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★★★特急「ひばり」リバイバル運転情報★★★   運転日:(上り)9/21・(下り)9/22  列車番号:9003M・9002M 主な停車駅:上野・大宮・宇都宮・郡山・福島・白石・仙台  運転時刻:(上り)仙台1146①番入線1225→白石1310→福島1342−1350①番→郡山1429−1435→宇都宮1619−1621→大宮1739−1739→上野1805⑯入線 (下り)上野853⑭入線911→大宮937−940→宇都宮1056−1056→郡山1255−1258→福島1340−1344→白石1418①番入線→仙台1454①入線   使用車両:583系N21編成青森車9両編成  ◇車内で販売されたもの◇ リバイバルひばり号特製弁当(1000円) リバイバルひばり号キーホルダー2種類(1種類1200円) リバイバルひばりオレンジカード(郡山まで、販売。2種類2000円)   



仙台〜上野間完全乗車!特急「ひばり」乗車レポート

鉄道ファンマナー向上の為にここを一読ください

[はじめ]
2002年6月22日、盛岡〜上野間を東北新幹線大宮開業20周年を記念し、東北新幹線開業まで活躍していた特急「やまびこ」の復活運転がなされた。興味は、大いにあったが金銭上の問題などにより、今回はやむを得ず断念することになった。しかし、この時から「一度は東日本のリバイバルは行ってみたい」という感情が芽生えるようになる。それから1ヶ月くらい経った7月19日の朝、いつものようにHP更新のためにネットをしていたらリバイバルひばりが9月21・22日の両日、上野〜仙台間をリバイバル運転をするという情報を入手したのである。思案に思案を重ね8月16日に往復乗車という旨を親友T氏に伝える。T氏は、何でも知っている駅員が居るので前回のしおじの時も一時窓口を閉め、発券作業をしてくれたこともあったそうだ。また、運のない自分よりも月光・しおじとはとを乗車出来たという運などの観点から T氏に依頼することになったのである。8月21日、午前10時運命の第1Rが始まる。だが、T氏は当日は仕事のために結果が届いたのは午後11時を回ろうとした頃であった。結果は、「OK」でこれで片道の乗車が決定する。しかし試練はこの後であった。翌22日の第2Rは、団体客(後になって仙台地区の団体と判明)などで席が取れなかったという連絡を受ける。八戸開業後、583系が廃車になるという噂もあり、何としてもキャンセル待ちで乗車券が取れるようにとただ祈るしかなかった。 残念でならないのが、また今回もネットオークションで自分の入手した余分のチケットを出している人が居たのだ。 「ネットオークションに出すくらいのなら、キャンセルすればいいじゃないか」と思ったりもした。T氏は、出発する19日までには券を発送する旨を自分に伝えていたのでタイムリミットは16日で、そこからは、直前まで粘ろうと 決心をしていた。そんな思いと親友T氏・T氏と仲の良い駅員さんの熱意が通じたのか9月8日、ついに22日の切符も入手できたのである。かくしてリバイバルひばりの往復乗車がこれで決定するのである。

[9/21]
前日、サンライズで寝れずに東京へ仙台へときたものだから、もうホテルで熟睡し午前10時前に起床、10時半にはホテルを出た。まず最初に仙台駅にてリバイバルひばりのオレンジカードを購入をし、駅裏のヨドバシにて撮影機材を揃えた。ここでまた悪いハプニングが・・・1枚だけ入っているスマートメディア(ID、ケースつき)をてっきり2枚入っていると勘違いをし、購入してしまったのだ。購入前に店員に「別にID付きじゃなくてもいいですよ」と言われたのにもかかわらず、人の言うことに従わなかった自分が招いたアホな展開であった。