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TOP > 西鉄路線バス写真集 > 第33弾 後藤寺レイニーブルー(Rainy Blue)雨夜のバスセンターの情景 |
筑豊有数の産炭地の玄関口として60年。 この街が歩んだ、昭和の栄華と衰勢の軌跡と共に、人々を迎え、送り出した、西鉄バスのタアミナル。 平成28年9月30日の閉鎖を目前にした、秋雨の夜の光景です。
閉鎖が発表されて以来、バス趣味のみならず、建築、産炭地歴史研究など、様々な分野から、 その歴史的価値と昭和の硬派な佇まいの希少さが再認識された、田川市の田川後藤寺バスセンター。 寂しげに雨露のきらめく発着所の光景を記録に残したく、2016年9月18日に再度足を向けました。
※撮影に際しては、安全に留意し、三脚・フラッシュ・ストロボを使わずに撮影しています。 ※肖像権等への配慮から、運転士、乗客、通行者、自家用車のナンバープレートについて、ぼかし等の画像加工を行っています。 | ||||||
午後3時半、連休と雨による大渋滞で大混雑する福岡近郊。 田川行の筑豊特急も遅延の影響をもろに受け、着発を行っても30分の遅れが発生していました。 (休憩もほろろに、大変なご対応をされていらしたと拝察します)
天神高速BTの乗り場で、飯塚止めの特急をやり過ごしながら気長にバスを待っていると、 かの著名な『バス沿線風景サイト』 ウエスタンビュー管理人のハンズマン様 と偶然に遭遇。 小倉行の高速バスに乗車予定だったところ、ご都合を調整の上、後藤寺行にご同行頂きました。(すみません。) また後藤寺では takuto様 御家族ともご一緒させて頂いたほか、幾名のファンと思しき方の御姿も。 皆様このバスセンターとの思い出を、しかと記録に収められていらっしゃいました。
17時半過ぎ。約40分の遅れを出して、終着の後藤寺バスセンターに滑り込んだノンストップ特急便。
運転士の方も相当にお疲れの様子でしたが、最後まで安全でスムーズなドライビングでいらっしゃいました。 ・・疲れてくると、私の場合運転がどうも荒くなってしまうものですが、西鉄バスでは乗車体感からそれを感じさせないところ、 技だけでなく、精神や集中力こそプロフェッショナルなのだと敬服させられます。 | ||||||
終点まで乗りとおす乗客も少なく無いこの状況。 にわかにバスセンターが活気づきます。 旧産炭地の地方都市で、これほどまでに大都市への直通優等系統が元気なのも珍しいことでは?
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続いて、バイパス直行が到着。残り少なくなったS型高速車での運行です。 なおこの3263号車(KC-MS829P)、1997年の新製以来19年間、ずっと筑豊特急の任を全うする車輛です。
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後藤寺バスセンターで希少なのは、特急バスではなく、一般の路線バス。 中型バスに、1〜2名の乗客を乗せて、田川市近郊へ向かう赤バス。 がらんとしたベンチと、2レーンある十分な大きさの乗車ホームが寂しさを誘います。
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皆さんでバスを撮影していたところ、筑豊のご出身で、今は離島でバスの運転士をしている方よりお声かけを頂き、 この田川や添田の全盛期の様子をご教示頂きました。 福岡からのバスを乗り継がれて、最後にバスから「ありがとう」と手を振って頂きましたが、 きっと約60年ものあいだ、こんな出会いと別れがこの場で繰り返されていたのだと思うと、思わず胸が熱くなりました。 一期一会のご縁にも関わらず、新設にして頂き、心からありがとうございました。
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バスだけでなく、タイミングを見計らって建物も記録。 薄暗いバスセンターの2階3階に、更に重くのしかかる映画館の建物。 雨に濡れたコンクリートが、より一層息苦しさを増幅させるようです。
閉鎖後、何時取り壊されるかわからない看板、柱、明かりがともることも無いだろう時刻表。 バスセンターを構成する、一つ一つの構造物の歴史と任務に、敬意と慰労を込めて。
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雨夜の美しさは、濡れた路面の水鏡。 晴れの日は独特の天井を映しこむアングルですが、今日はあえて下向きに。 近年、後藤寺で主役に躍り出たB型高速車の灯りが、地面を照らします。
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ところで、この後藤寺バスセンター。 夜の撮影でいつも悩まされるのは、「何色を基軸に撮るか」。
