このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

<<前のページ  |  次のページ>>
2011年12月4日(日)
想定外

「想定外」という言葉は、どうやら二通りに使われるらしい。
本来の意味は、考えられるすべての条件やケースを想定して、なおその想定の範囲を超えてしまった、ということであろう。
ところがいま伝わってくる「想定外」は、意味が違っていることが多い。すなわち、ある条件やケースを想定して極めて悪い結果が導き出される場合、その条件やケースを、はなから想定から外してしまうのだ。
「想定できなかった」と「想定しなかった」の違いは大きい。
十分注意して見極めることにしよう。

2011年11月26日(土)
ブランの日記 「近況雑感」

毎朝、湖畔までお散歩に行きます。ここ数日、朝晩めっきり冷え込んできました。山中湖の最低気温は、たぶんマイナス5度くらいになっていると思います。
富士山の写真を撮る人は、この時期の日没を「ダイヤモンド富士」などという名前をつけて盛り上がっていますが、東富士の住人にしてみれば、日の入りが早い、その分寒さが厳しい、ということであまりありがたくないのです。
でもボクは寒冷地の原産なので、寒さは平気です。
ところでここ数日、日の出前の富士山が紅く染まるようになってきました。「紅富士」といいます。これは当地特産です。
今朝もきれいな紅富士だったので、お父さんに写真を撮ってもらいました。撮ってもらった写真を見てビックリ。自分が気がつかないうちに顔が白くなって、改めて歳をとったものだと思いました。それでも、こうして元気に生きられるとは、本当にありがたいことです。
本格的な冬は、すぐそこまでやってきています。お互い、風邪などひかないよう気をつけましょう。


紅富士をバックに
山中湖畔で
【クリックで拡大】
2011年11月5日(土)
童謡雑感

NHK−FMの「にほんのうた世界の歌」という番組で、日本の童謡を放送している。放送時間は平日午前9時20分から10時まで。車で移動する際にはよく聴いている。
歳をとるほどに、子どもの頃に親しんだ歌が懐かしくなるのは自然の成り行きだ。世の中、移り変わりは激しい。私たち“前期高齢者”は過去にこだわり、ただ感傷にしたるのみである。
ところで最近、童謡を聴きながら気がついたことがある。
その第一は、3拍子の曲が多いということだ。
朧月夜、せいくらべ、うみ、ふるさと、みかんの花咲く丘、浜辺の歌、早春賦、浜千鳥、赤トンボ、といった類である。これらはヨーロッパ風の軽快な3拍子と違い、しっとりとした、いかにも日本風な3拍子だ。
さて、気づいたことの第二は、童謡にはシリアスな内容のものが多いということである。最後まで聴いてはじめて真意が明らかになる、といった歌も多い。
「みかんの花咲く丘」のおかあさんは、かなり以前に亡くなったのだろうか?「花かげ」や「花嫁人形」は、お祝いよりも淋しさが前面だ。「赤とんぼ」では15歳で嫁に行った“ねえや”を偲び、「里の秋」では戦地へ赴いた父の無事を祈る。
「童謡の時代」は、日本社会の厳しさが子どもにも色濃く影を落としていた時代、ということもできよう。

2011年10月20日(木)
「一命」(日本映画)

【あらすじ】1634年(寛政11)のある日、井伊家へ津雲半四郎(市川海老蔵)という浪人が訪れ、家老へ取次ぎを請う。主家が改易になり生活が成り立たなくなったため、庭先を借りて切腹させてほしいとの願いである。
江戸時代初期、巷は浪人があふれていた。大名の取り潰しが相次ぎ、貧窮に耐えかねた浪人の中で「狂言切腹」が流行っていた。はなから切腹するつもりはなく、有力な大名屋敷を訪れては迷惑料をもらって引き下がるという手口である。
家老・斎藤勘解由(役所広司)は津雲もその類であろうと思い面会するが、相手はどうも本気で腹を切るつもりらしい。
そこで斎藤は、以前当家にやってきた若い武士・千々岩求女(瑛太)の話をしたのだが、実は千々岩は津雲の娘の夫だった。
【かんそう】人は単純に善人悪人という色分けができないのは当然のことであるが、こうした映画の場合、善人側、すなわち貧乏の側にもっと共感できる理屈があってもよいのではないだろうか。
他家の庭先で切腹したいという申し出自体が、その家にとっていい迷惑であることは間違いない。
世の中、貧富の差がないに越したことはないが、如何ともしがたいのが現実だ。武士の面目を保つためには、もう少し別の方法もあるのではないか。
浪人の生活を気の毒だとは思うが、もうひとつ感情移入がしきれなかった。

