このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

(05.12.09)
島風の旅人うにさん が宮崎入りされるという。

そう“日向の焼酎参謀 石原けんじ大佐先生 よりお教えいただいた11月の下旬であった。

日程は12月の10日あたり。今年の航空祭は例年と違って土曜日の9日に開催が予定されていたから、「これは大丈夫だね。」と当日を心待ちにしていたのだった。
で、12月4日。私ら家族は平和台公園で“はにわ”と戯れておったりしたのです。空は晴れ間がのぞきながらも、はらはらと霧のような雨が舞っていた。“八紘一宇塔”から日向灘を望むと、手の届きそうなところに二重の虹が出ていた。

携帯電話が鳴る。大佐先生だった。

大佐:「ごいちゃん、今日だけどさ。大丈夫?」

私:「なにがですか?」

踊り子のはにわのように丸い口をしながら、間抜けな声で質問してしまった。

大佐:「前に言ったやん!!4日にうにさんが来るって!!」

私:「えぇぇぇぇっっっっっっ!!!!!!!」

聞けば、たった今、蔵見学の道すがらなのだそうだ。はにゃぁ〜・・・。

しまった。心よりすみません。どうやら私。勘違いしていたようです。幸い、晩のおかずも決まっていなかったことが救いであった。ひさびさの“
みょうが屋”ですよ。うししし。
7時半の開始ということでしたので5分前にみょうが屋へたどり着いたのであるが、すでにお二方。席についておいででした。

うにさんとは 以前 、私の東京出張の際にお会いして以来だ。あの後何度かうにさんには宮崎においでいただいているのだが、すれ違いの連続であった。
日向マターリ隊が 島風の旅人に出会った。
生ホルモンをつまみながら、とりあえず生ジョッキで乾杯。

聞けば、うにさん。宮崎にはこの日の朝に飛行機で到着されたという。その後は大佐先生と合流。そのまま“ 赤鹿毛 ”の 柳田酒造 と“ 旭 萬年 ”の 渡邊酒造場 をじっくりゆっくり回られたという。ちゃんと日程把握をしていればこの蔵元行脚への参加ができただけに、口惜しくてたまらなひ・・・。

“萬年”の渡邊酒造場もそうだが、南九州の原料かんしょ生産も今年最後の収穫を迎えつつあり、仕込みのほうも一向が蔵の方へ到着した朝に終えたばかりだそうだ。蒸留したての焼酎を飲ませていただいたそうだが、口に含んだうにさんの感想によると「新酒とは思えないくらい完成度が高い。」とのこと。大佐先生はドライバーのため飲むことができなかったらしく、ちょっと悔しそうなお顔をされていました。

年が明けると今度は麦焼酎の仕込みがはじまります。

・・・ん?女将さんがサガリ、カルビのお皿を持ってこられたですね。肉、肉、肉・・・。
網の上で今か今かとお箸につままれるのを待っている肉にはお待ちいただいて、コンテンツ用に撮影をさっさと済ませる。

うにさんも最近導入したというEOS-Kiss digitalを手に・・・。それにしてもボディがコンパクトでホールディングがよさそうですね。触らせていただけばよかったにゃぁ・・・。
ジョッキが空いたところで大佐先生は焼酎の陳列棚へと消えていった。

その間、うにさんに今後のスケジュールなどを伺ったのだが、私のサイト。どうやら周囲に悪い影響を振りまいてしまっているようで、帰路は熊本から「ぶる〜とれいん」への生涯初乗車を計画しているのだそうだ。

九州と関東、関西を結ぶ寝台特急は併結運転という運行で共に1本ずつ(前者が「はやぶさ・富士」、後者が「なは・あかつき」)しか残っていないから、“伝統九州行き長距離列車”に乗る機会はもうあとわずかしかないと言える。

乗ったら最後、常習性があるのが難点といえば難点(爆)。うにさんにはぜひとも夜行中毒にかかっていただきたかったのだが・・・。

・・・そのようなことを話していたら、大佐先生が豊永酒造の“
ゆ乃鶴”と“”、“ 旭 萬年(20度) ”を持ってこられた。
“駒”を生で味わう大佐先生となぜか女将さんに面倒を見ていただいているうちの長男(非常に助かりました。ありがとうございます)。

続けて運ばれてきたロース、フィレをじんわりと焼きつつ、小難しい話や馬鹿話を繰り広げていったのであるが、思わぬところに脱線しそうになってしまった。私の隣に座っていた妻は冷たい視線でこっちを見ている。ああっ・・・。

そのような事態が繰り広げられる真正面に座っていた大佐先生。肉をひょいっと箸につまんでから、コップに残っていた焼酎をあおるようにして飲まれている。そして(こっちはいろいろと火の車状態なのに)またやっう゛ぁい話題が展開されていくのであった・・・。

ホルモン、レバー(これが非常にうまかった!!)等を平らげ、そして締めくくりのにんにく焼き飯がテーブルに乗ると、このみょうが屋の楽しい時間もお開きとなる。だが、私としてはこのまま終わらせたくなかったのだ。で、何とか強引に妻を拝み倒してあるミッションを実行に移したわけだが、これがねぇ・・・。実はニシタチ哲学を語る上ではずせない“
うどん”を食したかったのです。

でもね。でもね。長男が風邪を引かないように上着でくるむように抱いていったにもかかわらず、うどん屋は閉店していたのだ・・・。おぉぉぉぉぉ。そして、私は妻に自宅へと強制的に連行されることとなった。げふっ・・・。


翌朝。仕事に向かう車のステレオから道路交通情報が流れ出す。喚起の流れ込みによって、夜のうちに振った雪が宮崎を半「陸の孤島状態」してしまっていたのだ。そのため、うにさんはスケジュールの変更を迫られ、せっかくの夜行列車初体験が“ウヤ”となってしまったそうである。


最後になりましたが、皆様。お疲れ様でした。うにさんにおかれましては、次回の来宮の際もぜひとも声をかけてください。よろしくお願いいたします&ありがとうございました。
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