このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

月江寺〜高浜虚子の句碑〜
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富士吉田市下吉田に月江寺という寺がある。

月江寺・月江寺の池

 当寺の開基は「雲遍上人」という方で、貞永3年(西暦1234年、鎌倉時代)に焼失していた摂州四天王寺別院「山の寺吉田寺」の跡に、富士山別当弥光院(天台宗派)を再建いたしました。現在も北口本宮冨士浅間神社参道に仁王門の礎石が残っています。

 この弥光院もその後廃絶してしまいましたが、応永2年(西暦1395年、室町時代)になって、塩山 向嶽寺 八世絶学祖能禅師が、弥光院を再興し、改めて「月江庵」と称し、開山いたしました。

 その後しばらくして無住寺院であった「月江庵」を秋元越中守の招請により、禅心聖悦禅師が妙心寺派の禅寺として中興し、現在に至っております。

 月江寺の池は、広さ2,800㎡。透明な湧水を満々とたたえ、昭和30年代はボートを楽しむ住民でにぎわいました。

下吉田まちづくり研究会

月江寺の池


本堂に向って坂を上ると、左手に 高浜虚子の句碑 があった。


天高しこゝの句会に来し我に

 昭和21年(1946年)9月1日、月江寺の「ホトトギス六百号記念山梨俳句大会」で詠まれた句。

昭和45年(1970年)4月8日、岳麓ホトトギス会。

月江寺本堂


臨済宗妙心寺派 の寺である。

林家の墓地にも虚子の句碑があった。


羽を伏せ蜻蛉杭に無き如く

  高浜虚子 が句会に先立って月江寺の故林鞆二の墓に詣でた時の句。林は新蕎麦会同人。

昭和27年(1952年)6月、建立。

 同じく下吉田の月江寺墓地にこの句碑はある。昭和二十一年九月、ホトトギス六百号記念句会同寺で催されたとき、虚子翁は親しく林鞆二の墓前に詣で、この作があった。そこで白雨氏やその他の人々が協力し、てんでに土を盛ったり石を運んだりして、昭和二十七年六月、句碑が建立された。高さ二尺四寸、幅一尺二寸の扁平な碑である。鞆二はこの地の一洋傘職人であったが、病弱な身で大勢の家族をかかえ、苦しい生活と闘いながら、句作の道に精進しつつ、昭和二十一年に歿した。


「ホトトギス六百号記念下吉田大会。富士山麓下吉田、月江寺。林鞆二の墓に詣る。」とある。六百号に関した句ではないが、あたりの澄んだ空気と静寂さがひしひしとせまつて来る。

『虚子一日一句』 (星野立子編)

 昭和34年(1959年)、 富安風生 は月江寺の月の江句会に参加。

   月江寺 、月の江句会にて 二句

愛と詠み恵と讃へ大泉

盆の供華抱いて泉にうつり過ぐ

『愛日抄』

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