このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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秋雨止まぬ栗子の山。
当初の予定よりもやや時間遅れで下山し、
その東西栗子トンネルの合間にあるラーメン屋にて昼食を取る事になった。
気になるのがこの後の予定である。
一応、予定では福島側旧道へのアタックである。
ただ、雨天の中やや押し気味の時間で、はたして隧道まで行けるのか?
と言う会話がもれた。
しかし、福島側未到達のMR氏としては坑口へ行ってみたいし、
熊五郎氏、とら氏はまだまだアツイ走りをしたそうである。
とりあえず行ける所まで行ってみよう、と言う話となり、
ひとまず休憩となった
採石場を抜け現道へもどり、全長2675mの西栗子トンネルへと突入。
湿気が充満する長大トンネルを走り抜けていた時、
僕はある光景を思い出していた。
忘れもしない、あの一年前の事を。
晩秋の万世大路。 夏場には一車線分を残して路面を覆っていた草は枯れ、 変わりに紅葉に彩られたかつての大路が姿を現す。 この福島側の大幅員区間は個人的にお気に入りの場所である。 イマイチ遺構に欠ける山形側に比べ、 福島側は非常に各区間変化に富んでいると思う。 オンロード車ではキツイが、オフバイクや4WD車なら結構気軽に楽しめる道ではないだろうか? 「あの場所」を越えるまでは。 | ||
しばらくして、この福島側の見所の一つである 二ツ小屋隧道が現れる。 初めてここに訪れた熊五郎氏と とら氏は、 隧道の威容に大いに感銘を受けたようだ。 また、すでに何度か訪れているMR氏も ここは福島の誇るべき文化遺産であると感じているそうだ。 本来、万世大路の主役とでも言うべき栗子隧道よりも 豪壮な印象を受ける二つ小屋隧道。 しかし、良く見るとピラスター(坑口両脇にある柱のようなもの)を除くと 実は殆ど栗子隧道同じデザインの坑口であるのに気付く。 このピラスターのあるなしで隧道の印象が大きく変わってしまっているのだ。 この二つ小屋隧道、どうやらかなり崩れやすい地質の所に掘ったらしく 明治の開削時、後年の昭和の大改修の時にも落盤事故があったそうだ。 二つ小屋隧道の坑口にかかる圧力を支える為にピラスターで補強したのであろう。 ただ単に装飾の為でなく、あるべくしてあるのである。 一方、栗子隧道の方は反対に岩盤が固い地層に掘られた為に ピラスターを付けられなかった、と言う事であろう。 まあ岩盤が固いといっても、 長年の風化には耐えられず内部で大崩落を起こしてしまったが | ||
二ツ小屋隧道を抜けると、一度烏川の谷間へと下りていく。 地形に沿い、曲がりくねったやや傾斜のきつい道を進んでいった先に 灰色の人工物が見えてくる。 烏川橋だ。 今回は草が枯れていたお陰で橋の全景が撮れた。 橋の上で談笑するMR氏と熊五郎氏が、旅の一風景って感じで良い。 80年近く経った今でも、橋台は頑強に橋桁を支え続けているが 上部は末期的ともいえる風化度合いを見せている。 欄干は半分以上欠けており、橋と路面の間が徐々に崩れ続けている。 こんな橋よりよっぽど手入れがされている麓の兄弟は撤去され、 放置されているがゆえ、今だこの橋は自己責任において四輪をも通している。 | ||
烏川を渡った後、再び道は上昇し始め名無しの峠へと向かう。 この峠を越えるとまたしても道は谷間へと降りる。 さて、この画像は名無し峠の辺りで後方にいる MR氏から撮られた自分の背中であるが、 この時、実は刻一刻と近づいてい来る「あの場所」へ不安で一杯であった事を白状する。 あの場所。 去年、栗子隧道より帰還している際、危うく落ちかけた『 あの場所 』である。 | ||
ついに太平集落跡まで到達。 先行していたとら氏、熊五郎氏が広場で待っていた。 ここまで辛うじて車道として生きながらえていた万世大路も ここから先は4輪車100%不可のカオス区間となる。 そして、このカオス区間を作り出した原因であり、 去年、自分を恐怖のどん底を突き落とした『一本橋』が待ちうけているのだ。 しかも今回は雨、更に突っ込む車両は去年より大きくなっている。 不安は募る。 しかし、やはり自分も隧道へ行きたい。 一度、到達しているとは言え、まだ遣り残している事がある。 覚悟を決めヤブの海へと突入する | ||
見よ!この腰の引けた姿を! 。 こういう箇所は落ち着いて一気に渡ってしまった方が安全なのだが、 どうしても一昨年の恐怖がよぎりガチガチになってしまう。 そのため余計な力が入ってしまうため体勢が不安定になり、 反対に危険を増大させてしまうのだ 特に恐ろしく感じたのが一本橋終端部分。 ここ、少し傾斜になっているのである。 実際、去年落ちかけたのがその場所である。 「もしもまた、バランスを崩したら・・・」 と思ってしまってしょうがない。 だが、今回は悪条件だけではない。 たった一人で向かった去年と違い、今回は同行者 しかも頼れる同行者が3人もいる。 画像にもあるように万一に備え、熊五郎氏がサポート。 また前後からMR氏、とら氏がアドバイスを飛ばしてくれた。 こうして、なんとか他の方の助けをかりつつ、 へっぴり腰になりながらも何とか突破。 はー、取りあえず越えられた〜。 帰りも通らなきゃならんけど。 この後、殿のMR氏がさくっと突破し4人で万世大路最深部へと入っていく | ||
一本橋を越えたすぐ先に太平橋が現れる。 この時、現役の橋のような綺麗な状態であったが 以前はこの橋の上もだいぶ混沌とした状態であった。 ↓参照画像(2006年10月) しかし、大量に絡まっていたツタは剥ぎ取られて、 数十年ツタに隠されていた欄干が姿を表していたのである。 (画像中央に溜まっているのが剥ぎ取ったツタであろう) さて、この橋の清掃作業。 さぞや人数をかけて行なわれていたと思いきや・・・ これすべて個人で行なったものであるそうだ。 しかも何の見返りも無い善意の作業である これは偉大だとしか言いようが無い。 この行為によって、もしかしたら橋の損傷進行度が 数十年分抑えられたかもしれないのだ。 この太平橋復旧作業をした人には本当に敬意を持たざるを得ない。 | ||
万世大路と呼ばれたかつての道を進む。 前回と変わらず、カオスな道程である。 だが、前回はカブ一台が通るのでお腹イッパイと感じた道が 今回バイクが十分通れる状況であると感じた。 無論、前回来た時より植生が収まった時期に入ったのもあるが、 枝打ちや草刈り等の人の手が入った跡があるのだ。 おそらく、これは太平橋の作業とは別の ① で述べたトレッキングツアーに合わせたものであろう。 バイクが入ってくる事を念頭に入れたとは思わないが、 4輪とは違い、人が通れる所なら大体いけてしまうのが2輪の強み。 あまりにも前回より状況が良くて思わず 「アレ、去年ココ通ったっけ?」 と一同を戸惑わせる発言をしてしまった程である。 しかし、後半の九十九折れを越えた先に現れる倒木連発区間は相変わらず。 少々、ここは手間取った(少なくとも自分は)がなんとか突破。 ココを越えれば隧道はすぐそこだ! | ||
栗子隧道、登場! が、その前に沢渡りがお待ちかね。 大きく抉れた段差を勢いをつけて突破・・・ したかったがご覧通りとら氏、熊五郎氏のサポートをえてようやく突破。 ああ、今回は助けられてばっかだ・・・。 | ||
ともあれ、全員坑口前まで到達。 コレで今回の探索は一応の達成をみた・・・ いやいや、今回は逝かせて貰いますよ。 |
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