このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
TOP > バスツアー(参加ツアー) > 2016.10.02 砂津本陣繪様主催「西鉄バス廃止路線 完全復活祭 第2回 添田ローカル(虹バス)編」 |
膨大な文献調査と入念な現地確認に基づく解説と共に、 西鉄バスの歴史を紐解くバスファン達の旅、砂津本陣繪バスツアー。
2016年7月に開催された 第1回「門司ローカル編」 では、58MC古参車を貸切り昭和の廃止路線までを振り返る、 ボリューム満点の行程。参加者の皆様からは歓声と拍手が鳴りやまぬ程、濃厚で楽しさ満点の時間を過ごさせて頂きました。
その砂津本陣繪様が選ばれた次の舞台は、添田町。
産炭地として栄華を誇り、町内や周辺部には石炭輸送を主目的とした国鉄線が張り巡らされた町ですが、 炭坑閉山や人口減少等の時代の変化を受け、西鉄バスから切り離された分離子会社『添田交通』が設立されたのは1988年のこと。 添田駅付近のバスターミナル兼営業所を拠点に、田川南部一円の山間地帯まで、 西鉄本体から引き継いだ数多くのバス路線を担当していました。 しかし2003年の添田以南の大幅廃止以後、幾時に渡るダイヤ改正で支線が廃止され、 2016年現在では、かつての幹線だった10番、わずか1系統だけが残るのみの状況です。。
添田交通の設立後、この地区を走っていたのは、虹をイメージした3色のアーチを描いた10数台のバス。 同社に限らず、この当時の西鉄分離子会社各社には、独自塗装の自社発注車が在籍しており、 添田交通には通称『虹バス』と呼ばれる3色のアーチを描いたバスが導入されました。 西鉄バス筑豊への吸収合併された同社ですが、 最終年度導入車の1999年式が5台、今でも田川営業所・大隈営業所で活躍しています。
今回は『虹バス』の座席定員25名一杯に着席された皆様とご一緒させて頂き、添田ローカルの歴史と文化を学んでまいりました。
▼肖像権への配慮のため、御参加の皆様・運転士の方・一般車のナンバー・通行人の方の顔等にぼかし等の処理をかけています。ご了承願います。
| ||||
| ||||
| ||||
| ||||
ツアーの集合は、西鉄田川営業所に朝9時半。 これに間に合うには、天神8時発の筑豊特急への乗車がリミット! ・・寝坊しつつも、天神高速バスターミナルに滑り込みセーフ。ちょっぴり余裕で鹿児島行の白夜行を見送りつつ、 1番乗り場、田川行の皆様に何とか合流できました。
| ||||
| ||||
| ||||
| ||||
八木山峠と烏尾峠を超えて、約1時間半で田川市の中心部の少し手前に位置する、 田川営業所に到着。かの著名な 後藤寺バスセンター が2016年9月末で閉鎖された事に伴い、 筑豊特急の多くの便が、この西鉄後藤寺止めになりました。 奥には配車留置中のS型高速バスの隊列も・・。
| ||||
| ||||
定刻でこれから乗車する『虹バス』が出庫! | ||||
| ||||
主催チームの皆様を乗せて、乗車場所の西鉄後藤寺バス停までやって来ました。 これから、長く楽しい一日の始まり・・! | ||||
| ||||
10:10 英彦山湯〜遊〜(ゆーゆー)共和国 跡地 訪問 | ||||
| ||||
三井四坑・奥谷といった廃止路線を経由して早速やって来たのは、 川崎町で2007年まで営業していた温浴レジャー施設。英彦山遊湯共和国の跡地。 かつて田川後藤寺から、15番と17番(三井四坑経由)がここを起終点として運行されていました。 ・・今は、建物が取り壊されただけでなく、ソーラー発電所が建設され、痕跡は消え去ってしまいました。 最初の目的地から、既に「強者どもは夢の跡・・」状態です。
| ||||
| ||||
跡地で記念撮影中。。 | ||||
| ||||
次の目的地へ移動中も、要所要所で写真停車! ハンズマンさんのツアーの大きな特徴の一つは、 撮影にかなりの気遣いを頂いている事。選りすぐりの名スポットでは短時間の撮影タイムが設けて頂いています。 | ||||
