このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2019年の旅日記

戎ケ森児童公園〜種田山頭火の句碑〜
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山口線湯田温泉駅から新山口駅ヘ。


新山口駅から山陽本線で防府駅ヘ。


防府市八王子に戎ケ森児童公園がある。

自由律俳人種田山頭火

 本名は種田正一、明治15年12月3日防府市八王子に生れる。( 生家 はここから北へ約300メートル)。周陽学校(現・防府高校)卒業、早稲田大学中退、 萩原井泉水 に師事し自由律俳句に没頭した。大正14年、44歳で出家し熊本の 味取観音堂 の堂守となったが、全国を行乞、漂泊する俳人となる。7年間の漂泊の後、小郡に 「其中庵」 を、ついで湯田に 「風来居」 、松山に 「一草庵」 を結び、昭和15年10月11日松山に没す。行年59歳。

 山頭火の独自な境涯から詠まれた自由律俳句は高く評価され、俳名は全国に知られている。

 墓は市内本橋町、護国寺境内にある。(ここから北へ約800メートル)。

 句碑は昭和29年10月10日、友人有志により建立された。

防府市教育委員会
防府市観光協会

戎ヶ森児童公園に 山頭火の句碑 があった。


雨ふる故里ははだしであるく

『行乞記(三)』に収録の句。

 昭和7年(1932年)8月26日、山頭火は 川棚温泉 を去り小郡へ。9月4日、其中庵の土地と家屋とを検分する。

 あの其中庵主として、ほんとうの、枯淡な生活に入りたい、枯淡の底からこんこんとして湧く真実を詠じたい。

 いつも尿する木の実うれてきた

 秋雨の枝をおろし道普請です

・雨ふるふるさとははだしであるく


『草木塔』(其中一人)に収録。

 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、5番目の山頭火句碑である。

 この句碑は、明治四十四年頃、三田尻「椋鳥句会」で、山頭火と同席していた縁もあって、市内車塚の医師で俳人の故柳星甫(本名義雄)が発起人となって、友人が生家跡に近い戎ケ森に建立したものである。

 当時は、この自筆句が見当らず、 大山澄太 先生に揮毫を依頼し、碑石は、右田地区で農道改修により不用となっていた小川の石橋を見つけ、再利用したものといわれている。

 『山頭火句碑集』

「アパホテル山口防府」の駐車場にも種田山頭火の句碑があった。


あたたかく人も空も

昭和5年(1930年)の句らしい。

平成4年(1992年)6月1日、建立。

出典は不詳。

 平成20年(2008年)11月17日、「サルビアホテル防府」は山口県第一号ホテル「アパホテル山口防府」としてオープン。



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