2011年10月15日(土)
「美しい言葉」

東日本大震災以降、言葉遣いについての議論が目立つ。
最近でも、釜石のラグビーチームに対し、対戦相手チームのメンバーから心ない発言があったり、湯布院のイベントで被災地の感情を逆撫でする“絶叫”があったりと、問題発言があとを絶たない。
一方で、ハテナ?と思う論調もある。
過酷な現実に直裁的な表現をすると、非難される類である。前経産大臣の発言は、その最たるものであろう。当事者(国の代表)が反省の弁もなく「死の町」と言ったのはいかがとは思うが、「死の町」という言葉自体があの惨状の比喩として不適切だっただろうか。
事実を率直に表現することを非とするのは、厳しい現実をオブラートで包み、なるべく深刻さを感じさせないよう仕向けているのではないか、と思ってしまう。
「美しいだけの言葉」に惑わされてはならない。

2011年10月4日(火)
冬近し

10月3日、富士山に何度目かの雪が降った。
この日は5合目付近までうっすらと白くなった。麓はぱらつく程度の雨だったので、山もさしたる降雪量ではなかったのだろう。
今朝、テレビでは北海道、東北の山々の初雪を伝えている。なかには平年より20日以上早いところもあるという。
地震・大雨に続く天変地異が心配になってしまう。
おだやかな日本列島が戻ることを願わずにはいられない。

 
 写真=うっすらと白くなった富士山(忍野村)
     【写真はクリックで拡大】

2011年9月17日(土)
原発事故を考える(文庫ライブラリ)

未だ収束の見通しが立たない福島原発事故。過去の事故から学ぶべきものはあまりにも多い。小生「 文庫ライブラリ 」のなかの関連本である。
=紹介文は背表紙の解説による=
【恐怖の2時間18分】(柳田邦男)[文春文庫]
冷却水停止、炉心圧力上昇、燃料棒損傷、避難パニック・・・。1979年、スリーマイル島原発で起きた事故は、まさに「今」を予言している。安全とされた巨大システムはなぜ崩れたのか?技術への過信、人間の判断の危うさ、情報の混乱−−徹底的な現地取材で構成した迫真のドキュメント。原発問題を考えるための必読の書。
【チェルノブイリ診療記】(菅谷昭)[新潮文庫]
チェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺ガンになった子どもを助けたい−−外科医菅谷昭は、5年半にわたって滞在。貧弱な医療体制の中で数多くの子どもを救い、その手技は「奇跡のメス」と賞賛された。事故後、子どもたちの身に何が起きたのか。現地で綴った貴重な診療記に福島第一原発事故を受けての警告を加筆した、原発禍を最も深く知る医師による真実のレポート。
【チェルノブイリの祈り】(スベトラーナ・アレクシエービッチ)[岩波現代文庫]
1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か。本書は普通の人々が黙してきたことを、被災地での丹念な取材で聞き取る珠玉のドキュメント。汚染地に留まり続ける老婆。酒の力を借りて事故処理作業に従事する男。戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者。4半世紀後の福島原発事故の渦中に、チェルノブイリの真実が蘇る。
【朽ちていった命】(NHK「東海村臨界事故」取材班)[新潮文庫]
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった−−。「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に朽ちていく体。前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント。

 
写真はクリックで拡大。上から順に
   
「恐怖の2時間18分」
   「チェルノブイリ診療記」
   「チェルノブイリの祈り」
   
「朽ちていった命」

2011年9月8日(木)
秋の気配

台風12号が去り、朝夕の冷気と抜けるような青空がやってきた。雨は空中のほこりを一掃した。
出社して、「今朝は空気が澄んでるネ」と話しかけたところ、50代のパート主婦は、「そうですね。気持ちがいいですネ」という常識的な返事。ところが20代のパート主婦は、「えっ、社内の、ですか?」
自然の移ろいに気がつくようになるには、ある程度、年齢を重ねる必要があるらしい。
        
       
 写真=色づいたナナカマドの実 【クリックで拡大】

2011年8月27日(土)
「カクレモモジリ」の菓子大人気

人気の絵本シリーズ「こびとづかん」に登場するキャラクター「カクレモモジリ」の山梨県内限定商品が爆発的な売れ行きとなっている。
カクレモモジリは、桃に寄生して糖分を吸う体長約15㌢の「こびと」。
菓子は山梨県内産の桃を使った蒸しケーキやクッキーなど6種類があり、県内中央道のSAとPAの売店で販売されている。
SAやPAのなかには、一般道から立ち入りができるところもあり、高速道路へ乗らなくても買うことができる。
価格は630円〜840円。