| ||||
同車のコックピット。 運転席だけ見ると、普通の西鉄バスとほぼ同じです。。 | ||||
| ||||
10:30 上安宅 (旧終点) | ||||
| ||||
川崎町の山中に位置する上安宅終点までやって来ました。 バスは三叉路を利用して折り返し。 農村にある立派な赤い屋根のお家の前で停車。 | ||||
| ||||
手前の草むらがかつての折り返し場だったそうです。 どうも運転士さんと住民の方は、路線バス運行時代のお知り合いだったようです。 | ||||
| ||||
同車のリア。 「エンジンブレーキ・・」の張り紙は、筑豊特急の高速車に貼っていた物と同じデザインの模様。。 | ||||
| ||||
虹バスの3色の虹、良く考えると、方向幕時代の行先別カラーと同一であることに気が付かされます。 緑=10番(添田・英彦山系統)、水色=15番・17番(真崎・上安宅系統)、ピンク=12番(赤村・津野・山口橋系統) | ||||
| ||||
外板に色あせこそ出ていますが、レインボーは未だ艶やかです。 | ||||
| ||||
10:50 真崎農協付近 撮影タイム | ||||
| ||||
上安宅から街に戻る真崎農協付近で撮影タイム。 一旦バスを降車して、撮影希望者は先回り。そこをバスが駆け抜けます。 | ||||
| ||||
皆さんが農協の良い味を残す建物を背景にされていたので、 少し手前で田畑を背景に撮影してみました。 | ||||
| ||||
真崎農協を背景に撮影を試みる皆様に見守られながら、バスは快走! | ||||
| ||||
11:00 真崎駅跡地(De 愛)休憩 | ||||
| ||||
真崎農協から5分ほど歩いた地元の産直販売施設(?)「De 愛」。 先に到着していたバスとここで合流。 歩いて暖かくなった体、窓を開けると流れ込む風が心地よい感じです。 | ||||
| ||||
11:20 中津橋(旧終点) | ||||
| ||||
添田駅の西側の集落まで伸びていた添田交通の路線たち。 末期は日中1本が走っていたという中津橋終点です。 | ||||
| ||||
のどかな集落に位置する終着地です。 | ||||
| ||||
11:40 幻の終点『大藪』 | ||||
| ||||
この先は添田町内の終点「陣屋」を過ぎて、バスはどんどん南下。 大型車の離合不能な道が続いた先にある、大藪集落までやって来ました。 添田と小石原を結ぶ中腹。携帯電話の電波も途切れがちな山間部です。 左側の膨らみが、待機場!?
この大藪、昭和50年代に廃止されるまで西鉄の定期路線バスが走っていたとのこと。 ・・沿線の歴史に関する徹底的に調査。バス路線は勿論、添田町史を探求された主催者様に、既に脱帽しっぱなしです。 (こんな終点があるなんて、全く知りませんでした)
| ||||
| ||||
ベテラン運転士の方の腕前と、主催陣の皆様の誘導もあり、 今も残る待機場に、切り返しを繰り返して何とか停車。 | ||||
| ||||
かつては通学系統として路線が走っていたというこの集落。 今では1件だけが残る限界集落。立派な家屋の屋根には、鯱の装飾が鎮座していました。
| ||||
| ||||
バスは木々のギリギリに頭を突っ込んで停車。 | ||||
| ||||
この大藪折り返し場から300mほどは撮影区間! 先回りして、立派な林の中を駆けるバスを撮影・・と思いましたが、草木の影を鑑みず撃沈(涙) | ||||
| ||||
バス路線としては、想像を絶する通り道。 周囲の人口規模を考えても、トトロやネコバスも通らないような道では・・。 | ||||
| ||||
少し広くなったところで、撮影中の皆様を拾うべく一旦停車。 | ||||
| ||||
右手は深い森。左手は深い谷。 この集落にバスが通るようになった原因は、 通学する子供を乗せたトラックが谷底に転落した痛ましい事故が所以だそうです。
