このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
西行峠
geocitiesが容量一杯のため
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羽床の「西行峠」を探し回ったが、長谷(ながたに)地区で何軒かお訊ねしても、どなたも「西行峠」というのは知らない。
「綾上町誌」に載っている「西行さんといわれる小堂」の写真も、ご存じない。
綾川町役場に問い合わせたら、丁寧なご回答を頂いたのだが、山中では目印となる建物があるわけでもなく、位置を見極めるのは非常に困難である。
何度も探索しているうちにふと、西行峠のお地蔵さんをご存知のご高齢者にたまたま出くわして、近くまでご案内していただいた。ところが尾根に登ると笹や雑草が背丈ほども生い茂り、ほとんど諦めかけながら、ヤブこぎをしていたら、遂に・・・見つけました。「綾上町誌」の写真どおりのお堂と石像物。
現地を知る方にたまたま出くわさなかったらまず発見は無理だったろうと思います。感謝申上げます。
西行峠の西行堂
(内部) 西行像と碑文
西行堂再建は昭和28年4月15日となっている。(再建ということはそれ以前にもお堂があった。)
だから碑文はまったく風化していない。
(西行堂) 碑文と西行像の背中 (西行像は白峯の頓證寺にあるものより立派)
「明月も人に教
る
西
へ
行」(
青
字はちょっと読み取れません)
側面には「文化十三丙子秋日」
背面には「無塵庵 湖畔 時年六十二」と彫られている。
背面はこの碑文を書いた人の雅号と年齢か。(無塵■はネットで表示できませんが、「庵」の異体字)
西行峠への行き方
県道185号線を羽床上に向って走ると、羽床上農免道路の看板が見えてくるので、これを右折、西蓮へ向う。
西蓮で農免道路が突き当たりとなるので、T字路を右折すると、すぐ左手に次の「西蓮林道碑」が見えてくる。
この碑の地図に従って、林道を登る。途中で道が左右に分かれている所があるが、左へ進む。
「西蓮林道碑」
この先、急に道幅が狭くなっている。普通車はここまで。
舗装はされており、軽自動車は何とか走れるが、竹が倒れ掛かっていたりして、注意がいる。
右側に電源開発KKの送電鉄塔の保安用細道が見えたら、もうすぐ。
道幅が狭くなった地点から軽自動車で1〜2分(普通車を降りて徒歩で5分ぐらい)のところで、右手の竹やぶを登る。
竹やぶに向ってすぐ右手が小さな尾根状態になっているので、それを登るとあまりヤブこぎせずに峠の西行堂まで行ける。
ちなみにこの道路はあと1分ぐらい歩くと、舗装道の行き止まりとなる。その奥にまだ踏み分け道のようなのが続いているようではある。
しかし、気温が上昇してからは山中に踏み込むのは
危険
である。
西行庵
正面
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内部
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