このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

恵林寺〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

西沢渓谷 から国道140号を下る。

甲州市塩山小屋敷に 恵林寺 (HP)という寺がある。


臨済宗妙心寺派 の名刹である。

元徳2年(1330年)、創建。夢窓疎石開基。

永禄7年(1564年)、 武田信玄 は菩提寺と定めた。

恵林寺三門


 天正10年(1582年)4月3日、近江の佐々木承禎らを秘かにかくまい逃れさせた快川和尚に 織田信長 は怒り、国師はじめ100余人の僧侶らを三門へ集め火をつけた。

安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し

信玄の歌碑


大僧正信玄

誘引ずばくやしからましさくら花実こんころは雪のふるてら

 貞亨3年(1686年)、大淀三千風は 差出の磯 などを見て、恵林寺 を訪れた。

○かくて甲府を立つ。さし出の磯、鹽の山、鵜飼寺を見て、かの信玄公菩提所、乾徳山惠林寺に案内して、荊山老和尚に謁し、旅行のはふれをはらす。當寺は古跡にて境内二里四方、殿閣重重(づしやか)に靈寳みな昔を戀る。種(くさはひ)也。例の虫喰牙を噛出し、長編を半軸記す。


佛舎利宝塔(三重塔)


 天明8年(1788年)3月17日、蝶夢は江戸へ下る途中で石牙に伴われて恵林寺に参詣した。

 十七日、主のともなひ、恵林寺へ詣る。御醍醐の朝に二階堂の本願にて、夢窓国師の開基なる。境内に古木おひ茂りて精静の禅林なり。山門額に、【雑 華 世 界】とあり。両袖桜。


明王殿


明王殿の前の小さな池に芭蕉の句碑があった。


古池や蛙飛こむ水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、 深川芭蕉庵 で詠まれた句。芭蕉42歳の時である。

文化12年(1815年)10月12日、建立。

明治37年(1904年)11月23日、 伊藤左千夫 は恵林寺を訪れている。

恵林寺の門の長道二側に栗の並木は落葉せりけり

昭和40年(1965年)6月、 水原秋桜子 は恵林寺に立ち寄っている。

   帰途、塩山の恵林寺に立寄る

水無月や庫裡見通しに庭牡丹

雨蛙大寺をまもる僧二人

『殉教』

山梨万葉温泉 へ。

私の旅日記2009年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください