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大淀三千風

『日本行脚文集』

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巻之五

 貞亨2年(1685年)5月20日、大淀三千風は 出雲大社 を訪れている。



貞亨二丑五月廿日。出雲大社。日御崎詣し。同く杵築。宿坊松林寺に歸り。當寺縁起眺望の一軸し侍れば住衲一詩をたまふ。

 貞亨2年(1685年)6月、大淀三千風は 八重垣神社 に参詣している。

又佐久左の里に八重垣稻田姫の社あり。三重の高棚の形あり。竹木しげり森々たるけはひ。いかさま神宿(かみさび)てさもありぬべき所なり。

 貞亨2年(1685年)6月27日、大淀三千風は 丸亀 から四国遍路に門出。

○四國邊路海道記   今日既に貞享二丑六月廿七日丸龜を首途す。抑此の邊路は弘法大師掟たまふ。信に權化のわざとはいひながら。山海の美景はさらなり。寺社窟江の奇怪。言語同斷の靈邊なり。心あらむ人はかならず一片の結血縁したまへかし。五年三年の觀禪にはまさり侍らん。人の心も柔和(なごか)に。馬上のおのこもおり。柴賤鍬長も笠をぬぐ。大師の陰徳かぎりなき證(しるし)なり。凡道矩(みちのり)四百八十里。四百八十川。四百八十坂。札所八十八箇所なり。達者人(たつさひと)は四十日(よそか)ばかりには結願(けつぐわん)し侍る。予は隈々(くまくま)まてめぐり。あるは橋なく船なき所にては其用をいひ。又宿をおしむ山寺の鳥鼠比丘には。其諫をなし。廢堂あれは壇中をかたらひ奉加帳をかき。再興のもよひあるには。指圖に助言して後代のためならむ事を相談し寺社景書には縁起眺望の記を一軸宛(あて)書。漸々百廿日にめくり果しぬ。今に忘れがたきは此邊路の奇妙。かの一生の咄しの種も此四國に止まむるをや。

○いさやさは讀とも盡ぬ言葉の。歌津寺の札はしめ。世は淳朴の風下の。國分寺をうち過。其皇(すべらぎ)の陵(みさゝぎ)や。天王社ふしおがみ。雲に聲ある松山や。雲の名たての白峰寺。圭典法師に珍談し。眺望の一軸す。

高松城 下に入る。


○やゝ秋の葉もむれ高松の城下に入。繁花の船津。町家五千余宇有。渡邊尚又奥行に。

      ○高松や金ふく風に旅肥し

屋島 を巡る。


○各伴ひ家島めぐりす。だんのうら。内裏の跡。次信墓。洲崎堂。惣門の汀。相引の塚。五劒山。矢くりの島は山陽百里。目の下にみゆ。記を書て。

   矢くり山大の凉風に胸板のうらを書ぬる眺望の筆。

○大窪寺につく。深山幽谷大師加持を題しつゝ。すゞろによめるうたかたの。阿波の國にも入しかば。天雲染る切幡寺。有爲の大路の法輪寺。めぐりめぐりて月の輪の。熊谷寺にやすらひ。やつし姿を井戸寺の。水を鏡の十樂寺。それさへあるを 安樂寺 。黄泉(むつのちまた)をかならずと。地藏寺をぬかつきて。笠の端(は)に入る日まけして。身を黒谷にむすふてふ。金泉寺より西に見る。つゐのとまりの極樂寺の。道の記説し靈山寺。三世の主の觀音寺。紫かほる藤井寺。此身もつゐは燒山寺。もみぢ(※「木」+「色」)のをぬさの一宮。利物の果は淨樂寺。民豊なる國分寺。時を惠める仁風の。徳島堀江氏吟迪子に鞋をぬく。

志度寺 を参詣。


○志度の里。渡邊氏につく。きこふる房崎のうらめづらしく。補陀洛山志度寺の觀音は。園の小尼光明木を波より揚。しらぬ翁の刻給ふとの。靈驗たぐひなし。名翰の畫傳記。什物いかめしう。佛閣巍々。現住所望に長編せし。略。

      ○玉島や松のかづぎし律の調(こゑ)

 貞亨2年(1685年)10月、大淀三千風は 竹林寺 に着き、「五臺山文殊」の記を書いている。

竹林寺文殊堂


○人々追うちて。吸江の美景とて。簟(てん)船に扇帆をあげ。烟の竿一ふくのうちに。五臺山竹林寺につく。記半軸を。

○五臺山文殊   孕山のモミジ(※「木」+「色」)の色は。八不の智劒に砥の粉をふり。吸江の子望月には三世覺母の溜乳を雫く。竹林の黄雀は中々をとなへて。三等の禪宮を守り。五臺の白鴿は空々をうめきて。一如の定殿に賽(かへりまうで)す。信にかゝる寂閑(かみさび)をごそかなる美風には。定朝が獅子も筆よりさきに走り。忠平が杜鵑も扇を離て鳴ぬべし。下略。

禪師峯寺 香福寺をめぐり。 種間寺 に枕す。白紙の般若あり。縁起を書。略。 清瀧寺 の幽谷をながめ。おりふし追風(おいて)も福浦より。三里の一葉半夢のうちに。横波村につく。

