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2012年10月23日(火)
ある光景

ある休日。河口湖駅から湖畔へ向かって歩いていく母子である。
若く美しいお母さんと、小学校低学年の男の子だ。
なぜか不釣り合いなほど大きなトランクを持っている。男の子はその母親を気遣って手を差し伸べる。

いつもなら見過ごしてしまう光景が、なぜか心に残る。

  
写真=休日の母子連れ

2012年9月17日(月)
ブランの日記 「久し振りのドライブ」

9月16日(日)、お父さんと久し振りにドライブをした。愕然としたことは、車に飛び乗るだけの跳躍力がなかったことだ。ボクはこの6月に12歳になった。人間でいえば70歳だ。
お父さんにお腹を抱えられてようやく乗り込んだ。乗ってしまえばしめたもの。ボクは車が大好きだ。
静岡の海近く、古い家が建ち並ぶ宿場町を通った。
峠で写真を撮ってもらった。富士山が雲に隠れて見えなかったのが残念。

  
写真=ドライブも疲れる

2012年7月14日(土)
北杜市へ小さな旅

7月13日(金)、山梨県内では富士五湖と並ぶ避暑地、北杜市の長坂、小淵沢を訪ねた。
①身曾岐神社
木立に囲まれた静謐さが、俗世界と一線を画した空気を醸し出している。神池に浮いた能楽殿の美しさに思わず息をのむ。北川悠仁(ゆず)と高島彩が結婚式をあげたことで一段と有名になった。
②三分の一湧水
八ヶ岳の湧水を、方形の池に設置した三角形の石で、三方向に均等に分けている。水争いを解決した先人の知恵である。簡素で美しい構造物は、今も現役で働いている。生きた歴史遺産である。
③平山郁夫 シルクロード美術館
小海線、甲斐小泉駅に隣接している。1階は主に、平山郁夫の幼少期からの作品を展示している。2階はラクダに乗った隊商を描いた大作が展示されている。そのスケールには圧倒されるとしか言いようがない。

 
 写真上=身曾岐神社の能楽殿
  写真中=三分の一湧水(三角形の石で水を三方に分けている)
  写真下=平山郁夫 シルクロード美術館

        【写真はクリックで拡大】

2012年7月7日(土)
ブランの日記 「12歳」

この6月、ボクは12歳になった。人間でいえば、おそらく70歳は超えていると思う。口の周りは真っ白になった。
特に衰えを感じるのは足だ。10歳過ぎから弱くなり、走り方はずいぶん遅くなった。
考えてみれば、ボク達イヌ族は、ライオンのような攻撃力を持っているわけではなく、シマウマのような逃げ足を持っているわけでもない。野性であれば真っ先に絶滅していたであろうが、幸い人間と親しくなったために今日まで生き延びることができた。
時間になればご飯が食べられるということは、当り前のようでいて大変ありがたいことだ、と改めて思う。
そんなことを考える誕生日である。

   
写真=誕生日の記念に湖畔にて

2012年6月11日(月)
信じがたい事態

政権が交代してよかったことは、それまで国民の目に触れなかったことが、次々とあからさまになったことであろう。
前政権ならば、すべてを闇のなかへ閉じ込めて、決して表へでないようにしたことが、−その稚拙さゆえに−分かったことだ。
この国を動かしているシステム。あたかも真実であるかのように見せかけても、誰も信じない建前だけの権威。科学的知見を無視した精神論。具体性のない空疎な言葉の羅列。
首相が是とすれば首長が是とし、取り巻きと受益者が是としたことをすべての人が是としたように見せながら、結局責任をとらなくてもよい仕組みをつくっていく。
国民の多くが、こうしたシステムそのものにノーを突きつけたはずなのに、意識しているのかいないのか、また旧来の方式へ戻ろうとしている。
信じがたい事態がおこっている。

2012年6月2日(土)
ブランからのお知らせ

秘書のブランです。写真はこの冬、山中湖畔で撮ったものです。
ボクももうすぐ12歳。顔がだいぶ白くなりました。
すでにご案内のとおり、所長は5月から新しい職場へ通っています。今度の職場は河口湖市街地から5kmほど富士山寄りのところにあり、富士急行線の日常観察ができません。
もちろんサイトは継続しますが、これまでのようなきめ細かいレポートはできないと思いますので、ご承知の上お付き合いください。
ブランからのお知らせでした。

   
 写真=山中湖畔で紅富士を背景に

2012年5月26日(土)
再就職心得

5月から新しい職場へ通っている。月初は休みが多かったので、実質3週間がたった。
再就職して分かったことが二つある。今から志す中高年には是非とも心に留めておいてほしい。
その第一は、パソコンを使えるようにしておくことである。パソコンができないと、文章を書くことも計算することもできない。すなわち、仕事ができないということになる。
大企業に勤めている人は、お仕着せのソフトを起動し、各項目へ打ち込みをするだけで仕事ができる。
しかし一般の企業ではそうはいかない。自分でなんでもやらなければならない。基本的な操作でよいから、エクセルとワードの基本だけはマスターしておきたい。
第二は“禁煙”である。今やタバコを吸う人は、犯罪者扱いされる。小生が勤め始めた職場でも喫煙者は皆無である。タバコを吸っている人は、自分では分からないが、周囲に悪臭をまき散らしている。
かく言う小生も禁煙歴1年半だが、禁煙してみてタバコを吸わない人の言うことが大げさではないことが分かった。
先輩からのささやかなアドバイスである。

2012年5月5日(土)
NHKのハテナ?

