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大手民鉄と地方ローカル線の関係の有り方について考える
-近畿日本鉄道から分離した伊賀・養老の2鉄道を訪問して-
TAKA 2007年12月01日
近年地方ローカル線の存廃問題が数多く発生していますが、その中でも大手民鉄の抱える地方ローカル線の存廃に関する問題が数多く発生しています。弊サイトである「
TAKAの交通論の部屋
」でもこの問題について取り上げて居ますが、実際ここ数年で廃止問題が浮上した大手民鉄の路線を見てみると「
名鉄岐阜四線
」「
南海貴志川線
」「西鉄宮地岳線」「
近鉄北勢線
」など複数の路線で存廃問題が発生しています。
しかし今のローカル線廃止の動きは、昔の昭和30年代〜50年代の「地方ローカル線廃止の嵐」が吹き有れた時代の「とにかく廃止してバス転換」という流れとは少々異なっています。それは「廃止表明=即バス転換」という流れにはなっていない事です。ローカル線廃止問題が浮上しても、何かしらの対策が打たれて別の形で鉄道が存続という形が増えて居ます。実際上記に挙げた路線でも近鉄北勢線→地域の援助の下三岐鉄道が引受・南海貴志川線→地域支援下公募で両備グループが引受というように、地域の支援・より低コスト運営主体への切り替え等、何かしらの工夫を加えて存続の道を探る例が増えています。
それには色々な要素が有る事は否定出来ません。近年廃止された
鹿島鉄道
などと比べても大手民鉄の地方ローカル線は「存廃のボーダーライン」といえる「輸送密度1,000人/日以上」を大幅に越えていたという「恵まれた状況」が有る事も指摘出来ますし、ここ数年で「地方公共交通を維持する必要性」についての認識が広まったという事もいう事が出来ます。しかしそれと同時に「大手民鉄も公共性の側面から何かしらの存続への道を地域と共に探る動き」が存在してきているという事も否定出来ません。
今回その様な動きに沿った「大手民鉄ローカル線処理」が行われた例が出てきました。それは近畿日本鉄道(近鉄)の地方ローカル線である伊賀線・養老線の事業形態変更についてです。詳細のスキームは下記の「参考サイト」の近鉄プレスリリースに書かれていますが、少なくとも今回の伊賀鉄道・養老鉄道の設立のスキームに関しては、今までの「名鉄」「近鉄」のローカル線処理の姿勢から「一皮剥けた」という側面を感じました。
この度10月に大阪・名古屋に用事が有ったのを生かして、「一皮剥けた」ローカル線対処スキームが組まれて、伊賀鉄道・養老鉄道として生まれ変わった旧近鉄伊賀線・養老線の今の姿を見てきました。この現地の姿から「地方ローカル線と(上場会社としての)大手民鉄の付き合い方」の望ましい有り方について考えてみたいと思います。
「10月20日 当日の伊賀鉄道・養老鉄道訪問ルート」
近鉄難波11:05→(近鉄特急宇治山田行き)→伊賀神戸12:09〜伊賀神戸12:11→(伊賀鉄道)→上野市12:37〜市内で昼食〜上野市13:19→(伊賀鉄道)→伊賀上野13:26
伊賀上野13:49→(JR関西本線)→亀山14:35〜亀山14:50→(JR関西本線)→桑名15:35〜桑名15:43→(養老鉄道)→大垣17:02
大垣17:05→(養老鉄道)→17:29揖斐17:34→(養老鉄道)→大垣18:00〜大垣18:08→(JR東海道線)→名古屋18:40
「参考サイト・ニュース」
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近畿日本鉄道HP
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伊賀鉄道HP
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養老鉄道HP
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養老線の事業形態の変更に伴う第一種鉄道事業の廃止届出および新会社の設立について
(平成19年2月14日近畿日本鉄道ニュースリリース)
・
伊賀線の事業形態の変更に伴う第一種鉄道事業の廃止届出および新会社の設立について
(平成19年3月26日近畿日本鉄道ニュースリリース)
・
養老線の事業形態の変更に伴う第一種鉄道事業廃止繰上届出書および第三種鉄道事業許可申請書の提出について
(平成19年5月9日 近畿日本鉄道ニュースリリース)
・
伊賀線の事業形態の変更に伴う第一種鉄道事業廃止繰上届出書および第三種鉄道事業許可申請書の提出について
(平成19年5月23日 近畿日本鉄道ニュースリリース)
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伊賀鉄道伊賀線
(wikipedia) ・
養老鉄道養老線
(wikipedia)
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(1) 忍者の里の(一部)ゲタ電的ローカル線?伊賀鉄道乗車記
