このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
俳 人
井原西鶴
談林派の俳人。別号鶴永。二万翁。
寛文13年(1673年)3月、西鶴は
生玉神社
南坊で「万句興行」を行った。6月、『生玉万句』刊。32歳の時で、当時は井原鶴永と名乗っていた。
生玉神社に井原西鶴像がある。
延宝7年(1679年)3月、
大淀三千風
は「独吟三千句」。『仙台大矢数』刊。
延宝7年(1679年)7月10日、
下里知足
は有馬温泉の帰途大坂で西鶴と俳諧。
七月十日 朝雨昼晴 西鶴ニて俳諧有。此夕方上り船ニ乗大坂立。
『千代倉家日記抄』(知足日記)
延宝8年(1680年)5月7日、西鶴は生玉神社南坊で「一昼夜四千句」を成就。この時の役人脇座十二人の中に秋田俳壇の始祖といわれる
桂葉
がいた。
貞享元年(1684年)6月5日、
其角
を後見に招いて、
住吉神社
で2万3,500句を詠む。
住吉にて西鶴か矢数誹諧せし時に後見たのみければ
驥の歩み二萬句の繩あふぎけり
『五元集』
元禄6年(1693年)8月10日、没。
愛知県犬山市の
尾張冨士大宮浅間神社
に西鶴の句碑がある。
本丸の古道うづむ馬酔木かな
西鶴の句
簫吹人留守とはかほる蓮かな
『住吉物語』
濱荻や當風こもる女文字
『菊の塵』
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