このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
一碧楼夫人。夫君と共に自由律俳句の確立に苦闘。 | ||||||||||
一碧楼没後、俳誌(海紅)の中心者として活躍。 |
岡山県玉島町出身。自由律俳句の新運動に一声を上げ、 | ||||||||
句集6冊を発行。俳誌(海紅)の主催者。本名中塚直三。 |
富士一つ埋み残して若葉かな | 蕪村 | |
と共に、 | ||
信濃路や宿かる家の蚕棚 | 子規 |
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