| ||||
| ||||
こんな景色の中では、赤バスよりも、確かに虹バスの方がしっくり納得できそうな気がします。 | ||||
| ||||
もう少々進んだ小さな橋を背景に再度停車。 右手の盛り上がりの上には、小さな祠(?)がありました。 | ||||
| ||||
陣屋ダムまで戻ってきました。トイレ休憩中。 道にはちゃんとセンターラインが復活しました。 | ||||
| ||||
12:30 陣屋 (旧終点) | ||||
| ||||
麓の陣屋元終点に到着。 右側のバス待合室にはペンキで待合所を明記! | ||||
| ||||
虹バスの特徴の一つは中ドアの窓ガラス。 虹のアーチを車体中央に描くため?中ドアの窓はとても腰高。 | ||||
| ||||
12:50 薬師堂〜馬場 フリー撮影区間 | ||||
陣屋から少し下った、谷沿いの集落と田園風景が広がる馬場付近。 この区間はフリー撮影区間として、参加者が各自で好きな場所からカメラを向ける機会を設けて頂きました。 陣屋方向の集落を背景に、草に覆われたかのような中元寺川の橋を渡る虹バス。
| ||||
| ||||
この区間、主催者のハンズマン様の思い出の光景とのことです。 皆様に見送られゆっくりと集落を進む。彼岸花もきっと心象に残っていた風景だったのでしょうか。 | ||||
| ||||
丹念に手入れがなされているだろうミニ農園の向こうには小さな御堂。その間が旧バス通り。 | ||||
| ||||
次の馬場バス停付近でバスは一旦停車。 置いて行かれないように、やや急ぎ気味でバスの下へ。 懐かしい看板の並ぶ商店を背景に。
| ||||
| ||||
立派な土蔵、昔ながらの消火栓。 96MCが不釣り合いに思えるほどの情景が、ここでは確実に生きています。 | ||||
| ||||
| ||||
| ||||
道の駅で昼食休憩。ご手配頂いたカツ丼を頂きます。バスも小休止。 実は、この時点で既に体力をほぼ使い果たしています。 三十路に入り、年甲斐も無くバスを文字通り追っ駆けて続けた挙句の体力摩耗。ちょっぴり情けなくも(泣)
| ||||
| ||||
| ||||
| ||||
赤い屋根が特徴的な彦山駅前で撮影停車。 方向幕を回せば、まるで現役路線のような光景。 | ||||
| ||||
駅舎から駅前ロータリーを望むと、タクシー会社や古い商店が並んでいます。 まるで、TOMIXのレイアウトボード上に乗ったジオラマのような光景です。 ここでは「何ごとか」と見に来られた家族連れのお父さんと一緒にバスにカメラを向けて。。
| ||||
| ||||
田川後藤寺までは、レールとバスの二段構えの公共交通を有していた彦山駅。 西鉄バスの路線廃止後は、この駅を発着する添田町営バスにとってかわられました。 | ||||
| ||||
15:05 英彦山豊前坊 | ||||
| ||||
靄霞む急な山道を昇ること約30分。標高約830mの豊前坊終点にやって来ました。 古より修験の霊場として崇められた山、英彦山。この山には九州の天狗の元締めが住んでおり、 その名を「豊前坊」と言ったそうです。
| ||||
| ||||
田川後藤寺から出ていた10番系統も、1時間以上をかけてこの豊前坊が終点となっていました。 | ||||
| ||||
本来は階段の上の高住神社に、旅の安全を祈願しなければならないところですが、 折返し時間の関係で、階段の途中から念を込めさせて頂きました。 | ||||
| ||||
立派な木々越しに見る虹バス。現役時代、下山した登山客が見た光景でしょうか? | ||||
| ||||
廃止になったばかりの後藤寺バスセンター行の方向幕を記念に一枚。 | ||||
| ||||
| ||||
| ||||
豊前坊から、英彦山駅に向かう谷と、別の谷を下れば、ここ山口橋終点。 山間部の奥地ではありますが、現役時代には、添田に向かう11番と、赤村経由で後藤寺に向かう12番の、 2系統の起終点でした。今でも町営バスのポールが立っています。 | ||||
