このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
何に此師走の市にゆくからす
千曲市稲荷山治田町に治田公園がある。
治田公園に「芭蕉翁師走塚」があった。
右に芭蕉の句が刻まれている。
何に此師走の市にゆくからす
出典は
『花摘』
(其角著)。
元禄2年(1689年)、芭蕉46歳の句。
元禄3年(1690年)1月2日、
荷兮
宛書簡にある。
越人へ冬申達候。相届可
レ
申候。年始無
レ
恙哉。歳旦三つ物御家例可レ為と存候。おましの浦に波枕して、めづらしきとしをむかへ候。
歳暮
何に此師走の市に行くからす
都の方をながめて
菰を着て誰人ゐます花の春
撰集抄の昔をおもひ出候まゝ、如
レ
此申候。
芭蕉は湖南膳所で越年した。
臘月に至、膳所に赴給ふ。
何に此師走の市にゆく烏
『芭蕉翁略伝』
(湖中編)
何に此師走の市に行烏
此句、師のいはく「五文字の意気込に有」と也。
『三冊子』
(土芳著)
『泊船集』
には「
何をこの師走の市を行からす
」とある。
文化元年(1804年)10月12日、信陽日々齋連中建立。記念集『師走塚句集』刊。
『諸国翁墳記』
に「
師走塚 信州更科郡稲荷山
ニ
在 日々齋卜胤門人中
」とある。
日々齋卜胤は稲荷山元町の人。治田神社神主の子。本名は児玉喬明。
加舎白雄
の門人。初号巨帆。
文化14年(1817年)8月4日、77歳で没。
治田公園の溜池
溜池のほとりに治田神社がある。
治田神社は
延喜式内
信濃国四八座中の一社。
祭神は治田大神・事代主神・倉稲魂神。
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