時間まで仙台駅前の本屋に立ち寄って駅に入ったのだが人・人・人・・・鉄道ファンだけでなく、この日が丁度SMAP'02 "DRINK!SMAP!Tour"の仙台公演だったらしくその人と連休中で新幹線で仙台に観光に来た人で駅の中はごった返していた。改札をくぐってまずは動画機能で電光表示を撮影した。この時に列車の遅延の情報をアナウンスしていて「ひばりも遅延するのかな?」なんていう不安もあった。同じく改札にて若者が電光表示を見て「何が懐かしいのか分からん」と言っていた。昨今のリバイバル人気による鉄道ファンへのマナーの悪さへの怒りなのか、それともただ単に知らない人なのかそんなことを言う人も居た。それから2番線からひばり入線を撮影した。時刻は11時46分である。撮影後、後ろの方へ目をやると仙台の隣の長町駅の駅員さんが「さよならはつかり583系とはやて乗車」と「グラシア」で行く旅行ツアーのパンフを配っていた。パンフをもらいすぐさま1番線へ急ぐ。発車時刻が迫っていたわけではないが、キャメラマンが多いので早くいい写真をと思って急いだのである。583系ひばりは昭和47年3月の山陽新幹線岡山暫定開業に伴うダイヤ改正から走行するようになった為にグリーン車マークとなぜか今回は車内メロディと連結カバーはそのままであったが、その他は限りなく当時に近い状況に戻されていた。特に灰皿にあるJRのロゴもガムテープで留めているという気合いの入れようだった。また今回は、仙台駅のホームで記念グッズと特製ひばり弁当の販売もあったが、並んでいる人の前に割り込むなどマナーの悪さが目に付いた。自分もここでグッズと弁当を購入したのだが、行き先表示をモチーフにしたマグネットが聞くと何と2万7000円也!これには唖然とした。今回のリバイバルは、2種類のヘッドマークが出される言うのも特徴で特に字の幕の方は終始大人気で仙台駅での撮影が不可能であった。ちなみに絵入りの方は583系ひばりの運用消滅(昭和53年10月改正)までの僅か1ヶ月間しか出されてなかったそうだ。個人的には、2種類同時掲出よりも2日に分けて出して欲しかった。後方と側面の撮影は出来たものの、結局前面での撮影は出来ないままひばりは仙台出発時刻が来たのでやむを得ず車内へ入る。ここで「あれっ?」と思うことがあった。それは、前回の 月光しおじ と少し車内の雰囲気やシートの色が異なっているのだ。これを機に編成もN21か?益々気になり出す。出発前に何とか着席し、車内放送撮影の用意をしながら何とか仙台駅を滑るように出発していくところを見ながら静かに録音ボタンを押す。ちなみに自分の座っているボックスシートは、仙台からは自分も含め3人が乗車していた。車内放送で「席は完売です」と言っていたので、これからもう1人が来るのかな・・と思いながらしばらくは車窓からの宮城平野を眺めていた。岩沼で昨夜通ってきた常磐線がここで分岐する。岩沼を出てすぐに自分はデッキに向かいこの編成がN21なのか車番を元に親友T氏に調べてもらった。メールを打ち終わって席に戻ってすぐだったかと新幹線の高架と併走するようになる。ここで、583系の今後の運命を左右するモノとすれ違う。そう八戸開業車対応のE2系が速度を上げながら仙台を目指して走り去っていったのだ。別に新幹線を”悪者”にするつもりはないが、 新幹線開業は東京との一極集中化促進と残された並行在来線の地域住民の負担などの課題も多い。 また、この583系を使った臨時「はつかり」や「はくつる81・82号」も消滅、老朽化の目立った583は廃車になる可能性もあるという。(一部では残る可能性もある)新しいモノが出来便利になる反面で旧来の物がなくなるということは昔からある話ではあるが、地域住民の負担などの観点なども考えると私はこれ以上の新幹線延伸・建設は、「ノー」である。丁度、この頃から車内で乗車証明書が1人1人に配布された。