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筑豊地区の西鉄バス路線のうち、田川地区をご紹介します。 2000年に入る頃までは、田川営業所・伊田営業所・添田営業所の3拠点を構え、 田川・添田地区に複雑なネットワークを築いていました。 (営業所は一つだけ。一般路線も5路線となってしまった現在では信じられませんが・・) かつての産炭地に広がっていた路線網が回想される方向幕です。
このページの作成にあたり、Bus-Field様から貴重な資料の提供とご助言を頂きました。 この場を借りて御礼申し上げます。 | ||||||
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北九州と田川を南北に結ぶ伝統の路線です。 快速を名乗っていますが、各停便は現存しません。 小倉砂津〜田川(西鉄後藤寺営業所)を、毎時1〜2本程度の便が2時間弱かけて走るロングラン路線です。
減便がされる前までは、朝に通学用の区間便が運行されたり(五反田→後藤寺BC・五反田→香春・鏡山→後藤寺)、夜に小倉〜中谷の区間便が走っていたりとバリエーションがありましたが、 2012年現在、本数も快速最盛期の半分程となり、快速区間も短縮される等、縮小傾向にはあります。
1997年前後でしょうか? 方向幕が黄色地のものに変更されました。
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▼方向幕が黄色になる前のオリジナル品です。 後藤寺営業所の青バスによく似合っていた幕でした! 交換にて頂戴しております。
「後藤寺」の幕は、西鉄後藤寺営業所まで行かない朝の後藤寺BC止め用です。 | ||||||
▼こちらも黄色幕ですが、上でご紹介したものと比較して新しいバージョンです。 主要バス停は赤文字で目立つようにされています。
田川快速、結構バリエーションがあるようで、奥が深いようです。
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〜 田川特快〜
2005〜2006年前後かと思いますが、ごく短期間「特快」が運行されていました。 田川からの通勤通学需要を見込んだと思われるラッシュ時のみの設定でしたが、間もなく廃止されました。 こまめな区間便需要の取込も必須な路線なのでしょうか?? | ||||||
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1番今丸線 ・ 1番日吉線 ・ 3番真岡線 ・ 5番平原線・船尾線 【現存・・1番、3番のみ】 | ||||||
田川市内線の短距離系統の一つです。
1番には、田川後藤寺を挟んで北側の日吉町・金田平原団地方面行きと、南東側の大浦・今丸方面行きが存在しました。 (現在は金田平原団地のみ)
▼(左)後藤寺バスセンター止めと、西鉄後藤寺(営業所)行きとで幕が作り分けられています。
▼(右)大浦方面からの幕です。短距離ということもあり、シンプルだったんですね!
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▼(左)伊田営業所発着便も運行されていました。
▼(右)金田平原団地の手前、日吉町行きの方向幕が残ったバージョンです。交換にて頂戴いたしました。 | ||||||
▼(左)後藤寺の北側、真岡行きの3番に、伊田駅の南東側の平原・田中行き5番(現在廃止)です。
双方ともに現役の時代は、連続運行されていたとのことです(現在は3番のみ存続)。 3番の折り返しの後藤寺行きまで5番を名乗っています。
▼(右)後藤寺駅の西側へ向かう短距離路線で、JR後藤寺線の船尾駅前まで運行されていた5番です。 識者の方々によれば駅前で折り返していたとのこと。 セメント工場で真っ白な道は、バスの車体をさぞ汚してしまったことでしょう。。 | ||||||
▼(左)平原方面からの折り返し5番の幕です。
▼(右)平原方面行きの幕です。田中行きは少数の便のみ足を伸ばしていたようです。 | ||||||
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田川市街から南西方面へ向かい、山田市(現在合併により嘉麻市)へと向かっていた路線です。
後藤寺バスセンターを出発してそのまま南へ向かう9番と、一旦西へ向かい弓削田から南へ曲がる8番とが走っていました。
筑豊の地方都市間を結ぶ路線で、比較的最近まで生き残っていましたが、乗客減少により末期は坂谷止めとなり、日中のみ2往復運行と、ごく僅かの本数が残る有様でした。
▼(左)弓削田経由の8番のコマです。 ▼(右)一番下のコマ、後藤寺発後藤寺行のループ系統とのことです(2016.11.17識者よりご教示頂きました)
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▼(左)三が瀬経由の9番です。
▼(右)筑豊名物、「手書き方向幕」が9番と8番の間に2コマ挟まっています。元は一体どんなコマがはいっていたのでしょうか。 上山田から、金田平原団地まで直通運行されていたようです。 | ||||||
▼2000年前頃だったでしょうか?? 短期間でいつの間にか消えていたように記憶していますが、ミステリーな枝線でした。 | ||||||