この時期、NHKの放送を聞いていて違和感を覚える表現が二つある。
その一つは、“大型連休”という言い方だ。一般的にはゴールデンウィークというのだが、ことNHKについて言えば、かたくなに大型連休という表現を使っている。GWは今から60年ほど前、映画業界で、この時期の観客動員のため考案された言葉である。NHKとすれば−60年経ったとはいえ−特定の業界用語には組しない、ということなのだろうか。
細かく言えば、ゴールデンといっても働きづくめの人はいるし、ウィークといっても1週間とは限らない。理屈に合っていないとはいえ、これだけ一般化している言葉を使わないのに不自然さを感じる人は少なくないであろう。
さて、もう一つ違和感を感じる言い方は、甲府放送局の天気予報で、“富士吉田市と鳴沢村に雪崩注意報”が出ることだ。実際には、富士山の雪崩注意報なのだが、おそらく甲府地方気象台の地域区分が市町村単位になっているため、こうした予報になるのだろう。
それにしてもなぜ、“富士山に雪崩注意報”と言えないのか、一般人の感覚からすれば、摩訶不思議としか言いようがない。
放送は、分かりやすさが第一、と思うのだが。

2012年4月28日(土)
退職&再出発

この4月末をもって、40年余り勤めた会社を退職することになった。27日は出勤最終日。業後、簡単なセレモニーをしてもらい、慣れ親しんだ職場を後にした。
“職縁社会”とは不思議なもので、毎日かなりの時間をともに過ごした人達と、一瞬にして別れることになる。仕事は生活の糧をえる重要な手段ではあるが、それがとりもつ縁はあっけない幕切れで終わる。
仕事の現場は必ずしもいいことづくめではない。不満もあれば軋轢もある。美輪明宏に言わせると、給料は“我慢の対価”だという。
至言であろう。
それでも退職を迎えて分かったことは、過去の嫌なことは忘れ、気持ちがスッキリとクリアーになることだ。人間の“思い出フィルター”は実にうまくできている。
ところで、当年63歳の小生に、思いがけない再就職話があり、5月から新しい職場へ赴くことになった。今度の職場は富士河口湖町にある学校だ。
体力の衰えは如何ともしがたいが、気持ちだけは若く、新たな仕事に取り組んでいこう。

2012年4月16日(月)
房総三人旅

4月15日(日)、一泊二日の旅程で友人二人と房総半島を巡った。往きは東京湾アクアライン。
七里川温泉で汗を流し、城下町・大多喜へ。大多喜駅では、「急行そと房」として運転されているキハ52−125に対面。ノン鉄の連れに若干の時間をもらい、しばし懐かしさにしたることができた。
館山へ泊って翌日は鋸山へ。鋸山は山全体が日本寺という寺の境内地で、険しい階段道のそこかしこに石の仏像がある。とりわけ大仏は、我が国最大の大きさで見るものの目を奪う。なんと高さは31mで、奈良の大仏の18mを大きく上回る。
帰りは東京湾フェリーで久里浜へ。
今年は寒さのせいで桜の時期も遅れ気味。この時期、散りかけの桜を見ることができたのも幸運な三人旅だつた。


桜に彩られた
キハ52
「急行そと房」号


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2012年4月5日(木)
深海魚のごとく

深海魚を釣りあげると、目玉は飛び出し肺は口から出てくるといった具合に、悲惨なことになるらしい。急に下がった外圧に比べて強すぎる体内の圧力を調整できないためだ。
何事も急激な変化に対応することは難しい。急激な変化は、釣りあげられた深海魚のような苦痛を伴うものだといってよいだろう。
しかも、変化したからといって、苦痛に見合うだけのものがあるかといえば、そうとも限らない。変化を望むとしたら、それがどういう結果をもたらすか、十分な検討が必要だろう。
とはいえ、我が国を覆っている閉塞感は、今や、何もできない民主主義より実行力のある独裁主義、という願望につながっていないたろうか。
こうした変化が大きな危険を孕んでいるとしても、現状があまりにも救いようがないとしたら、その流れを止めることはできないかもしれない。

2012年3月3日(土)
「平均」と「公平」

2月28日の読売新聞「編集手帳」から、以下しばらくは原文のまま。
【立川談志、橘家円蔵、古今亭志ん朝、毒蝮三太夫の4師匠が焼き肉を食べた。帰り際、談志さんが「おい蝮、お前が払え」と言う。「割り勘は皆が不愉快になる。お前が払えば、お前だけ不愉快で済む」
円蔵さんの高座で聴いたマクラである。たった一人で不愉快を引き受けるのではたまらないが、ならば割り勘がいつも公平かといえば、そうとも限らない。
酒豪3人が1万円づつ飲み、2000円しか飲まなかった人も含めて8000円ずつの割り勘では、お気の毒だろう・・・・・云々】
さて、この話から推測できること。
蝮は余程の大食漢で大酒飲み、ということ。円蔵も内心、談志に同意したから噺のマクラに使ったのであろう。もともと、談志は口が悪いと言われるが、見方によれば率直な性格ともとれる。言いにくいことが言えて共感をえることができる。人徳と言うべきだろう。
生前、自身がよくマクラに使っていた「談志が死んだ」のフレーズ。上から読んでも下から読んでも同じ。回文という。

2012年2月18日(土)
甘酒

帰宅のバスを待っているとき、道向かいの喫茶店の店主が顔を出し、「甘酒を飲んで行かないか」と声をかけてくれた。
なじみの店ではない。
その時は、「すぐバスが来るので」と断ったが、折角なので翌日立ち寄った。
コーヒーを注文したところ、甘酒もご馳走してくれた。
「昨日はお知り合いと勘違いされたのでは?」と聞いたところ、「ただ、寒そうに見えたから」とのこと。
この町は甘酒以上に温かい。

  写真=町中の喫茶店「のばら」

2012年2月5日(日)
内藤新吾講演会

2月4日(土)、富士吉田市民会館で、「浜岡原発の廃炉を願う市民の会」(富士吉田市)主催による内藤新吾講演会が開催された。会場は200人以上の参加者で埋まり、熱気に満ちた講演会になった。
内藤氏は、牧師になった初任地の名古屋で原発被曝労働を繰り返した野宿生活者に会い、以後18年にわたって原発問題に取り組んできた。今回の講演は、掛川の教会に在任中、浜岡原発差し止めに力をつくした経験から、「もっと知りたい浜岡原発のこと」と題して原発の危険性を訴えた。
浜岡と富士吉田は、わずか100kmしか離れていない。「浜岡原発の廃炉を願う市民の会」は、原発全廃を最終目標とするものの、まずは浜岡廃炉を目指している。
具体的には、国などの関係機関へ浜岡原発廃炉の意見書を提出するよう富士吉田市議会に働きかける取り組みをしており、市議会への請願書に、すでに4000人の署名を集めたという。



参加者の質問に答える内藤新吾氏

「浜岡原発の廃炉を願う市民の会」
連絡先:ナノリウム
電話:0555-24-2938
2012年1月25日(水)
福島からの寒中見舞い

福島に住む大学時代の友人夫妻から寒中見舞いがきた。南相馬市の自宅へ出した年賀状が福島市の仮住まいへ転送されるのに時間がかかり、返事が遅れたものだ。
夫妻は同じサークルの学部生と看護学生だった。
ゆえなく故郷を追われる理不尽さに、言うべき言葉が見つからない。
知人が苦しんでいる姿に触れ、改めて原発事故の罪深さを思わざるをえない。

 
写真=福島からの寒中見舞い
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2012年1月9日(月)
小出裕章氏講演会(甲府)

1月8日(日)、甲府市のコラニー文化ホールにおいて、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏による講演会が開催された。小出氏は原子力の専門家ながら、その危険性を訴え続けてきた不屈の研究者だ。
会場は年齢性別を越えた2000人の聴衆で埋まり、多くの人が入場をあきらめざるをえなかった。目立ったのは子ども連れの父母で、放射能汚染に対する関心の高さを示していた。
講演はパワーポイントの画面により分かりやすく進められた。
福島原発事故の現状、電力需要と原発の位置づけ、放射線被害の実態、人類の歴史とエネルギーなど、真実が次々と明らかにされる。
小出氏の願いは、①子どもを被曝させないこと、②一次産業を守る、の2点。会場全員がこの願いに共感した。


「子どもの未来のために知ってもらいたいこと」と題して講演する小出裕章氏

この講演会の模様は
1月14日(土)、午後8時からユーストリームで配信される。
講演会で配布された資料の一部   【クリックで拡大】
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所長室です。写真は、ボクが所長のお供で岳南鉄道の岳南江尾駅へ出張したときのものです。岳南鉄道は、所長が好きな鉄道のひとつです。
所長は不在のときが多いのですが、部屋のドアはいつでも開いています。自由に出入りして構いません。机の上にある所長の雑記帳は〜たまにしか書いてないのですが〜自由にお読みください。

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