新幹線とすれ違った後からひばりは減速をし始める。そう朝の遅延が、ここにきて影響をし始めるのである。だが、遅延よりも深刻だったのが冷水器から?漏れ始めた水が通路いっぱいにこぼれ始め、一部が自分の乗っている号車までは入ってくるのだ。おかげで振動でひっくり返ってしまった自分の小さなバックの表面がほんのり湿ってしまった。車掌も状況を把握しているみたいで福島駅到着まではもう廊下と自分の乗っている車内の床は雑巾だらけになっていた。さて一段落したところで、特製ひばり弁当に舌鼓をしようと1つ2つおかずを食べていたらところで、T氏からのメールの返事が届く。やはり自分の乗車している583はN21編成だと言うことがここではっきりと判明した。さて弁当の続きを食べようとした瞬間、列車は最初の停車駅の白石に近づいてきたので箸を止めて写真撮影をすることにする。白石に停車するなり、猛ダッシュで駅舎へ。丁度、白石駅で待っていたお客からは何事かと思われただろう。お目当ては、電光掲示幕であったが掲示されてないと判断してすぐ様戻った。(後で気づくのだが、自分は仙台方の掲示を見ていてもしかしたら掲示されていたかもしれない・・・そうなれば何のためにダッシュしたのか。)ここでは3分の停車であったが、ダッシュしたおかげでまたもや字幕ひばりは取れずじまいでやむを得ず車内へ戻った。発車前、自分の座っていた前の号車の旧乗務員室が何故か開けられ人が群がっていた。ここには、乗務員室の椅子と机と電話受けがある程度で他のものは取っ払われていた。これは珍しいと思いカメラに納めるが、後でピンボケになっていることに気づく。白石を発車すると再びひばり弁当を食べ始めるが、途中で箸を置いたせいで箸が進まず、残りは後で食べることにする。ちなみに特製ひばり弁当の中身だが、鮭の焼き魚と自分の好物である舞茸の天ぷらとイカの天ぷらとごまを振りかけたむすびと仙台名物の牛タンなどが入っていた。白石を過ぎた頃だったか隣の人の親友らしき人が来た。どうやらこの人は、10月のゆうづるにも乗車するみたいでその事をその親友の人と話していた。そのゆうづるを昨日、10月4日のリバイバル運転よりも前に一足早く勝田にて見た使われる車両(9/20に勝田にいた583系はN22編成)や側面の行き先表示、ヘッドマークなどの情報を知っているので何度も「このネタは相当、おいしいなぁ」と1人でにんまりしていたが、いざ乗車となると状況が状況なだけに自分にとっては何ともうらやましい話であった。ご飯を食べ終わると再び風景を楽しむようになる。線路には、今日も多数の鉄道マニアが所狭しとカメラを構えていた。更に驚いたのは、相席にいた子供が自分専用のもの?なのかなんと新品のビデオカメラを出しているのだ。それにしても最近の小学生については、多くの疑問を持つ。去年乗車した月光・しおじの時も小学生くらいの子供が三脚と望遠機能がついてカメラを持ちながらホームを移動し居ていたのをよく目撃した。小学生の平均的なお小遣いはだいたい5000円くらいである。それにお年玉を入れても絶対あんなに高価なものには到底手が届かない。ではそのお金の出所は?というのが疑問なのだ。自分の小学生の時は、常に貯金でお年玉を使ったというのは中学校に入ってからだった。それまでは高価なものは全く手を出すなんて事もなかった。そうそう、自分が現在ひばりの写真を撮り続けているこのカメラは、今年の7月に購入したばかりのファインフィックスF401だ。画素数が210万画素で最大8分程度の動画撮影も出来、なおかつ望遠機能までついているという優れものだ。自分には、親からもう1つデジカメを借りていて、これまで5月に運転されたしおじ・ はと や583系の金光臨などを撮影してきたが、画素数がここまで気の利いたものでもないし、スマートメディアが最大8Mで16Mのが全く使えない。