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後藤寺から東へ、匂金経由で今任までの比較的短距離を走っていた15番です。 この系統も廃止されています。
▼(左)大型車に書かれていた手書き幕。
▼(右)中型車のノーマルコマです。
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後藤寺の西北部、福智山の麓にある方城町を巡る方城循環線です。以前は後藤寺〜宮床〜金田駅〜方城〜夏吉〜伊田〜後藤寺の循環運行でした。(他にも区間便や枝線が存在したとのことです)
現在は後藤寺〜夏吉〜方城〜金田駅の区間のみ残り、循環時代の名残から、金田行き(循環時代の内回り)は23番・後藤寺行き(循環時代の外回り)は22番として運行されます。
伊田発着や役場止めなど、非常に複雑な運行形態だったようで、全容を掴みきれません。詳しい方の解説をお待ちしております。 | ||||||
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田川市街から201号線経由で山越えし、行橋まで向かっていた35番です。田川快速と同じ経路を辿る「香春経由」と、南側の「匂金経由」の2通りが存在しました。
第3セクターの平成筑豊鉄道の躍進により、大打撃を受けたバス路線の一つです。2002年春に廃止が打ち出されて以来、減便や区間廃止で生き延びてきましたが、2011年春の改正で完全廃止。路線の幕を閉じました。
▼香春経由の方向幕です。作られた時期により、何通りも表記のバリエーションがあるようです。 | ||||||
▼匂金経由の方向幕です。 現在は香春町の福祉バス等代替されているようです。
右と左で、製作時期の違いでしょうか、表記が異なっています。 | ||||||
▼(左)大型車用の、手書き方向幕です。
▼(右)鏡山発便専用と思われる田川行きの35番幕。表記が行橋発とは異なります。 | ||||||
| ▼行橋への山越えの手前、鏡山止めの便も多数運行されていました。 | |||||
▼35番の香春経由の横幕です。 切りコマですが、何とか手に入りました。。 | ||||||
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▼(左)伊田駅の北側にある、金川農協までの短い区間を結んでいた50番です。 後述の田川〜直方線の残党で、影の薄い路線でしたが、いつの間にか廃止になっていました。
▼(右)田川と直方を結んでいた55番です。平成筑豊鉄道の高頻度運航もあり、今では見る影もありません。 50番を名乗る直方行の幕がありますが、55番との違いはなんだったんでしょうか? →55番は金田駅経由、50番はバイパス経由だったそうです。いやはや、そんな系統が・・!(2016.11.17識者よりご教示頂きました) | ||||||
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ここからは、田川地区南部の添田町に本拠地を置いていた、添田交通(西鉄バス筑豊添田支社)の路線をご紹介します。 筑豊地区では数少なく、田川地区唯一のカラー方向幕となっていた添田交通ですが、営業所は廃止、残った路線も10番の田川〜添田(伊原)のみとなってしまいました。
▼(左)後藤寺から川崎町を経由して添田までを結んでいます。JR日田彦山線と並行しています。
▼(右)添田以南に支線が伸びていました。中津橋発着はごく僅かの本数(日中1往復)だったようです。
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添田以南の山間をかけぬけた10番は、英彦山(ひこさん)中腹まで走っていました。標高1200メートル、大分県との県境に位置し、かつては山伏の修験の山だった英彦山。登山客や参拝客にも愛用された路線だったようです。
▼行き先番号部分は鳥居のマーク。冬は豪雪に悩まされる辺境路線です。終点となる「豊前坊」は西鉄有数の高所に位置するバス停でした。
左は添田交通の大型車に登載されていた幕で、右は中型車サイズのものです。
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▼添田発着便用の、経由地表記無しのバージョンです。後藤寺直通が無くなった後は、添田〜英彦山豊前坊の区間便として運行されていました。
・・大型車と中型車で、彦山駅止めの表記が異なるんですね・・。
西鉄の大規模な路線廃止が決行された2003年ダイヤ改正で、添田以南の西鉄バス路線は惜しくも全廃されてしまいます。 | ||||||
▼添田地区の西鉄バス路線が10番と18番だけとなった200X年代半ばに作られたと考えられる新しい幕です。
路線カラーが文字色にかろうじて残っています。
この辺りの路線は、ハンズマン様御主催の 『西鉄バス廃止路線完全復活祭 第2回添田ローカル編』 で詳しく廻られています。 | ||||||
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添田発着の支線系統です。 添田から南西側の山間の集落を結んでいました。
戸立峠を越えて、油木ダムのほとりにある津野支所。 そこからさらに南にある山口橋まで運行されていました。