10月20日の土曜日、前日の大阪での飲み会を終え翌朝大阪市内を少々見て廻った後、近鉄の大阪のターミナルの一つの近鉄難波から近鉄特急で伊賀線を目指す事にします。宇治山田行きの近鉄特急は4両編成で乗車率は難波・上本町・鶴橋で乗客を載せた後も30%前後で、停車駅の多い特急で観光より沿線需要主体にしている事も有るのでしょうが、寂しい乗車率です。この後特急は・大和高田・大和八木・榛原・名張と停車して伊賀神戸に到着します。しかし沿線を見ていると生駒山地を越えて奈良盆地に入り奈良盆地を通過した後も榛原・名張駅周辺では住宅地も多く、名張の隣駅(伊賀神戸の2つ手前)の桔梗が丘などはニュータウンが出来ており、とてもローカル線が走って居る様な風情では有りません。
私は今回その特急列車で伊賀鉄道の乗り換え駅である伊賀神戸で降車しましたが、伊賀神戸では7〜8人の降車客があり、その降車客の大部分が伊賀鉄道に乗り換えました。大阪からは(大阪発8時・9時を除く)6時〜21時の間で毎時1本伊賀神戸停車の特急列車が有ります。この特急列車に加えて毎時3本の急行で大阪と約人口10万人の
伊賀市
が、伊賀神戸・伊賀鉄道経由で結ばれているというのは大きな意味が有るといえます。
実際大阪線→標準軌:伊賀線→狭軌の為直通運転をする事が出来ませんが、隣の
名張市
も人口が約8万人有り加えて中心の名張・桔梗が丘には学校や商業地等の集積も有り、その為伊賀神戸を介しての伊賀鉄道〜大阪線の乗り換え需要はかなり有る様で、朝ラッシュ時学生専用の乗り換え口が有るほどです。そう言う意味では伊賀鉄道の当初の建設目的の「関西本線伊賀上野乗換で上野市街・名張と大阪を結ぶ鉄道」という役割が「上野市街と名張・大阪方面を伊賀神戸乗換で結ぶ鉄道」という様に形を変えて今も果たされているといえます。
左:伊賀神戸駅での近鉄特急からの乗り換え風景 右:伊賀神戸駅の伊賀鉄道車両
左:伊賀神戸駅構内(左が近鉄・右が伊賀鉄道) 右:伊賀鉄道上野市行き列車車内@伊賀神戸発車時点
伊賀神戸駅を出ると伊賀線電車は90度カーブして伊賀市の中心部上野を目指しますが、車窓は直ぐに田畑と山林が中心の長閑な田舎の風景になってしまいます。実際の所「人口10万人の伊賀市」といえども人口集積が有るのは上野の中心市街地・伊賀上野〜柘植間の関西本線・国道25号線沿線・近鉄大阪線青山町駅周辺等に限られており、伊賀神戸〜桑町間には大きな人口集積は有りません。その為に「駅前に人家が殆ど無い」上林駅の様な駅が出てしまい、又これらの各駅では殆ど乗降が無いという寂しい状況で有り、伊賀鉄道の苦境を示しています。
左:駅は有るが家が無い?伊賀鉄道のローカル駅@上林駅 右:軌道は弱く昔の軌道から未だに脱却できない伊賀鉄道@依那古駅
左:伊賀市の中心街に近い茅町駅で交換する伊賀鉄道列車 右:伊賀市中心市街地を左右に縫って走る伊賀鉄道@広小路駅
茅町から先は今までの「畑の中のローカル線」が一変して、「旧市街の中を走る路面電車的鉄道」に変わります。伊賀上野の旧市街自体が
上野城
の城下町であり江戸時代から城下町であった事も有り狭い道が雑然と走る中に木造の家屋がある風情で、その中を伊賀鉄道の線路が縫って走っている為にローカル風情が有りながら市街地の路面電車的な感じになります。同時に桑町以北の上野市街地では駅間距離が縮まり「チョット走ると直ぐ停まる」という事も又路面電車と言うかゲタ電的な風情を感じさせています。
左:拠点駅上野市駅での乗降風景 右:伊賀上野城が背後に見える上野市駅駅舎
左:伊賀上野駅周辺の市街地 右:三重交通のターミナルが有り名古屋への高速バスも停車する上野市駅前広場
又伊賀鉄道の上野市には車庫も存在していて運転的な中心機能を備えて居ると同時に、伊賀鉄道は伊賀神戸〜上野市:上野市〜伊賀上野という形で系統分割されています。実質的には上野市で系統分割する事で、伊賀神戸で近鉄との接続を確保し、伊賀上野では関西本線との接続を確保する事で、両方の鉄道から上野市駅へ向かう人が使いやすいダイヤを組んで居ます。実際江戸時代からある伊賀上野の市街地は、地形的理由から関西本線も参宮急行電鉄(今の近鉄大阪線)も避けて通ってしまい、その鉄道(最初は明治時代から走っていた関西本線)へのアクセス手段としてとして伊賀鉄道の前進の伊賀軌道が整備されており、その後名張〜神戸〜青山と通過した参宮急行電鉄にも接続してよりその役割を強化したが故に今のような運行形態になったといえます。実際乗客の大部分は伊賀上野行き電車を待つ事無く駅から市街へ出て行きました。その点から見ても近鉄大阪線・JR関西本線と言う幹線へのアクセス鉄道としての今の運行形態はそれなりに合理的であるといえます。
伊賀上野は江戸時代からの城下町で「上野城」「忍者の里」「芭蕉の生誕地」という観光資源も有り、観光地として賑やかそうにイメージしていましたが、乗り換え時間の約40分間を生かして昼食方々駅周辺の市街地を歩いて見ましたが街自体寂れた感じで商店も少なく観光客もイメージより多くは有りませんでした。「中心市街地が寂れている」というのは地方都市の典型的状況ですが、伊賀上野も茅町のジャスコ・服部町のアピタ等大型商業施設が市街地の周辺部に立地しており中心市街地に商店・買い物客が少ないのはその影響でしょう。それは仕方ない事といえますが、思ったより観光客が少ないのは驚きました。私的には「忍者」等が
伊賀上野の観光
の売りだと思っていましたが、それだけでは観光客を集める事は出来ないのでしょう。その為比較的知名度のある街で有りながら、街の風情は「普通の地方の街」という感じです。これでは人口約10万人と言いながら、中心市街地アクセスに鉄道を1本抱え込むには物足りない都市規模しか無いといわざる得ません。
