このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

八巣謝堂
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総州楫取(香取)の人。八巣二世、八巣一世は 桜井蕉雨

謝堂 村松町建具屋ノウラ   八巣


 天保10年(1839年)、八巣謝堂は東京都足立区の 西新井大師 に八巣蕉雨の句碑を建立。


一輪の牡丹終日咲にけり

記念集『木の葉懐紙』が出版された。

 天保11年(1840年)3月、八巣謝堂は本駒込の 徳源院 に八巣蕉雨の句碑を建立。


さみだれや初手をおもへば山の雨

 天保12年(1841年)、蕉雨の十三回忌追善に『さつきそら』(謝堂編)刊。

 弘化2年(1845年)10月17日、八巣謝堂は 斗囿 の十三回忌に訪れ、その後謝堂は 蘇羽鷹神社 を訪れている。

   斗囿仏十三回日くれて詣

霜の声もつまで居らん墓の前

   夜に入りて小金におもむくを

   蘇羽鷹明神の森なる翁の碑を拝す

松杉や空に聞える霜の声

「飄々斎先生訪ねるの記」

嘉永4年(1851年)、没。

岡椿舎一友は八巣謝堂の門。

 安政4年(1857年)6月、西村橘井は松戸市小金の 八坂神社 に鶴水・謝堂の句碑を建立。


同し風毎日吹いて梅の花
   飄々斎鶴水

飛音のしてその後も閑古鳥
   八巣 謝堂

謝堂の句

引込だ住居や椿二本だけ


月さして夜も無にせぬ清水哉


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