2003年の添田以南の路線全廃の改正で無くなってしまいました。 廃止前に乗らなかったことを後悔している路線の一つです。
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田川後藤寺から、西方向へ匂金・赤村へ。 柚須原の付近から南へ進路を取り、油木ダムのほとりを進みながら 津野支所・山口橋へと運行されていた12番です。 田川地区の路線の中では、英彦山行きの10番と並び、比較的距離の長い路線です。
上の10番英彦山や11番と共に廃止されました。 この路線の廃止により、田川郡赤村から西鉄バス路線が消滅することになりました。 | ||||||
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後藤寺から10番と同じ経路で川崎町へと向かい、川崎駅付近から南西側へ進路を変え、真崎・上安宅へと向かっていた路線です。
2003年の添田以南が全滅となったダイヤ改正では生き残りますが、その後2005年秋のダイヤ改正で廃止されました。
▼(左)中型車サイズの幕です。真崎のカッコ内にも書かれている「英彦山湯遊共和国」。温浴施設として作られたようですが、新聞報道によると2007年には運営会社が破産開始手続きの決定を受け、閉鎖されてしまったようです。 | ||||||
「♪行こう 行こう ひ〜こさんへ〜♪」
この替え歌でお馴染みの、福岡ローカル枠で放映されていた同園のCMソングに聞き覚えがある方も多いのでは? 半裸のおじさんから、何故の花嫁衣装らしき恰好をした方、子供までがとても簡易なダンスを踊っている光景・・。何故か頭から離れません。 (YoutubeでこのCMを発見した際には、身震いしました)
・・本題に戻りまして、奥谷は川崎駅の裏手にありました。 | ||||||
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15番の派生系統です。 10番などが走るメインルートから外れ、三井四坑を経由して安宅方面へと向かっていました。
真崎に湯遊共和国が作られるまでは、真崎農協が終点でした。 右は大型車の幕ですが、同園開設前に作られた幕のようで、真崎農協のコマが残っています。 | ||||||
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10番と同じく、後藤寺と添田を結ぶ路線です。 伊田・大任経由と、大きく東側のコースを辿る系統です。
比較的最近まで残っていましたが、2011年の改正で35番と一緒に消えてしまいました。
通学用でしょうか。一部の便に匂金・田川高校経由の便が運行されていたようです。 中型車の幕(左)と、大型車の幕(右)で、表記が若干異なっているんですね! | ||||||
一部の便は、川崎経由の10番と連続運行され、川崎循環・大任循環と呼ばれていました。 デカデカと(循環)と書かれた独特の方向幕です。 | ||||||
添田の支線系統が全滅した後に作られた新しい幕です。 添田のバスターミナル(営業所)ではなく、添田駅発着となっています。
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後藤寺と添田を結んでいた系統は、10番・18番の他に、この19番がありました。 彦山川の西側を走るのが19番・東側を走るのが18番でした。
運行本数もさほど多くなく、2003年の添田地区の大規模な路線改変に合わせて廃止されています。 ・・なお、この19番の行き先カラーは、西鉄唯一の「赤色」です! | ||||||
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伊田駅の南側の丘陵地帯にある東鷹高校へのスクール系統です。
開設・廃止とも経緯が分かりません。。 | ||||||
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栄華を誇った筑豊・田川地区の路線バス。平成のヒトケタ代からゆるやかに縮小が進んでいましたが、後藤寺や添田・伊田を拠点に四方へ路線が延びていました。
大きなターニングポイントになったのは、2003年のダイヤ改正。 2002年春に「1年間の猶予」として発表された西鉄路線バス27路線49区間の廃止計画。 (北九州では中谷ローカルや芦屋線。筑後地区では山鹿線や冷水特急が廃止される大改正となりました) 筑豊地区では添田以南の全廃や山田方面、行橋方面への路線の区間廃止など、大幅な路線カット。 この改正で添田地区の大半がコミュニティバス転換。
さらにその2年後には川崎町内の安宅線が廃止。 その後しばらく減便を重ねながら路線廃止を避けてきましたが、2011年には35番や坂谷止系統が廃止。
2016年11月現在で残っているのは、小倉快速・1番(金田平原団地)・3番・10番の添田以北・22/23番だけとなってしまいました。
しかし沿線には多彩な風景がまだまだ沢山! 香春岳のセメント工場を横目に走る香春町の中心部。古き街角の面影がある川崎駅付近。烏尾峠から見下ろす田川・糸田の街並み。後藤寺バスセンターのたたずまい。 路線は減りこそしたものの、鉄道と組み合わせて筑豊一周/横断公共交通機関の旅なんてのも面白そうです。 ぜひ一度田川へ!
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