| ||||
15:45 旧宮元車庫 | ||||
| ||||
山口橋からすぐ、宮元に今も残っているという、かつての夜間滞泊車庫で記念撮影。 事前に主催者で近隣の方を訪ね、撮影許可を取られたとのこと。 大藪での事前ヒアリングと言いい、撮りバスをする身としては、「事前準備をここまでやってくださったのか」と、 感涙にむせぶツアーです。
| ||||
| ||||
コスモスと虹バスの親和性。単調になりがちな山間に、彩りをもたらすもの。 | ||||
| ||||
16:05 戸立峠 ・山の神 | ||||
| ||||
山口橋から添田に抜ける戸立峠を旧道経由で通過。
| ||||
| ||||
本日の運転士の方は、添田交通のご出身で、この道で現役時代の路線バスのハンドルも握っていらしたとのこと。 通りで、目もくらむような山道を、バスは揺れなくスピーディーに駆けていくはず。。。 | ||||
| ||||
16:20 伊原 (山崎デイリーストアで休憩) | ||||
| ||||
伊原付近のコンビニでお買い物休憩。心と体をクールダウンするため、アイスを購入。 | ||||
| ||||
17:05 伊田/石炭・歴史博物館 | ||||
| ||||
バスは、19番伊加利系統の旧経路を通り、伊田駅裏側の石炭・歴史博物館へ。 旧三井田川炭鉱の2本煙突を背景に、本日最後の撮影タイム。 | ||||
| ||||
大任経由で添田へ向かっていた18番の行先番号カラーはブラウン。 かつて沿線に沢山見られただろう煙突の色と重ねて見えるのは偶然でしょうか。 | ||||
| ||||
17:20 田川後藤寺営業所 到着 | ||||
| ||||
8時間に渡り楽しんだ一行を乗せて、スタート地点の後藤寺営業所に戻って来ました。 | ||||
| ||||
テキパキと進む、主催陣の皆様の片付けを横目に見ゆる虹バス。 | ||||
| ||||
筑豊の空に広がる、小雨上がりの夕焼け。 このバスが、虹を掛けんとした街を暖かく照らします。 | ||||
| ||||
無人と化した、先ほどまでは満席だった車内。 | ||||
| ||||
車体外板には、隠しきれない疲れの跡も。 | ||||
| ||||
名残惜しくも、バスとはここでお別れ。 | ||||
| ||||
17:25 後藤寺営業所 構内 | ||||
| ||||
さてバスを後にし、目の前に広がるのは筑豊特急&筑豊急行で使われる高速バス群。 雨上がりの地面を照らす空模様の風情あること。。
| ||||
| ||||
エアロエースも仲間入りして間もない田川営業所。 後藤寺バスセンター亡きいま、天井高を気にする必要もありません。 手前には、この後藤寺営業所(西鉄後藤寺)までしか来なくなった急行便の姿も。
| ||||
| ||||
筑豊特急は、S型ばかりでバリエーションに乏しい・・。 なんて思っていたのも既に過去。続々と廃車されるS型高速車。中には 思い出の3156号車 の姿。 ナンバーを切られ、安置されるだけのはずですが、現役車に違わぬ迫力と風格が未だもっても漂っています。
| ||||
| ||||
グレーや落ち着いたカーキ色でまとめられたS型の車内。 決して華美ではありませんでしたが、「日常路線」を任されたS型らしい仕様でした。 | ||||
| ||||
B高とS高のからみ。 | ||||
| ||||
さて、ここからお帰りの皆様をお見送り。 天神行のノンストップ特急でやってきたのはエアロエース! この後、後藤寺駅前で行われた懇親会に混ぜて頂き、夜まで楽しい時間をご一緒させて頂きました。
当日は勿論、事前の入念な調査を受けた解説や、参加者に頂いた冊子資料は、皆様との思い出と共に宝物です。 この場を借りて主催陣の皆様に、心より御礼を申し上げます。 | ||||
| ||||
|
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |