このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


雲折々人を休める月見かな

日和山公園鹿島御児神社 (HP)がある。


鹿島御児神社


鹿島御児神社は 延喜式内社

 祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、鹿島天足別命(かしまあまたりわけのみこと)の親子2柱。

鹿島御児神社の松の木の根元に芭蕉の句碑があった。


雲折々人を休める月見かな

出典は『春の日』(荷兮編)。

貞享2年(1685年)に詠まれた句。

延享5年(1748年)3月、 雲裡坊 門人棠雨(どうう)建立。

『諸国翁墳記』 に「月見塚 奥州石巻日和山在 連中建」とある。

 天明6年(1786年)8月15日、菅江真澄は鹿島御児神社のことを書いている。

十五日 はくろの神にまうで奉る。是なん鳥屋神社にておましませり。又零羊崎(ヒツチサキ)の神は、直野のむらといふといへば、今は摩鬼てふ山のいたゝきにあがめてけり。鹿島御児は、門脇といふなる、日好(ヒヨリ)山におましぬなど、人に聞たり。


 天明6年(1786年)9月15日、菅江真澄は鹿島御児神社に参詣している。

やがて鳥屋神社にまうで、鹿島御児神社にまうづ。ここを日好山まで、いとよきながめなり、葛西三郎清重の鋳たるかね、いまもかけたり。

『はしわのわかば 続』(仮題)

 嘉永5年(1852年)3月16日、 吉田松陰 は日和山に登る。

 日和山に登りて以て縦觀す。山は葛西城の趾に係り、今は鹿島の祠を置く。地形高敝、川と海とに臨む。


 昭和3年(1928年)7月25日、 荻原井泉水 は芭蕉の句碑を見ている。

芭蕉翁

雲折々

人を休める月見かな

この句を書いた碑がそこに建ててあった。「延享五戊辰三月雲裡坊門人等営之、主命棠雨とある。 松島 で見たのも、 仙台 で見たのも、雲裡坊門人で、延享年間のものだった。

『随筆芭蕉』 (松島と石の巻)

日和山公園の駐車場に山頭火の句碑があった。


 昭和11年(1936年)6月26日、 種田山頭火 は芭蕉と同じ日に石巻を訪れて、芭蕉の句碑を見ている。

 早い朝湯にはいってから日和山の展望をたのしむ。美しい港の光景である。芭蕉の句碑もあった。

水底の雲もみちのくの空のさみだれ

あふたりわかれたりさみだるヽ


紫陽花が咲いていた。


背景に北上川が見える。

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