それに加え8Mのスマートメディアは、3月の東京旅行の際はちゃんとあったのだが、今回はそのヨドバシカメラでさえも売り切れで客注になるというのだ。また望遠機能が全くなく、電池も充電式ではないという代物であるのだ。ちなみに自分の愛用しているカメラは値段は○万くらいしたのだが、この小学生が持っているデジタルビデオカメラはどう考えてもその倍はする。しかも新品・・・子供本人のものとすれば一体、その資金はどこから出ているのだろうか。結局、その答えを見つけだせないまま福島県内最初の停車駅である「福島」に午後1時42分に停車した。ここでは、約8分間停車し自分は、ホームのソラリーと後部の写真を撮りに行った。福島を50分に出ると有名な撮影ポイントである松川〜金谷川間を通過する。ひばりは、福島県内を更に南下していく。辺り一面は、黄色く色づいた稲穂の田が広がったり、険しい山間を縫って走ったり新幹線では味わえないような鉄道旅行の醍醐味を感じることが出来た。午後2時29分、ひばりは郡山に到着する。郡山には、地元テレビ局である福島中央テレビが取材に来ていた。ここでようやく仙台で撮影できなかった前面の文字幕の撮影を写真現像サイズで撮影した。とにかく郡山のショットはベストショットで大満足をした。郡山には、午後2時35分に発車する。郡山を出ると進行方向左に郡山工場が広がっているのだが、そこにはつかり用の485系リニューアル車がなぜか止まっていたのだ。もちろんこれも昨日のゆうづる同様に後々になって後悔をし出す。そしてこの後で更なる問題が起きることになる。郡山にて「ここまできました」という証拠に駅名版を撮ったのだが、写真現像サイズで撮ったために容量を食ってこれからの撮影がまずくなってしまったのだ。仕方ないので郡山で撮影した同じようなショット何カットもを削除した。まさに”苦渋の決断”である。だが、この決断が後に更なる問題を生み出す結果になってしまう。郡山を出るともう停車中の写真撮影の時間は上野まで撮ることが出来ず、もう少し沢山撮りたかった。ひばりは福島県から栃木県を南下する。黒磯付近にて新幹線と東北本線が併走し出す。駅に停車する前に急に車内の照明がガタンと落ちた。黒磯は交流と直流の交換地点(デットセクション)が駅構内にあり、それぞれの周波数に合わせるために照明が落ちたのだ。ちなみにデットセクションは、他にも下関〜門司間などにもある。黒磯を通過してからは、陽が雲に隠れ始め段々と暗くなっていく。栃木県から埼玉県に入る頃になると、段々と今日の583系での旅の別れを少しずつ考えるようになった。午後5時39分、最後の停車駅である大宮を通過する頃にはもう暗闇がそこまで迫っていた。自分は、暗くなり始めた外をずっと見ていた。そして5時55分、列車は東京都北区に入ってしまう。赤羽を通過してすぐに録音ボタンを押すのだが、なかなか放送に入らないので要らない部分を切って再度録音しようとしていたら、そこに運悪くメロディーがかかってメロディーの部分は切れてしまった。車内放送を聞きながら列車は、尾久車両基地へ進入する。ここでは、今夜出発の夜行列車が今や遅しと車内に電灯をともして出番まで待機していた。そして、午後6時5分ひばり号での1日目の旅はここに幕を下ろした。上野到着後は、再度文字幕の撮影を試みるのだが、ここでは仙台以上に押すな押すなの撮影で 下手をすれば線路に人も落ちかねない状況 であったし、撮影の邪魔だと言い遠くから罵声を挙げる人もまた今日も居た。結局、自分も上野では仙台同様に満足のいく写真は撮れなかったが、回送で発車した時は、動画で上野駅を走り去るひばり号をカメラに納めた。回送ひばりが出ると満ちていた潮が引くようにあっという間にカメラマンは何処かへと散っていった。

上野〜仙台間完全乗車!ひばり乗車レポート
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