このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
岳南鉄道は富士急グループの一員で、富士市吉原に本社があります。
岳南鉄道線は、東海道本線の吉原から岳南江尾まで、全線9.2kmのミニ鉄道。
沿線の人々に愛されて、今日も元気に走っています。
9.2km
「かわいい電車だよ」
岳南鉄道の駅には扇形の屋根ときれいな花壇があります。
| 東海道本線と跨線橋で連絡しているが、駅舎はJRの駅舎から100mほど離れた路地の奥である。 吉原を出た電車は東海道本に沿ってしばらく静岡方向に進み、右に折れて富士山を正面に北進する。 左側を並行していた道路と別れるとジヤトコ前に到着する。 | |
【じやとこまえ】 | 2005年に駅名を変更したが、それまでは「日産前」と称していた。 この駅に限らず、岳南鉄道線の各駅は、地域の人々の手で花に飾られている。 この駅を出るとすぐに吉原本町に到着する。 | |
【よしわらほんちょう】 | 東海道の宿場町、富士市の商業の中心で、吉原商店街と岳南商店街の入口にあたる。 中心市街地空洞化の流れはあるものの、岳鉄の駅の中では乗降客が多く、駅員が配置されている。 次の本吉原まではわずか300mほどである。 | |
【ほんよしわら】 | 中華レストランの駐車場の奥にある分かりにくい駅。岳南鉄道の本社もこの駐車場の中にある。 この駅を出て左にカーブし、しばらくして右に曲がると岳南原田に到着する。 | |
【がくなんはらだ】 | 岳南原田は「そば屋」と共同の駅。前方に工場の大きな煙突が見え、いかにも製紙業の町といった風景。 電車は工場に向かって進み、右に折れて構内に入って行く。左側に引込線が寄り添い、貨車が見えてくると比奈の駅に着く。 | |
【ひな】 | 構内には電機機関車と貨車が待機している。日本の戦後復興を担い活況を呈していた頃を偲ばせる。 JRの貨物輸送の主流がヤード式から直行式に移ったこともあり、近年扱い量は激減している。 駅前には棟割式の飲食店があるが往年の賑わいはない。 | |
【がくなんふじおか】 | 車庫と貨物用側線があり、広い構内を持つ。廃車となった5000系(赤がえる)電車も留置されている。 駅舎の側面にはかぐや姫のイラストが描かれている。 | |
【すど】 | 駅舎はない。「須津駅」の看板の脇にある建物はトイレである。ドアのないトイレが乗客を迎える不思議な駅。 ここまで来ると工場は目立たなくなり、住宅街になる。駅周辺の道路は狭く、入り組んでいる。 | |
【かみや】 | 駅舎のない簡素な駅である。周辺は新興の住宅地で、町並みはよく整備されている。普段、客の乗降は少ないが、撮影のときには吉原方面への電車を待つ客が数人いた。 神谷を出てしばらく進み、東海道新幹線の陸橋をくぐると終点・岳南江尾である。 | |
【がくなんえのお】 | 終着駅ながらいかにも閑散としている。広い構内がかえって侘しさを誘う。それでもホームの花壇はいつも手入れが行き届いて美しい。 岳南鉄道の駅には、なぜか海抜標識があり、当駅の入口には「海抜2.8m」の表示がある。 |
7000形 1996年、京王電鉄井の頭線の3000形を購入。単行運転を可能にするため両運転台に改造して7000形とした。 5000形を順次置き換え、現在、主力車両として運用している。「新あかがえる」と呼ばれている。 | |
8000形 7000形同様、京王3000形を改造したもので2002年から運用している。2両固定1編成が在籍している。「がくちゃん かぐや富士」の愛称で、常時ヘッドマークをつけて運転している。 | |
ED403 松本電鉄で使用していたものを譲り受けた。 2005年、カラフル塗装にして鉄道貨物輸送の復権をPRしている。 平日、吉原と比奈の間を4往復している。 | |
ED501 1928年(昭和3)年、川崎車両製。 私鉄各社に在籍した後、1970年、岳南鉄道が譲り受けた。時代を感じさせないスタイルは、見る者を飽きさせない。 | |
5000形 東急東横線でデビューし、その後大井町線で活躍した。当時緑色の塗色と風貌のため「青がえる」と呼ばれていたが、岳南鉄道へ来てから赤色になったため「赤がえる」と呼ばれるようになった。今は役目を終えて岳南富士岡駅に留置されている。 ED291 1927(昭和2)年製の古豪。 岳南鉄道へ来たのは、1959(昭和34)年と聞く。 |
富士急グループのミニ路線
「駅点描」に続いて「車両」の紹介があります。 |
岳南鉄道の電車と機関車です。
7000形
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