このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
栗庵似鳩
大阪の人。玉置氏。
可都里
『名録帖』
に「瓢堂 栗庵似鳩」とある。
明和8年(1771年)の冬に行脚の途中、那波郡蓮沼村(伊勢崎市上蓮町)に住し、「
喰つみは秋もてなさん軒の栗
」と詠んで庵号を栗庵とした。
島村の
金井萬戸
とも交際をした。
安永7年(1778年)8月、
『栗庵句集』
刊。
安永8年(1779年)春、
『せりのね』
刊。
寛政元年(1789年)5月、似鳩は中山道を上洛の途中、露白のもとで病臥し20日間滞在した。
寛政4年(1792年)3月18日、八幡山(本庄市児玉町)を訪れる。
寛政4年(1792年)10月17日、栗庵似鳩は和田峠を越えて下諏訪の高島城下に着き、
藤森素檗
の家に泊まっている。
夕べ近ければ何某素檗を訪ふ。年歳
(としどし)
行脚の杖を廿年斗、家うち人の厚情をかさねて、あたかも親属にひとし。やれ足の湯まいらセ、先寒かりなん巨
(炬)
燵に入よ、と浅からぬ饗に旅の労を忘るゝ斗也。
『信濃紀行』
寛政5年(1793年)、芭蕉百年忌に
芭蕉の句碑
を建立。栗庵似鳩筆。
這出よかひ屋か下の蟇の聲
寛政6年(1794年)、似鳩の後見で
不動尊
境内に句碑を建立。
白露もこぼさぬ萩のうねりかな
昭和55年、復元。
寛政7年(1795年)、記念集『萩のふす満』刊。
寛政8年(1796年)4月17日、
常世田長翠
の小蓑庵を訪れる。
寛政9年(1797年)12月23日、62歳で没。
金井一魚
は
高桑蘭更
の芭蕉堂で似鳩の死を知る。
散る梅の哀れとどきし片便り
社中に
馬見塚
の俳人劔二、
境宿
の織間由水、織間専車がいる。
伊勢崎市上蓮町に墓がある。
栗庵似鳩の墓
雪仏生まれし時の顔に似よ
似鳩の句
秋雨や蛙鳴やむ夕より
『初霞』
春の暮湊に鯛のなき日かな
『蝉乃声』
夏雲や冨士より晴て三保か崎
『
俳諧
菊の露』
重ね着に小春の暑さ寒さ哉
『萩の枕』
世のさまやひかんの市の古仏
『草津集』
世の秋や桐ちり初てちり果す
『栗庵句集』
東風にいとミ雪や降来ん海の鳴
『せりのね』
世のさまやひがんの市の古仏
紅ばたや花さくころの筐うり
『春秋稿』(初篇)
てり砂や礒はわか葉のうき根茨
『春秋稿』(第二篇)
春の雪消際竹にうち見たり
『安佐与母岐』
日に倦てなつの花鳥おもはるゝ
『春秋稿』(第四篇)
何気なや菜はとうたてど小田の雁
『春秋稿』(第五編)
さみだれや蔀吹入る松葉のけぶり
『葛の葉表』
きりぎりす鳴や小藪のかいまがり
『農おとこ』
切立の衣に僧の花見かな
『華鳥風月集』
伊勢か家の俤草や釣しのふ
『此まこと』
閑古鳥鳴かた見れは江の柳
『春秋稿』(第六編)
旅の身も夜長になりぬ草の露
『春秋稿』(編次外)
ひとむらの草よりのほるほたるかな
『黒祢宜』
ほとゝぎす待たぬ心に定たり
『続雪まろげ』
沙鶏
(ぎす)
売にきけば嵯峨野は糸芒
『古今綾嚢』
俳 人
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください