このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
酔った勢いで抽選エントリーの電話をかけてしまったプレミア焼酎を買うことができた。抽選確認をすると「ご購入ありがとうございます・・・。」というアナウンス。酔った勢いだけで電話をした訳じゃないが、あの“森伊蔵”大先生が我が家にやってくるのである。「当たってしまった・・・。どうしよう・・・。」とおたおたしてしまった。我ながらミーハーだ。
とにかく(直で取りに行くのもめんどいし)送ってもらえるよう手続きをし、7月の16日に無事受領となった。ここでどこから情報が漏れたのか(爆)、“
九州焼酎芸能ニュース
”にこのことが掲載されてしまった。
もう、「有益な活用を考慮する。」としか言えない。そんなときに天の助け。
石原けんじ大佐先生
から電話があったのである。 大佐先生:「goiちゃん。もう掲示板の報を見て知っていると思うけどさぁ、
26日の晩だけどヒマ?」
私:「また何かやっかい事じゃないでしょうね。“
千代司
”はあげませんよ。」
大佐先生:「違うって(爆)!!じつは
横酎
のなかむらさん(<元のHNは“な
かなか”さんでした)御一行が宮崎に来られるらしいとよね。で、
これをマターリ隊の精鋭で迎え撃とうと思うっちゃけど。」
私:「ほっ・・・(胸をなで下ろす)。そげな事ですか?よかですよ。何時から
ですか?え・・!?19時くらいから。ちょっと微妙ですけど、間に合う
ごと鋭意努力します。」
この電話のやりとりをしながら悪い考えが浮かんでしまった。なぁんだ、歓迎にかこつけて、“
森伊蔵
”を有益に飲んで騒いじゃえば良いんだ・・・。運が良ければ皆さん、酔いと忘却の彼方に私が“森伊蔵”を購入したことさえも忘れてしまうかも知れない。うひひひ・・・・。
この後(といっても当日の夕方であった)、急遽、都城の
柳田さん
と渡邊幸一朗専務の参加が決定したという緊急電を受ける・・・。ちゅーことは、このお二方とけんじ大佐先生と私の4人が関東の強敵とがっつり組むという構図になったのですね。
で、仕事の進行具合で約束の時間に遅れながらも、発泡スチロールの箱に入った1升瓶と、“森伊蔵”だけでは何か寂しいからと“伊佐美”も抱えて会場の“みょうが屋”の中へ入ったのでした。 お店の中はいつも通り混んでいる。だが何かが違う。子供のはしゃぎ声がするのである。子供がテーブルの周りを走り回っていたのだが、大佐先生のお顔が見えたのでそのテーブルに座ることとした。
「みょうが屋に子供?しかも3人。アットホームな感じで良いねぇ・・・」などとボケーッと考えているうちに大佐先生の音頭で乾杯となる。
早速、挨拶をさせていただいてお話しをお伺いしたのだが、実はなかむらさん、ご家族での宮崎入りだそうで、席の斜め向かいでは奥様がやんちゃ盛りの兄妹2人をかかえられていた。なかむらさん(右前)の一つ奥に座られている女性が今回の訪宮にご同行されたNさんだ。
もう一人の女の子。実は渡邊専務のお嬢様だそうで、奥様に抱かれていたところに挨拶をしたら怯えられてしまう・・・。
私の向かいにいた石原けんじ大佐先生は、横に座られる凛々しぃお顔の男性に質問攻撃を浴びせていた。
その波状攻撃に一つ一つ丁寧な回答をされていたのが“柳田酒造の五代目”柳田正さん。初めてお会いしたが、この画像の笑顔の通りの人でした。
なかむらさんと大佐先生は二人して「イオン交換濾過を柳田酒造が大分の蔵に普及しなければ、今日のブームはなかった。つまり麦の桶売りによって数多の鹿児島の焼酎蔵が救われたこととなる。柳田酒造バンザーイ!!」と叫んでおいでだったが、この技術普及が無かったときには鹿児島の焼酎蔵元は現在の半分も残っていないかも知れないと言うことだから、本当にすごい。
それにしても、“みょうが屋”の肉は変わらず美味い。行ったことのある方ならおわかりいただけるだろうが、あの値段で黒毛和牛を堪能できる。最近、ミヤチク(JA宮崎経済連系列の精肉会社)が銀座にステーキハウスを出店するという記事があったが、そのランチメニューの値段で黒毛和牛のコースが食べられるカバ安の値段設定・・・。
そしてその焼肉をつまみに、現行、絶版多数の焼酎を持ち込まれたなかむらさんと“みょうが屋”にこれまた多数の焼酎をため込む石原けんじ大佐先生の焼酎合戦が始まるのであった。それにしてもさすが
横浜焼酎委員会
に所属されるなかむらさんだ。そのうんちくたるや、もの凄くお勉強になるわけですね。ふむふむ・・・とお話を伺っていたら、大佐先生が“
富代
(麦・40度、絶版)”や“
千代司
(同じく絶版)”を持ってくる。負けじとなかむらさんも“宮崎の女(門下酒造<今の王手門酒造)”や吟醸粕もろみ取り焼酎“益子の炎”を出したりするものだから、エスカレートする一方だ。そしたらけんじ大佐先生が“園の露”の長期貯蔵、“文蔵”のデットストック古酒等々引っ張り出してくるのである。
こりゃ歯止めをかけなければ・・・ということで、この合戦に横槍を入れた。プレミア焼酎の登場である。 今は麦焼酎“駒”で知られる柳田酒造だが、やはり南九州の蔵元。イモ焼酎を造っていた時代も当然あるという。柳田正さんが伝聞で聞いたり、記憶の中にあるのが“千本桜”という銘柄。これは友人のつてで手元にあるという。これより一つ前に“玉の光”という銘柄があったというが、柳田さんのお祖父さんが造られていたこの焼酎は流石に見つからない。「探してくださいよ。」と笑われていたが、難しい・・・。けんじ大佐先生、その役目、お願いね。
柳田酒造は“赤鹿毛”という麦の新製品を出された。常圧と減圧の中間の温度で蒸留する、つまりは“中圧”の焼酎だとか。まだ飲んだことはないけれども、大佐先生曰く、美味い焼酎だという。
この後、「どんな焼酎を造りたいんですか?」とけんじ大佐先生の質問攻撃は更に続くこととなる。
柳田さん:「中圧〜常圧の焼酎を・・・。」
柳田さんと大佐先生が座られていた空間は急激に2人だけの閉鎖的なものとなったのだろう。会話される声が他のお客さんの談笑に消えていく。聞き耳を立てていたが全くの無駄であった。
仕方がないので“みょうが屋”にあった“
駒(長期熟成・25度)
”を飲んでいた。減圧蒸留と言うけれども、苦みのある風味が心地良かったのだった。 やはり、当然ながら座はどよめくのである。この時、けんじ大佐先生の先輩であるKさんが遅れて到着となった。席に着いたところでいきなり“森伊蔵”をドバドバとつがれ、目を白黒されている。みんなに惜しげもなくついで回る。“幻の・・・”などと呼ばれている焼酎である。独り占めしたってしようがないのだ。人にあげてこそ、皆に振る舞ってこそなのである。暗いバーでうんちくを垂れたり、家で一人で飲んだところで、美味しくないと思うぞ。
初めてまともに飲んだ“森伊蔵”であったが、大隅らしい焼酎だなぁ・・・という印象であった。場の雰囲気というファクターにも因ったと思うのだが、普通に美味しかったのだ。生で飲む方が美味しかったので、チビリチビリやっていた。
“伊佐美”の封を切ったところでなかむらさんが瓶を取り上げた。両手にプレミア焼酎を持ってご満悦。
渡邊幸一朗専務、そして専務の奥様。席が離れていたこともあり、余りお話しすることはできなかった。なかむらさん及び柳田さんの奥様、そしてNさんと子供の話で盛り上がっていたようだ。うちのwifeも連れてくれば良かった・・・と後悔。
・・・この行動が後々、彼の酎生に大きく影響を及ぼす事になろうとは氏も思いもしなかったであらふ(爆)。
なにやら密談中・・・と言うわけではない。
大佐先生は“文蔵”デットストック古酒の美味さをKさんに力説されるのだった。
いつの間にか“森伊蔵”が卓上から無くなっていた。代わりに透明瓶の中身が白濁した正調粕取り焼酎“
富源
”がある。この焼酎、外見からは想像が難しいその穏やかな旨みが病みつきになる。
「美味い!!」という皆様のお言葉に気をよくされたのか、この焼酎の購入者である大佐先生はとなりのテーブルのお客さんにまで注ぎ回っていた(爆)。
・・・楽しい時間もここまで。次の日に子牛セリ市を控えていた私は先にお暇することとした。大将にお礼を言って店を出ようとすると、無造作にP箱に差し込まれた“森伊蔵”が目に入る・・・。これこそ焼酎だねぇ・・・などと訳の分からないことをつぶやきながら店を出たのであった。 (04.07.28)
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|