バス乗り場の白色蛍光灯、バスのライトの強いLEDヘッドライト、そして後藤寺ならではの白熱電球色のスポットライト。 ホワイトバランス(どの色を白とするか)の調整で、全く異なる印象を与える建造物です。
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「白色の基準」を正面のバスに置いて撮影した場合。 背後のバスターミナルの蛍光灯が、青く、寂しさをより感じさせる写真が仕上がります。 しかし白熱電球の色もほのかに残るため、これはこれで風情を表しているように感じます。
続いてバスのヘッドライトや方向幕を「白色の基準」に置いた場合。 やや白く、固く真新しい印象を感じますが、バスターミナルの蛍光灯や車内の灯りは見た目に近い色で表現。
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そして最後に白熱電球色のヘッドライトを活かした場合。 実際に目にした印象よりも、バスの赤みが強いようにも感じますが、 寂しさの中に温かみを感じさせる、個人的には一番好きな撮り色です。
・・どの色が正解か。このバスセンターの場合複数の色が重なることからも、正解を付け難く。 目をつぶり、心に残った心象に近い色こそが、一人一人の正解なのかもしれません。
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筑豊特急として、20年近く顔役として活躍した、西日本車体工業S型高速バス。 10年近くに渡り製造が続けられた黒いマスクの汎用型。 後藤寺バスセンターと同じく、まもなく筑豊特急から姿を消すだろう、筑豊地区のエースでした。
製造から15年以上を経過したとは思えない純白のボディが、闇夜に浮かび上がりました。 筑豊に降る雨は、彼女の引き立て役に。。 | ||||||
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西鉄高速バスの代名詞と言える存在だったB型高速車。 福北ラインや日田高速線のお下がりが、この筑豊特急に投入され始めました。 今では数で他の形式のバスを圧倒する多数派です。
後藤寺バスセンターで2台連続で到着するノンストップ特急とバイパス直行。 日曜日の19時過ぎ、買い物や行楽を楽しんだ乗客が、後藤寺バスセンターに続々降り立ちます。 福岡空港経由の急行便からは、トランクルームに荷を預けた人の姿も。
バスセンターの古く焦がれたコンクリートを白日の下にさらす、鋭いヘッドライト。
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筑豊特急のニューフェイス「エアロエース」。 福北ラインからのお下がりでこそありますが、製造間もないバスが転属でやって来ました。 武骨な後藤寺バスセンターとは、容姿のデザインのコンセプトが丸きり異なるだろう優雅な曲線美が連続するボディ。 この場では浮き立つ存在です。
暖かな色のスポットライトとは、まるで異世界の造形。 時代を超えた出会いという前向きな言葉よりも、むしろ「ミスマッチ」という単語が頭をよぎります。
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後藤寺バスセンター点描。 雨音が降りしきる後藤寺の街を、ほのかに照らすバスセンターは、寂しくも恐ろしく、頼れる存在。
ここまで一灯の灯りに感激を感じるバスセンターが他にあるだろうか。
本来なら壁の看板を照らすらしいスポットライトも、 この舞台を荘厳に飾り立てるシャンデリアに錯覚してしまう。 そう、主役はこの街にバスで降り立つ乗客達。この灯りの元、幾人の主役がこの街を発って行ったのか。 そしてこの街に戻る人々に、数多の安心を与えたのか。
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「バス」を趣味にしながら、 今回の主演はこのバスセンターという建物、そして機能。 バスが居なくとも、雨に打たれながら、街に君臨し続ける。
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この街の人々という「主役」の想いを乗せて、 出会い、別れ、再開、決別、区切り、巡り合い・・ 様々な舞台を演じてきた「主演」であり「劇場」こそが、バスセンターの正体。
最後の時まで幾何かなんて気に留めず、ただ主役を照らし、包み、送り出す、その姿を見つめ直すには、 もう余りにも残された時は少ない。
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コンクリートで出来た、老朽化したただの建物。 そんな客観視した事実は、このバスセンターに降り立つと見えなくなってしまう。 雨夜の夜、体を濡らしながら、ただその存在と役割と貫録に、圧倒されていました。
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