左:伊賀鉄道伊賀上野行き列車車内@上野市発車時点 右:関西本線への乗り換え駅伊賀上野駅
左:伊賀鉄道車両と関西本線車両@伊賀上野駅 右:駅前には店が数件しかない伊賀上野駅前
伊賀上野を出ると直ぐに西大手駅が有り、此処からも上野高校の生徒が少し乗ってきました。西大手駅を出ると再び北へ進路を向け伊賀上野駅を目指します。西大手を出て北に方向を向けるともう周りには畑が多くなります。其処からも伊賀上野の市街地はそんなに大きくない事が分かります。しかし畑の中にロードサイド型の店舗が幾つか建っており、畑が広がりながら郊外的な風景が広がります。上野市街地と伊賀上野駅の間に有る服部川を越えると新居駅に停まり、直ぐ伊賀上野駅に到着します。
伊賀上野駅は周囲にINAXや松下電工の工場が有りますが、駅前広場の廻りに数件の商店と家が疎らに有るだけで、乗り換え駅としての機能がメインの駅となっています。関西本線が出来た時に、名古屋〜奈良〜大阪を結ぶ幹線として造られた関西鉄道(今の関西本線)が、旧伊賀の国の中心地の伊賀上野の近くを通りながら服部川を越えずに真っ直ぐ進んだのは有る意味納得出来ます。亀山から加太川沿いに鈴鹿山地に挑み加太越えで鈴鹿山地を越え、柘植からは柘植川〜服部川〜木津川沿いに進み月ヶ瀬・加茂を経て大仏越えで奈良に至るルートを取って名古屋〜奈良を結び名古屋〜大阪間で官鉄線に競争を挑んだ関西鉄道ですから、「上野城の城下町の伊賀上野へのアクセス」は仔細な問題に過ぎず、その為に服部川の対岸に駅を置く事で上野市街地の需要に対応し、関西本線が通らなかった上野市街地とその先の名張へのアクセス鉄道として伊賀軌道(今の伊賀鉄道)が作られたのです。そう言う意味では明治の昔から伊賀上野駅は「只の乗り換え駅」に過ぎなかったといえます。だから未だに駅前には集落らしき集落が無いのでしょう。
伊賀鉄道で伊賀上野まで来た高校生の大部分は関西本線に乗り換えて行きます。乗り換えの比率は上りと下りで3:1位の比率です。伊賀上野〜柘植の間は比較的平地が広がり国道25号線沿いに比較的開けて居ますから、その旧伊賀町地域へ向かう学生が多いのでしょう。しかし関西本線には下りは数分の接続ですが、単線の関西本線では伊賀上野で上下が交換しないために上り列車は約20分ほど待つ事になります。旅行客に取っては気分転換の時間ですが日常利用客に取っては「無駄な待ち時間」に過ぎません。しかし柘植で「交換&草津線接続」も有る為にその皺寄せが伊賀上野での乗り換えに来ている事は分かりますが、何とかして欲しい物です。「幹線鉄道から市街地へのアクセス鉄道」である伊賀鉄道に取っては、「幹線との接続改善」は非常に重要で有るといえます。伊賀鉄道もわざわざ上野市で系統分割までして幹線鉄道へのアクセスに気を配っている以上、JR西日本も対応できればより便利になる事は明らかです。
(2) 揖斐川西岸をのどかに走る鉄道 養老鉄道乗車記
伊賀鉄道を訪問した後、伊賀上野から関西本線で桑名へ移動して、引き続き養老鉄道を訪問しました。
養老鉄道は揖斐川の西岸を走り大垣と桑名を結ぶ鉄道で、元々揖斐川西岸を走る
美濃街道
(今の国道258号線に近いルート)に沿ったルートに沿って造られた鉄道です。しかしこのルートは東に揖斐川・西に鈴鹿山地が迫っており、その間の狭い土地を南北に結ぶ鉄道が養老鉄道で有り、全線開業が大正8年・全線電化が大正12年と歴史の古い鉄道です。又当初は独立資本で作られた鉄道ですが、全線電化時に揖斐川水系での水力発電やカーボン素材を製作していた
揖斐川電気
(現在の
イビデン
)の傘下に入り、その後伊勢から名古屋進出を目指していた伊勢電気鉄道の傘下に入り、その後無謀な拡張や五私鉄疑獄事件で実質的に破綻した伊勢鉄道共々大阪電気軌道傘下に入り、岐阜延伸計画などを持ちながら実現せず現在の姿に収まっています。
その為元々は国鉄と貨物連絡運輸をしていた関係で狭軌でしたが、近鉄名古屋線が1959年に「改軌による名阪間直通」を果たして名実共に近鉄ネットワークの一端に入りこんだ後も養老線は狭軌のまま残される事になり、今の様に「近鉄ネットワークの中で孤立した路線」となってしまっています。加えて昔は性能の中心の大垣と東海道の宿場町で港の有る桑名を結ぶ揖斐川海運や美濃街道経由で北国〜伊勢を結ぶお伊勢参りルートとして流動が有り栄えていましたが、昭和半ば以降は東海地域の人や物の流れは名古屋を中心とした放射状の流れor東名阪間の通過流動に沿った流れがメインとなり、その流れから外れた養老線は「一地方のローカル線」にどんどん転落して行きます。その結果として赤字に苦しみ近鉄ネットワークから分離させられ、「養老鉄道」として新しい船出をする事になりました。今回その様なローカル線の養老鉄道を訪問してみました。
左:JRホームから見た養老鉄道桑名駅 右:近鉄名古屋線急行⇒養老鉄道の乗換風景@桑名
