このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
加舎白雄
「甲峡記行」
安永4年(1775年)、加舎白雄は甲州行脚。白根山の麓で越年。
小仏嶺を越るとて
山ぶみにほとけの御名を霜の朝
白
猿橋
猿はしにさるの声かなわたり得し
船津といふ所より舟をうかべて芙岳のふもとになるは潮のひとつときく
産屋かさき
に至りて、
不二の影かげに鴨啼く湖水哉
甲斐が根に春をむかひつゝ睦月の末杖をあらため侍るに、
しほの山
は程よき離山にて、和歌の名所かひある心地せられて、
甲斐山を放れて霞む尾上哉
さし出の磯
は山なだれて巉巌のさし出たるに、笛川の曲してむせびさかろふにぞ、磯は苔のなめらかに、蜷といふむしの糸もてむすびたるがごとくすさまじといひし春のあしたたへたへなりけり。
かげろふにさし出の荒磯ふみしりぬ
先
甲氏城蹟
生にけり蹄にかけぬ春の艸
酒折宮
御火焼
(みひたき)
のわかきはなんと梅が元
鵜飼済度の霊場ほどちかく石和川に杖をとゞめて、
こりづまや石和河原にのぼり簗
灯籠仏
に参りて、
罪科の重し軽しや春の風
身をのべ山
に登りしに嶽々渓
(浣)
々にみちみてる素袒
(祖)
纜の声にそふものは水の音や松の響に観彼久猶遠如今日と聞へしをおもひ合て、
またやまたけふをむかしに咲事か
加舎白雄
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