是より南方六里 蹉タ(あしすり) 。かねて耳おどろく靈山。蓬むぐら荊畔(うばらくろ)七十八坂の曲徑(まがみち)。脛たゆく臺笠(すげがさ)さへ重げなる。里を離(かれ)たる遠山にて。道をとぶべき柴童もなく。岸は屏風をたてぬれば。たまたま見つけし船よはび。沖津はるかにはぢむら(※「舟」+「鳥」)の。聲ばかりもや答ふらん。ましてやこゝはおどろおどろしき鯨よる浦となん。過し冬月に百五十尾鉄網にとらはれしも。かはゆや大の虫を。世のたつきはいづらはあるべき物を。放生の心こそなからめと。爪彈きしながら陀羅尼手向。法界水躰一味平等に念じて。御寺に着。

觀自在寺 。平城村を過。松尾坂とて土佐伊豫の境をこえ。柏坂の峯渡り日本無双の遠景なり。九州は杖にかゝり。伊豫の高根はひぢつゝみ(※衣偏+「左」)にかたぶく。黄雲南海に蓋すれば。火鼠(ほそ)。煙の浪をはしり。紅日西山を塗ば。天川獺(あまのわはをそ)はもみぢ(※「木」+「色」)の橋に甲を乾す。

佛木寺明石寺大洲 の城下道後屋に泊る。富士(とびす)とて禪刹あり。繁桂和尚の再興。奇麗の精舎。一紙を殘す。

      ○蜩や衆善(すぜに)奉行の枝坐禪

○山の岬(ひたい)かへり見けつ。空のけしきも瑠璃寺や。山の錦の葉坂寺。江原の町を過行ば。大森彦七が古城あり。予むかし彦七といふ謡を作り侍しまゝに。其わたりの俤。すこしもたがはぬこそそうれしけれ。のなたのかたの西連寺。猶たのみある淨土寺の。誓ひもかたき 石手寺 や。八幡の社ふしおがみ伊豫の湯桁の右左。數の名所尋つゝ。しばらくつかれをはらしけり。此鷺の湯は神代の古事あり。長篇の湯記。畧。二日計ためらひて。松山 の城下を過。俳翁一景子のがりまかづるに。都の空にと聞しせうそこして奥に。

      ○松山たはゝに。風月や荷ふちから人。

○國分寺。香園寺 。氷見横峯より見れば。是そ四國第一の高山。伊與の高根。常は石鎚(※「金」+「夬」)山といへり。此本院 前神寺 。宥清法印所望に。當山の記を書。畧。

   鷲の山やまの端かはる月影も伊與の高根を尋てやすむ

   石鎚(※「金」+「夬」)の山どよむまでひゝくかな鉄床颪とがる秋かぜ

      ○みち風敏しこゝに鈍くて鉛むし   氷見   素巖

○小松寺を過。觀音寺村。西山氏一十子に泊る。當所は繁花の地。俳友もあまた侍り。人々饗(もてなし)たまふ。十二日宴じ。俳會日々也。宿の園の躰を見やりて。

      ○稻乳(いなにう)の山を軒端に氣を肥し

         親めく露の夕くれ衣   觀音寺西山寺 一十子

又挨拶に。

      ○松茸や心雫の笠やどり            同

日比耳に調し 琴彈 。八幡山にのぼる。風艶無二なり。當山に十二景を付五尋一軸して。此景頭を謡につくり。章句拍子をつけてうたひし。住持宥儀密衲もめでまどひ。日夜の手皷いと興あり。

   琴彈の山松風に夢さめて幣の追風(をいて)にきけふ船人

9月22日、大淀三千風は 善通寺 に着いた。

五岳山善通寺


○廿二日出釋迦曼荼羅寺。高山寺をめぐりめぐりて。屏風裏誕生院善通寺につく。やがて院衲宥謙力生に清談せしに。徳老も本居(うぶすな)は濱荻の國となん。

西行の庵

彼西上人の撰集抄も。此所にて筆をとめられし。又菴の松そ。我後の世をとへよ松ともよたれ。松はひとりにならんと讀れしを。

   獨來て獨往にし餘波とて獨殘りし松ぞ淋しき

   なき人の筐(かたみ)の松にことゝへば誰が行末も嵐のみして

金刀比羅宮

○人生一世客のごとし。何ぞ今朝別離ならむと。いさめつ諫られて。隣山の金毘羅山に行く。町屋木村氏寸木俳人笠を脱ぐ。同和の友しなけれは響うらなく。先當山にまふでんと二人三人かたらひ。神坂二十餘町をたどる。

○俳の宗匠に挨拶。又兩吟の序を望れしに。

      ○金葉の色に媚けり柳陰

         行脚の月の美玉拾ひし   柳軒   寸木

○かくて陽念(かみなづきはつか)讃州 丸龜 を立。

淡路島

是よりむかひに立る淡路島におもむく。小船うごくとせしが。十日の朝風に岩屋村にあがる。かくて神のむかしの名所名所をながめて。

本の岩屋にたちかへれば。國守の舸(はやふね)に幸ありて。明石の 月照寺 につきにける。漸寒(やゝさむ)になれば旅衣も興つきて。霜月十六日明石を立つ。此道すがらは前巻に記しぬ。大坂に一宿して。古郷伊勢に越年し。明春寅に都にのぼり。東山道にこゝろざしぬ。

巻之六

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