桑名ではJR関西本線と近鉄名古屋線と接続しています。JRとは跨線橋で連絡していますが近鉄名古屋線との間は昔は同一鉄道会社だった事もあり養老鉄道と近鉄名古屋線下りホームは同一ホームで接続しています。しかし会社が分割されて運賃体系が変わった事も有りホームには柵が出来て連絡改札口が設置されています。養老鉄道の電車の発車前に丁度近鉄名古屋線の宇治山田行き急行が到着して養老鉄道車両への乗り換え客の状況を見る事が出来ましたが、乗り換え客は10名程度でした。この乗り換えの状況を見ると「近鉄名古屋線名古屋方面⇔養老鉄道」の乗り換えは少ないと言う事が出来ます。JR関西本線からの乗り換え客が多いのか?桑名市街地からの利用客が多いのか?どちらかは何とも言えませんが、少なくとも「近鉄名古屋線の培養線」としての働きはイマイチだったという事は間違いなさそうです。
左:養老鉄道大垣行き車内@桑名発車時点 右:近鉄名古屋線の下を潜り一路北西に大垣を目指す
桑名近郊では「近郊輸送がメイン」で乗降客数も多い 左:播磨駅での降車風景 右:多度駅での乗降風景
桑名を出て近鉄線の下を潜り住宅の多い桑名の郊外地を進んで行きますが、1駅目の播磨駅で行き成り7〜8名の乗客が降車します。その後も各駅で三々五々降車が有り、多度駅で20名近い降車があり桑名で乗った人々の半分以上が桑名市内でしかも桑名から10kmも無い多度までの間に降車してしまいました。
養老鉄道の時刻表
を見ると、桑名口では朝ラッシュ時毎時3本・昼間毎時2本が確保されており、それなりの頻度で運転されていますが石津・美濃松山での折返し列車が多く、桑名口からの利用者の大半が桑名から10〜15kmのこの区間で降車してしまう見た状況を裏付けしているといえます。
養老鉄道のルートは昔は地域間流動に沿った流れであった物でしたが、今は「名古屋中心」のこの地域の流動に合っている路線ルートであるとは言えません。しかも並行する
一般国道258号線
の整備が進んでいて桑名・大垣市内で4車線化が進んでいて車での移動の利便性が高まってきており、その事からも単線ローカル鉄道の養老鉄道の利用が桑名・大垣周辺の近郊区間の都市圏輸送に限られてくるのは現状から見て致し方ないといえます。
左:海津市の玄関口駒野駅に停車中の大垣行き列車 右:駒野駅で交換する桑名行き列車
左:「瓢箪」が名物の養老駅での乗降風景 右:大垣近郊の住宅地に有る友江駅での交換風景
左:養老鉄道大垣行き車内@友江発車時点 右:駅での乗降客と揖斐方面への乗り換え客で賑わう大垣駅
しかし「物寂しい谷間の状況」も養老駅からは徐々に変わってきます。時間帯が16:30頃になり部活帰りの高校生の利用が増えだして車内が賑やかになってきます。此処からは大垣の近郊区間にはいる事も有り各駅から数名程度の乗客が有り、特に大垣養老高校の最寄駅鳥江では高校生が10名程度乗車してきて車内が賑やかになってきます。又名神高速を潜り大垣市内に入ると車窓に住宅が増えて沿線お人口密度が上がりつつある事は良く分かります。
車庫のある運転上の拠点である西大垣を過ぎると、車窓左手から揖斐からの路線が合流して来て、その先にJRの東海道本線が見えてくると養老鉄道の北側の拠点大垣に到着です。最終的には大垣到着時点では2両編成で40名程度まで乗客が増えます。その乗客の内4分の3程度が大垣で降車するために出口に向かい、残りの4分の1の乗客が向かいのホームに停車している揖斐行きの電車に乗ります。養老鉄道は大垣で完全に系統分割されているために「大垣から北側は完全に別の路線」と思っていましたが、以外に乗り換え客がいるようです。私も此処で乗り換えて終点の揖斐を目指す事にします。
左:大垣駅に並ぶ揖斐行きと桑名行き 右:養老鉄道揖斐行き車内@大垣発車時点
左:広神戸駅での乗降風景 右:終点揖斐駅での乗降風景
その後暫く走ると終点の揖斐駅に到着です。揖斐駅では10名近くの降車客があり駅が賑やかになりますが、駅前に出てみると駅前に店は無く寂しい感じがします。その降車客の大部分も1台停まっている路線バスに向かう客は無くロータリーに止まっている乗用車に向かっていきます。終点の揖斐駅へのアクセスは「キス&ライド」メインのようです。駅までのアクセスとして公共交通が殆ど機能して居ないのが揖斐駅の状況なので、養老鉄道の活性化のために利用率のパーク&ライドの拡充なども考える事も有効かもしれません。
左:揖斐駅では「キス&ライド」がアクセスの主流? 右:揖斐駅で折返しを待つ大垣行き
左:養老鉄道大垣行き車内@揖斐発車時点 右:大垣駅での乗降風景
大垣駅は流石に西濃の中心地で人口約16万の都市の玄関口と言う事も有り、養老鉄道・JR東海の改札口や駅前共々かなりの利用者が有り、地方都市特有の衰退した駅前という感じも無く賑やかでした。養老鉄道ホームには揖斐方面・桑名方面両方とも、高校生主体でしたがかなりの利用客が有り、この姿を見ている限り養老鉄道が「存廃の危機に有るローカル線」という感じとはチョット違う感じがしました。
しかし現実としては大垣近郊では養老鉄道は「大垣市近郊の鉄道」として機能すると同時に「JR東海道本線のフィーダー路線」という役割が主体な事は、乗車して客の流れを見ると同時に大垣駅前での姿を見ると明らかです。実際養老鉄道大垣駅とJR東海大垣駅の間に中間改札付の連絡口が有り此処を通る客も多い感じでしたから、大垣近郊鉄道&JR東海道線フィーダー機能が今の養老鉄道大垣口の実情であるといえます。この事が今回の「養老線の近鉄からの切り離し」に大きく影響した事は間違い無いといえます。
左:桑名と並ぶ養老鉄道のターミナル大垣駅駅舎 右:人口約16万 西濃地域の中核都市大垣の駅前風景
(3) 近鉄からの分社化・擬似上下分離で伊賀鉄道・養老鉄道は救えるのか?
この様に近鉄から分社化されて新たに「伊賀鉄道」「養老鉄道」として再発足した近鉄のローカル線元伊賀線・元養老線を見てきましたが、実際の所「近鉄と何が変わったのか?」と言う形で見てみると、「変わったのは社名だけ?」という感じで、有る意味拍子抜けとも言える感じでした。
今回のスキームでは、伊賀鉄道・養老鉄道は実質的に近畿日本鉄道の連結決算下に入る子会社で有り(伊賀鉄道→近鉄98%・伊賀市2%出資:養老鉄道→近鉄100%出資)、鉄道の運営に関しては伊賀鉄道・養老鉄道が第二種鉄道事業者として責任を持って運営し、近畿日本鉄道は第三種鉄道事業者として鉄道施設を保有・管理するというスキームです。
しかし実際の所、近畿日本鉄道は伊賀鉄道・養老鉄道に対し鉄道施設を賃貸し線路使用料を取る形になります。それにより近畿日本鉄道単体としては施設保有の管理料・減価償却費がかかり、それに対して線路使用料を両者から取る事で原価に対する収入を得る事になり、施設に対する損益は影響する事になりますが、運営に対する損益は第二種鉄道事業者である両者が責任を持つ事になります。しかし今の主流である連結決算に置いては伊賀鉄道は近鉄が98%株を保有する子会社で、養老鉄道は近鉄が100%株を保有する完全子会社になります。その為両鉄道の損益は近畿日本鉄道の連結決算に組み込まれる事になり、今のままの赤字を続ける事になれば、連結決算上は何も変わらない事になります。
では何故この様な「分社化」というスキームを取る事になったのでしょうか?
鉄道ジャーナル08年1月号
で佐藤信之氏が「養老鉄道・伊賀鉄道と運賃制度の問題」の中で、その目的を『・別会社にする事で路線の固有経費を確定できる事。・経営分離に寄り運賃引き上げが出来た事。』と述べていますし、今回の分社化で伊賀鉄道・養老鉄道に対し沿線自治体から一定額の赤字補助が行われる事で、佐藤氏が述べているように「経営支援で自治体が負担する分」を明らかにするメリットも有ります。
只今回のスキームの意義はそれだけで無いといえます。この記事は「運賃問題」に主眼を据えている事も有るのでしょうが、私が思う「分社化の最大の狙い」が抜けていると思います。それは「分社化によるコスト削減効果」です。基本的に大手民鉄のコスト体質は決して低いとは言えません。
大手民鉄の平均給与はで585千円/月で地方鉄道の356千円/月
に対して大幅に高くなっています。実際の所は大手民鉄が「この路線は地方ローカル線だから給与を減らします」という形で「同一社内二重賃金」を対組合問題も有り作れない事から考えれば、実際に給与水準を下げる事は不可能です。ですから大手民鉄がローカル線でワンマン化・無人駅化等による地方鉄道並みの合理化を進めても、この様な賃金水準の差で地方鉄道並みのコスト体質での運営は実質的に不可能です。如何見ても大手民鉄が地方ローカル線を運営すれば高コストになり、それが収支の足を引っ張る事になります。
だからこそ「分社化を行った」といえます。これは良く(大手民鉄系等の)バス会社が使う手法ですが、分社化により新しい給与体系を組みそれにより低コスト運営を図るという手法です。実際の所この両社は今の段階では「近鉄からの出向者」で運行を行う事になると思われますので近鉄の給与を「出向者の給与負担」と言う形で引きずる事になるので、必ずしも即効性のある収支改善策となる事は有りませんが、将来的には分社化で新給与体系で採用の社員への切り替えや
定年退職者の再雇用
等で給与水準の低コスト化を図る事が可能になります。実際養老鉄道で98名の従業員を抱えて居ますから、この従業員の給与コストを大手民鉄並みから地方鉄道レベルに落とすだけで年間1人2,748千円*98名=269,304千円(585千円/月-356千円/月*12ヶ月)コストが落ちます。この金額は養老線の近鉄時代の経常赤字額1,430,000千円の約18.8%という比率ですが、無視できる物では有りません。
基本的に、この状況は伊賀鉄道・養老鉄道どちらに対しても言える事です。今回の分社化で養老鉄道は平均20.9%・伊賀鉄道は平均20.4%の値上げをしているので、ここでも分社化による収支改善効果が有る事も事実ですが、運賃値上げには乗客逸走が付き物ですから、其処から実際の増収を考えると、運賃改定効果と人件費削減効果は中長期的には大きくは変わらなくなり、伊賀鉄道・養老鉄道の経営を改善する「二本柱」となる事は間違い無いといえます。其処が今回の「分社化」という名のローカル線対策のポイントで有ると思います。
