このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
斎藤南々
「大斎藤」と呼ばれた豪農の四代目当主斎藤安兵衛寿冨。
久米逸淵
の高弟。
南々 武州中瀬 斎藤安兵衛 届所
可布庵
『諸国人名録』
南々
一号柿寿窓又柿園 武州中瀬
斎藤安兵衛
明空や東風には早き雲はしり 南々
『海内俳家人名録』
享和2年(1802年)、深谷市中瀬に生まれる。
文政6年(1823年)3月25日、南々宅で「ひょうたん競べ」を催す。
天保12年(1841年)5月、芭蕉の百五十回忌で
吉祥院
に句碑建立。記念句集
『蝉塚集』
板行。
頓てしぬ氣しきは見えす蝉の声
嘉永3年(1850年)、『
去来伊勢紀行
・丈草寝転草』(寄三編・南々校合)刊。
逸淵
・
西馬
跋。
安政4年(1857年)9月22日、病没。享年56。
吉祥院に墓がある。
今は訪れる人もない。
南々の句
ひとすぢにかぎらぬ道や御忌詣
『おらが春』
姉文女は耕雪と号した女流俳人。
耕雪の句
みだれたる後や久しき女良花
『春秋稿』(第八編)
弟岩之助は河田家に婿養子に入った河田寄三。
寄三
一号不知庵 武州中瀬
河田甚平
灯よりいそく日暮の炭火かな 寄三
『海内俳家人名録』
天保15年(1844年)、
西馬
は寄三と共に故郷へ帰る。
この日頃草庵の火桶に鼻突合せつる両子故
郷に春をむかへむとて、あはたゝしう旅立に、
胸つふれてひきとゝむへきことの言もなけれハ
老ひとりとり残されて年こもり
逸淵
行年や仮の旅寝も三千里
寄三
送 別
分つ手の間にあるや年の坂
耕雪
寄三の句
けふの我こゝろを啼や呼子鳥
『花の雲』
さし汐に水音とめるあつさ哉
『鄙さへつり』
露と見る名残のしものなこり哉
『かりかね集』
うくひすの来て鳴時を移しけり
『髯ふくろ』
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