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芭蕉ゆかりの俳人
大淀三千風
『日本行脚文集』
巻之一〜四
巻之五
巻之六
巻之七
談林派の俳人。東往居士。
寛永16年(1639年)に伊勢射和の商家に生まれる。
寛文9年(1669年)、31歳の時から45歳まで15年間仙台に住んだ。
延宝7年(1679年)3月、大淀三千風は「独吟三千句」。『仙台大矢数』刊。
天和2年(1682年)、
『松島眺望集』
撰。
天和3年(1683年)4月4日、仙台を立って『日本行脚文集』の旅に出る。
抑愚老身は勢州の産にして、今行脚の首途を奥州仙臺より始し因縁は、予十五歳の春より此俳道にかたぶき、日本修行の心ざし思ひいれ、終にわすられずして、十五年以前先づ松島の名高き気色を一見せめと當所仙府に縁を求めし、
『日本行脚文集』(巻之一)
同年5月、高田で20余日の間滞在。細川春庵棟雪のもてなしをうけている。
細川氏は花逸人。余が爲に床に立しを庭によせて即景を。
貫鳶尾
(ぬきしやが)
の影も風流
(いき)
たる泉かな
梅の榕枝貫鳶尾
(こはえ)
はおための涼風
細川春庵
棟雪
『日本行脚文集』(巻之一)
同年6月12日、越中に入り20日余り滞在。
貞亨3年(1686年)4月8日、御代田町塩野の
真楽寺
を訪れている。
浅真山真楽寺
同年4月、信州から妙義、松井田、
板鼻
、高崎を通り、江戸に下る。
○かくて松枝板橋高崎を過、熊谷に一宿して蓮生法師の寺にまいり、鴻巣大宮うち過て、余
(うづき)
十二日、江戸本町富山氏に着ぬ。
『日本行脚文集』(巻之六)
同年10月から翌4年3月まで仙台の
亀岡八幡宮
に滞在。亀岡八幡宮司山田土佐守千手院興祐は大淀三千風に師事していた。
亀岡八幡宮社殿
貞享4年(1687年)夏、三千風は須賀川の
相楽等躬
を訪れた。
元禄2年(1689年)5月5日(新暦6月21日)、芭蕉は三千風を訪ねたが、三千風は既に仙台を離れ『日本行脚文集』の旅にあった。
三千風尋ルニ不知
『曽良随行日記』
元禄3年(1690年)、『日本行脚文集』刊。
元禄8年(1695年)、
鴫立庵
第一世庵主となる。
鴫立庵
元禄11年(1698年)、九州に趣く。
宝永4年(1707年)、69歳で永眠。
鴫立庵に大淀三千風墓碑がある。
鴫立し沢辺の菴をふきかえて
こゝろなき身のおもひ出にせん
鴫たつてなきものを何よぶことり
享保7年(1722年)、万水堂朱角は
「大淀三千風供養碑」
を建立。
享保8年(1723年)、大淀三千風追善「萬句俳諧奉納記」碑建立。
仙台市の
榴岡天満宮
の碑で最も古いものである。
長野県御代田町の
真楽寺
に歌碑がある。
淺間山あさく見るへき煙かは吾身も終の空にくゆれは
三千風の句
たはこふかはくもりもやせん時鳥
『稲莚』
梅ひとり後に寒き榾火
(ほだび)
哉
『
俳諧
荵摺』
九月迄何蕣の花の疵
『
誹諧
釿始』
作り初花よもみちよ金毘羅会
凩やはりあひもなき不破の関
『金毘羅會』
願かけがねせり戸隠山の時鳥
どぶ見たら姨捨山の月を月
『水薦苅』
蕉 門
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