しかし実際の所はとして、分社化による「運賃改定」「補助金受け入れ」「コスト削減」という3つの改善を果たして、「永続的に鉄道を維持出来る収益体質を築けるか?」となると、残念ながら大きな疑問が残る事になります。実際運賃改定の効果は限定的で有り平成17年の養老線収入920,000千円に対し平均20.9%の運賃改定が行われたとして920,000千円*20.9%=192,280千円の増収効果(逸走分は考慮せず)しか有りません。また賃金を地方鉄道並みに落としても269,304千円の原価改善効果です。これでは「1,430,000千円-192,280千円-269,304千円=968,416千円」の赤字が残ります。加えて自治体でも「平成19年度は養老線の固定資産税分(110,230千円)を支援・平成20年度以降は3億円を上限に赤字の半額を補助」という補助が決まっていますが、平成20年度以降でも968,416千円-補助上限額300,000千円=668,416千円」という赤字が残る事になります。
確かに単体では此処から「近鉄の補助」と言える「インフラ分の実質的負担」がある為、運営会社単体の損益としてはこれ以上に改善される事は間違い有りません。しかし現実としては「近鉄グループ連結決算上には668,416千円の赤字が依然残る」という問題は何も改善されて居ません。ですから今回の分社化も「只分社化した」というだけでは「赤字削減効果」しか存在せず、最終的には養老鉄道では「2011年以降には路線存廃の是非・支援内容について再検討」という「次のタイムリミット」が切られている以上、最終的にはこの段階で改めて存廃問題が発生する事はほぼ間違い有りません。
そう言う意味では今回の施策は「当座の繕い策」であり、残念ながら「死刑の執行猶予」に過ぎません。少なくとも上記で見たように「分社化・擬似上下分離」では巨額の赤字を解消するまでは至らず、伊賀鉄道・養老鉄道の存続への切り札とは成り得ないのが実情で有るといえます。
左:忍者の飾り・名産品・観光案内で観光を盛り上げる@上野市駅 右:伊賀線イメージアップの象徴?松本零士デザインのくの一イベント車両
左:養老線の利便性向上策「サイクルトレイン」 右:「サイクルトレイン」で自転車を車内に持ち込んだ利用車@養老
又弊サイトの「
「たま駅長」と「いちご電車」がローカル鉄道を救うのか!?
」で和歌山電鐵の事例を取り挙げ「
イベント等の集客効果で増客を図れて補助金受け入れ後の収支を黒字に出来た
」と言う成功例を取り挙げましたが、養老鉄道・伊賀鉄道も和歌山電鐵程徹底的では有りませんが、増客に向けての努力をしています。実際「地域の利便性を重んじてのサイクルトレイン」や伊賀地方の忍者にあやかって「松本零士デザインのくの一イベント車両」を運行したり、伊賀鉄道では駅を飾ったりして、利便性が上がったり注目を集めたりして増客に繋がる様な努力は行われています。(しかし和歌山電鐵程目覚しい成功はしていないが・・・)
実際の所養老鉄道は年間赤字△1,430百万円・伊賀鉄道の赤字は△423百万円ですから「年間87百万円の補助で収支均衡が図れる和歌山電鐵」と比べると、赤字の金額が桁違いに多い状況に有り、残念ながら「イベント等の増客ではビクとも動かないほどの赤字」で有るといえます。特に路線規模の大きい養老鉄道はその傾向が顕著で有るといえます。ではその中で如何するか?特に路線規模が大きく「地方の中核的都市の桑名・大垣の近郊鉄道が結びついているだけ」といえる様に、路線規模に比した長距離流動が皆無になってしまった養老鉄道は先行きが厳しいといえます。将来的には養老鉄道に関しては国道258線の整備状況に応じて「養老〜石津間の区間廃止」を含めて(最悪は全線廃止)決断をする可能性も否定出来ません。
それほど伊賀鉄道・養老鉄道の置かれている状況は、現場のままで社会情勢が推移するのであれば厳しいという事が出来ます。残念ながら今回の近鉄の施策は一定の評価は出来るものの「伊賀鉄道・養老鉄道を救うまでには至らない」というのが実情で有ります。ではその中で如何するか?今行われている施策に加えて「イベントなどで地道な集客努力を行う」「別会社になった事を生かして大手では出来ないきめ細かなサービスで集客を図る」「車等からの乗客転移が進む施策を行う」等の方策は有りますが、これが改善効果が有る物でも根本的な問題解決に成らない事は赤字の大きさから容易に想像出来ます。その中で限られた期間で如何するか?今後伊賀鉄道・養老鉄道の背負う宿題は非常に大きく難しい物だといえます。
(4) 「あとがきに変えて」伊賀鉄道・養老鉄道・その他事例から考える「大手民鉄と地方ローカル線の付き合い方」の理想形は?
