このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


八九間空で雨ふる柳かな

結城市結城に釈迦堂がある。


釈迦堂


釈迦堂入口に「増田遷晁の文人碑」がある。



八九間空で雨ふる柳かな

元禄7年(1694年)春、芭蕉51歳の句。

『続猿蓑』 巻頭の句である。

明治8年(1875年)、檀家の増田僊晁建立。

 境内入り口の碑は、増田遷晁が建立したもので、表に芭蕉の句「八九間 空で雨ふる 柳かな」、裏には、遷晁が師と仰ぐ人物が、一堂に会し交遊するという、彼の夢が描かれています。

 彼は、谷文晁の流れを汲み、各地を歴訪、日本画を学び、明治20年、65歳で永眠しました。

碑の裏に江戸時代の文人達が線刻され、漢詩や和歌・俳句が刻まれている。

 上段に大石良雄、其角、嵐雪、芭蕉、徂來、中段に文晁、応挙、頼山陽、大雅、蕪村、蜀山人、下段に僊晁他7人ということだ。

万山重カラズ、君命重シ。
   大石良雄烈士
三日月の頃より待し今宵哉
    其角
古池や蛙飛こむ水の音
   芭蕉翁
蒲団着て寝たる姿や東山
    嵐雪

兀々陶々六十ノ春
官無ク禄無ク自由ノ身
悠然トシテ酒ヲ飲ミ悠然ト酔フ
真ニ是レ太平無事ノ人ナリ
    鵬斎 老叟
長き日を書画に遊びて十二月
   東山 蕪村 大人
鼠どの殿上人の真似をして
滴れかかる四位の少相
    蜀山人

ふと出し雲に物いふ月見かな
   鴬林堂遷晁
いざきけや柳ばかりに風の吹く
   玉操女

「玉操女」は遷晁夫人。俗名はな。

半ば剥落していてよく分からない。

  『諸国翁墳記』 に「下總國結城郡結城町建立 連中 八九間空て雨ふる柳哉」とある。この句碑は消滅したようである。

慶福山結城院満福寺釈迦堂


 10世紀に創建され、15世紀の永享年間に久保田村字慶福に中興、間もなく結城城内の西館に移り、慶長年間に今の地に移されたと伝わります。

真言宗豊山派 の寺である。

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