飛島の風情に 富めるは われこれを 耳すること久し(中略)
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我は 車上遥かに 其島の狭長なる翆色を望みつつ
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頻りにさまざまなる 空想に耽りぬ(中略)
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われは車夫より この島の趣味ある物語を聞きつつ
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海上十数里を隔てたらんと覚しきその小さき島を幾度となく
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打見やりぬ(中略)
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酒田にやどりし夜は月明かにして積水千里転た旅情の寂寞た
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るに堪えず 則ち歩して日和山に登り遥かに過ぎ来し方を顧
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るに 金波閃々として山翆微茫 宛然夢中の景に似たり
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田山花袋、「羽後の海岸」より
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田山花袋
群馬県館林に生まれ、明治文学に大きな足跡を残した自然主義作家。明治36年(1903年)の夏、秋田から人力車に乗って羽後の海岸を南下し、酒田に1泊、翌日最上川沿いにさかのぼって行った。「羽後の海岸」はその時の紀行文である。
河村瑞賢翁像
河村瑞賢翁は元和4年(1618年)伊勢に生まれ、すぐれた独創力と行動によって江戸屈指の豪商となった。寛文12年(1672年)幕府の命により、出羽の幕府米を酒田港から江戸に回漕する西回り航路を開発し、わが国の米穀・紅花などの流通と海運の向上に大きく貢献した。
これにより酒田港の名声は全国に高まり、日本海有数の良港として繁栄する基礎が築かれたのである。
伊東不玉の句碑、正岡子規の句碑などもあったようだが、時間切れである。
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