
蠶飼する人は古代のすがた哉     曾良

 寛政5年(1793年)、芭蕉100年忌に長沼観音寺の住職松谷の遺志を継いで蓮沼栗庵甫力惣社中建立。 栗庵似鳩 筆。

この辺りは養蚕が盛んであったようだ。

伊勢崎市上蓮町に栗庵似鳩の墓があった。


栗庵似鳩の墓


雪仏生まれし時の顔に似よ 似鳩

 伊勢崎市指定史跡
栗庵似鳩 の墓

 栗庵玉置似鳩は大阪の生まれの俳人で、明和8年(1771年)の冬に行脚の途中、那波郡蓮沼村(現在の上蓮町)に立ち寄ったのが縁でこの地に住し、「喰つみは秋もてなさん軒の栗」と詠んで庵号を栗庵と定めました。

 以後、寛政9年(1797年)12月23日に62歳で没するまで蕉風俳諧の普及に努め、弟子の数は500人を超えたと言われています。

 墓は似鳩の七回忌の際に弟子達によって建てられたもので、表面に「雪仏生まれし時の顔に似よ 似鳩」と辞世の句を刻み、背面には似鳩の性格や没年、葬儀や建碑の事由が記されています。

 伊勢崎市教育委員会

 傍らに伊勢崎市により史跡として指定されたのを記念して「栗庵似鳩翁碑」が建てられていた。

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