近年大手民鉄の地方ローカル線の廃止に関する動きが進んで居ます。此処数年で廃止された(もしくは経営的に手放された)大手民鉄の地方ローカル路線は、今回の伊賀線・養老線の他にも、弊サイトで取り挙げただけでも「
名鉄岐阜4線
」「
南海貴志川線
」「
近鉄北勢線
」等が該当します。
過去に置いて大手民鉄は自社の勢力圏拡張の為に「縄張りの囲い込み」を目論見て都市部・都市間輸送→郊外輸送→地方ローカル輸送という様に、地方の私鉄路線を買収しながら地方へ進出して行った歴史が有ります。実際近年廃止されている近鉄各路線も近鉄が大阪から名古屋へ向かって進出していた「東への鉄路拡張」の中で傘下に収めた路線で有り、その流れは今大規模な路線網を持つ大手民鉄には多かれ少なかれ共通している動きでした。
しかし現在では時代が変わり、地方に事業テリトリーを持つ事のメリットが薄れてきて、同時に地方路線の衰退に起因して培養線効果も期待できなくなっています。そうなると残されるのは「収益を生まないローカル線」だけになってしまい、そのローカル線も「公共のため」と行って運営されていた物が、近年の収益性重視の影響下で「不採算事業のリストラ」の一環で廃止されて居ます。しかも大手民鉄は地方民鉄に比べて「高コスト体質」の為、比較的需要の有る路線でも赤字でチョットした特殊要因が有ると、「お荷物路線」として廃止されてしまうというのが今の傾向で有るといえます。実際名鉄岐阜4線・近鉄北勢線や養老線や伊賀線・南海貴志川線も「赤字」の上に「特殊な路面電車(名鉄岐阜4線)」「本線と軌間が違う(近鉄各線)」「本線から孤立した路線(南海貴志川線)」という特殊要因が有り廃止の憂き目に有っています。
けれどもこれらの路線、特殊要因を抱えた上で赤字と言う「廃止の要因」が有る事は間違い有りませんが、それでも未だ第三セクターや地方民鉄のローカル線よりかも輸送状況的には未だ「救いの余地が有る」路線が殆どであるのは明らかです。
「廃止問題の浮上した大手民鉄ローカル線輸送密度」
※上記表の輸送密度は「wikipedia(
三岐鉄道北勢線
)・
近畿日本鉄道ニュースリリース
・TAKAの交通論の部屋「
鹿島鉄道の存続運動は何故挫折したのか?
」から引用しています。路 線 名 近鉄北勢線 近鉄養老線 近鉄伊賀線 名鉄美濃町線 南海貴志川線 輸送密度 約2800人/日・km 3605人/日・km 3912人/日・km 2,339人/日・km 3,112人/日・km
この数字を見る限り、確かに厳しい数字で有り、その路線の抱える赤字額を見ると「撤退も致し方ない」ともいえる数字ですが、実際の所で他の第三セクター鉄道・JRの過疎地路線・地方民鉄路線に比べると未だ輸送密度的には「救いが有る」と言えるレベルです。実際此処で例示した路線はすべて旧国鉄「第一次特定地方交通線」の輸送密度基準2,000人/日・kmを越えており、近年廃止問題が浮上した地方民鉄である「加越能鉄道・日立電鉄・鹿島鉄道・京福電鉄(福井)」の各路線よりかもレベル的には「一段上」の輸送密度の路線で有るといえます。
しかし大手民鉄では上場会社として「ビジネスライクの対応」をしなければならない側面が有り、だからこそこれだけの輸送密度が有りながら廃止問題が浮上してくるといえます。そう言う事も有り「公共性」と「採算性」の狭間で悩みながらも、大手民鉄は上場会社として「採算性を重んじた決断」をする事になります。近年発生している大手民鉄のローカル線廃止問題に関しては、その様な背景が有る事は事実です。
けれどもその「公共性」と「採算性」の狭間の中で、少なくとも大手民鉄も悩んでいる事は間違い有りません。それは上記の5路線の今の状況を見れば明らかです。完全に廃止されてしまったのは名鉄岐阜4線だけで、近鉄北勢線・南海貴志川線は公的補助を受けながら他運営主体への移管を果たし、近鉄伊賀線・養老線は「分社化・公的補助を受け入れた上でのグループ内での運営」と言う運営形態の転換で(とりあえずでも)存続の道を作り出して居ます。
この様に大手民鉄としては、自社の「負担を減らす」事を主眼としつつも、「公共性」と「採算性」の狭間で如何にして地方ローカル線を維持して行くのか?ローカル線維持の道筋を探す努力をしていると考えられます。
実際名鉄が廃止問題を抱えた岐阜は「特殊事情」が有りましたが、岐阜では名鉄は「
存続して本当に市民のためになる展望があるのか。仮に廃止が決まったとして、土地などを売却できなくてもレール撤去費、固定資産税などを支払うことを承知して撤退を決めた
」とまでいって撤退して行きましたが、過去に請われて乗り込んだ福井で今名鉄グループで抱えている「
福井鉄道の存続問題
」では「(第三者への株譲渡という条件付きながら)債権放棄を前提に名鉄が資金を福井鉄道に貸付or名鉄が増資の形で資金援助」という地元に配慮した条件提示で協議を行っており「最もコストがかからない方法は鉄道事業の廃業だが、鉄道やバスを残すことを自治体が望むなら、名鉄として協力できることを検討した」という前向きなコメントまで行っています。少なくとも名鉄に「地域と上手く折り合いを付ける」という姿勢が感じられるようになっています。
