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私の旅日記2012年

水月公園〜碑巡り〜
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下諏訪町東町中の国道142号(中山道)沿いに慈雲寺がある。


慈雲寺の裏山に水月公園がある。

水月公園には41基の句碑・歌碑・詩碑と7基の記念碑がある。

3  曽良 の句碑


夜寒とて人はねぢむく月見かな

大正6年(1917年)10月、建立。

16  芭蕉の句碑


しばらくは花の上なる月夜かな

出典は 『初蝉』 (風国編)。

貞亨5年(1688年)春、「笈の小文」の旅の途上で詠まれた句。

明治36年(1903年)4月、建立。

八十一翁 永機 書。

17 曽良 の句碑


夜もすがら秋風きくや裏の山

元禄2年(1689年)8月5日、加賀の 全昌寺 で詠まれた句。

大正6年(1917年)5月22日、中村其梅建立。

5月22日は曽良の命、日五月雨忌。

18  蕪村 の句碑


不二一つ埋みのこして若葉かな

明治35年(1902年)12月15日、建立。

19  正岡子規の句碑


信濃路や宿借る家の蚕棚

『俳句稿』(明治三十年 春)に収録の句。

明治40年(1907年)3月15日、建立。 内藤鳴雪 書。

24 中塚たづ子の句碑


それゆへに湖の水にうつしてはゆく赤とんぼ

昭和41年(1966年)4月、建立。

一碧楼夫人。夫君と共に自由律俳句の確立に苦闘。
一碧楼没後、俳誌(海紅)の中心者として活躍。

昭和47年(1972年)4月25日、72才で没。

25 其残の句碑


長生きがしたくば御座蓮花の山

昭和5年(1930年)4月、建立。

諏訪市出身。本名岩波鉄三。

其残は俳句を久保島老人に学び、俳画も好。

26 中塚一碧楼の句碑


夏めく心あり水平ならば家郷のごとし

岡山県玉島町出身。自由律俳句の新運動に一声を上げ、
句集6冊を発行。俳誌(海紅)の主催者。本名中塚直三。

昭和21年(1946年)12月21日、60才で没。

昭和25年(1950年)10月、建立。

諏訪湖を見下ろす。


島木赤彦の歌碑、小林一茶の句碑もあったようだが、後日のこととする。

 明治42年(1909年)5月1日、河東碧梧桐は水月園で蕪村と子規の句碑を見ている。

五月一日。快晴。

 今日は 下諏訪社 に詣でた。

 白華山慈雲寺という寺は、帰化した元の僧一山の開山であるが、その境内の背ろに山つづきの高丘がある。亭を営んで水月園という。湖水を瞰下する光景はもとより、遙に富士に対する曠豁な眺望は、諏訪第一の景勝を占めておる。ここに諏訪の句として聞えておる

   富士一つ埋み残して若葉かな
   蕪村

 と共に、

   信濃路や宿かる家の蚕棚
   子規

 の句碑が建ててある。子規居士がこの地を過ぎたのは、「桟橋の記」を書いた、さる二十六年のことであろう、など昔のことを想いながら、寂然と遙かな湖面を瞰下ろす。


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