近鉄の関しても、只廃止を打ち出して自治体の補助の下で三岐鉄道に譲渡した北勢線の時から比べれば、今回の伊賀鉄道・養老鉄道のスキームは格段に姿勢が変化して居るといえます。この2路線も輸送密度こそは北勢線より上ですが、どちらも1067mmの狭軌であり762mmの軽便軌道の北勢線と同じく近鉄の標準である1435mmの標準軌では無く、経営的な相乗効果が低い事は北勢線・養老線・伊賀線どれにも共通しているといえます。その中で完全切離しの北勢線処理からグループ内分社化の伊賀・養老線へ、近鉄の対応は大きく舵が切られています。
何故この様な変化が発生したのか?私は正直いって両社の内情を探る手段を持ち合わせていないので、推測にはなりますが、やはり「地方鉄道と言う公共鉄道に対する見方」が変わってきた事が大きいといえます。昔であれば「地方ローカル線は単純にバス転換」という事になったでしょう。しかし今では地方で「公共交通を維持する必要が有る」との認識が地方自治体・市民の中でも高まっているのは間違い有りません。その為に名鉄岐阜4線・日立電鉄・鹿島鉄道のような失敗事例も有りますが、万葉線・えちぜん鉄道・和歌山電鐵の様に住民協力による第三セクター鉄道として地方鉄道が再生の道のりを歩む鉄道も出てきて居ます。その様な流れが「公共性」と「採算性」の狭間の中で大手民鉄にローカル線存続に向けての最大限の努力をするようになった背景に有るのでは?と感じます。
しかし今でも未だ「大手民鉄と地方ローカル線の好ましい関係」というのは未だ見えてきて居ません。確かに今の段階で大手民鉄のローカル線対策として「廃止」「撤退後関係無い他社への移管」「グループ内分社化」という3つの施策が今の段階で出て居ます。しかしどの様な対応策が一番良いのかは未だ結論が出ているとはいえません。
実際の所一番上手く行っている地方ローカル線再生の例は和歌山電鐵と三岐鉄道北勢線でしょう。和歌山電鐵は「創意工夫溢れた民間と地域の努力が最低限の公的関与でローカル線を再生させた」という意味で成功例で有り、三岐鉄道北勢線は「公的セクターの努力と投資により再生した例」という意味で和歌山電鐵とは違った成功例で有るといえます。
確かに伊賀鉄道・養老鉄道は「大手民鉄が単純に廃止せず応分の負担継続をスキームとして認めた」という点では、近鉄の姿勢は評価出来ますが、伊賀鉄道に「近代化補助を受けた上での新型車両導入」という動きが有りますが、それ以外「インフラ改善の為の投資」が殆ど無く、「損失を如何に穴埋めして運行を継続するか」という点に主眼がおかれたスキームになっている嫌いが強く、しかも運営主体が100%子会社に変われども、大手民鉄的な「ぬるま湯体質」的側面が残り、しかも連結決算上赤字が継続し運行の永続性も保証されて居ないという点で、必ずしも近鉄の努力は認められても「ステークスホルダー全員に取り最善のスキーム」とは言い難いという点に問題を残しています。
そう言う点では未だに「大手民鉄の地方ローカル線の対策にベストな方策は見つかっていない」といえます。果たしてベストな方策はあるのでしょうか?
基本的には今回話題に上げたレベルのローカル線を大手民鉄が維持する事は、損失覚悟の内部補助を永続的に続ける覚悟が無ければ残念ながら不可能であると思います。その点ではどのような形で有り「大手民鉄のローカル線の運営形態転換」は避けられる物では有りません。その点から言えば、今後の「大手民鉄と地方ローカル線の付き合い方」とは「如何に綺麗に離縁するか?」という点に絞られてくると私は思います。
それについて、私的には「極めて特異なスキーム」で有ったが、
富山ライトレール
の形がベストでは無かったかと思います。確かに富山ライトレールの場合「
富山駅付近連続立体交差事業補償金約33億円
」が有ったからこそあれだけ劇的なインフラ改善を図る事が出来ましたが、公設民営系式で民間の努力で運営しつつインフラに関しては国交省の補助に加えて富山市の補助に加えて、前の運営主体のJR西日本から「
街づくり寄付金13.9億円(JRの施設売却額3.9億円のバック+純粋な寄付10億円)
」という廃止交付金的な補助を受けて、これだけのインフラ改善による存続を果たして居ます。確かに連立補償金がLRT化の大きな財源になったとはいえますが、インフラ改善に自治体と前運営主体が金を出しているのは大きな意味が有ります。
この富山ライトレールのスキームを応用して、他社に運営移管・自治体が一定の損失補てんと言う「和歌山電鐵」スキームにインフラ改善or運営基金に地方自治体が費用を出すと同時に前運営主体が「インフラの実質的無償譲渡&廃止交付金譲渡」をする事で、運営を永続化するスキームを作る事が、公設民営で無制限の公的補助を排除しつつ前運営者にも損失を確定させ、しかも今の運営状況を改善できると言う点で「ベターなスキーム」であるのでは無いでしょうか?。実際的には「旧国鉄特定地方交通線スキームの変形」ともいえますが、上場会社である大手民鉄に永続的かつ大幅な出血を求めるのは不可能ですし、今や地方も地域の公共交通維持に一定の負担をせざる得ない事は間違い有りません。その中で「ベターな地方ローカル線維持のスキームを探す」事が、大手民鉄と地方の今後の関係に取り必要なのではないでしょうか?
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