カクレモモジリの蒸しケーキ
2011年8月18日(木)
河口湖フレンチ「ロマラン」

8月13日(土)にテレビ東京系列で放送されたアドマチック天国(河口湖)で、ロマラン(フレンチレストラン)が18位にランクインした。
ここのオーナーシェフとは20年近いお付き合いだが、その仕事振りには脱帽する。とにかく、手を抜くことがない。
店を持つ前にアメ細工の練習をしているところに行き会ったことがある。もともとホテルのシェフだったため、デザート作りをしたことがないとのことだが、今やそのデザートを楽しみにしている客も多い。
野菜は有機農法による自家栽培。料理をいただいて感動する、という経験はそうめったにあるものではない。
ランチはリーズナブルなので、気軽に寄ってみよう。


河口湖ハーブ園(大石公園向かい)の
庭から見た「ロマラン」
(右の三角屋根の建物)
2011年8月5日(金)
1枚の写真

心に残った1枚の写真。読売写真クラブの入選作で、7月31日の新聞紙上で紹介された。
若い父親と幼い息子がガレキを片付けている。流された自宅の跡であろう。この子の母親は無事だったのだろうか。あるいは兄弟は・・・。
おそらく毎日不自由な生活を強いられているに違いない。
失われた日常を取り戻すための道具はスコップと一輪車しかないが、それでも子どもの無心な姿を見ていると、力強く生きて行ってほしいと願わずにいられない。

  
写真=「復興助っ人」 【クリックで拡大】

2011年7月29日(金)
夏の庭

今年、妻が家庭菜園づくりに凝っている。去年までとは違う我が家の庭だ。
なにせ標高千メートルの高冷地である。
ミニトマトはまだ赤みがさしてこない。キュウリはちょうど食べごろだ。
見回せばアジサイが満開。アサガオも紫の花を開いた。
ハチはハチで物置の軒下に巣をつくっている。
夏の庭の風景である。

  
蛇足:湯本香樹実の「夏の庭」は こちら


ミニトマト

キュウリ

アジサイ

アサガオ

ハチの巣
【クリックで拡大】
2011年7月27日(水)
ふたつの事故

7月23日、中国高速鉄道が追突事故を起こし多くの死傷者がでた。事故自体も衝撃的だったが、それにもまして驚いたのは、発生後わずか中1日をおいて正常運転に復帰したことである。事故原因が明らかでない時点での早急な運転再開には、日本のマスコミからも疑問の声があがった。
ところで、我が国では1か月前、経産大臣が佐賀を訪れ玄海原発の安全性確認を表明した。福島第一原発の事故原因が不明どころか事故の現状も把握できない状態であるにもかかわらず、である。その後、玄海原発の危険性が各方面から指摘されている。
ふたつの事故の深刻さは比べようもない。
玄海原発について論評を避けた今の日本のマスコミに、果たして中国鉄道省を論ずる資格があるだろうか。

2011年7月9日(土)
小型ソーラー扇風機

週に3日ほど甲府で仕事をする。甲府盆地は、今年も日本一の暑さを記録した。にもかかわらず節電で、どこへ行っても暑苦しい。
そこで自己防衛のため、小型扇風機を購入した。
ソーラーパワーだが、USBで充電して使うこともできる。卓上においてよし、首からぶら下げてよし、という優れものだ。
製造販売は、10年前に亡くなった歌手・河島英五の弟さんが経営する(株)河島製作所(大阪府大東市)だ。価格は1980円。同社のHP( こちら )から申し込んで代金を振り込めば数日で到着する。

立てて使う場合
USBで充電可
首から下げる
羽の向きを上に
【クリックで拡大】
2011年6月28日(火)
地デジ化

大型連休中の3日間、大阪から保育園年長組の孫がやってきた。3月中、関東地方で実施された計画停電のニュースがよほど気になったらしく、各部屋の蛍光灯を指差しながら「ここ停電した?」、「ここは?」と聞き歩く。どうやら停電は蛍光灯ごとに起きるものと思っているらしい。
ところで我が家には食堂と居間にテレビがあるのだが、朝食時の食堂でたまたま地デジ化の話になった。
私がテレビを見ながら「アナログ放送もいよいよ終わりだな」と言ったとの妻の反応。−−−
「居間のテレビも終わるのかしら」。
発想は孫と変わらない。

2011年6月23日(木)
行動パターン <男性型と女性型>

【事例1】
メーカーの営業課長の話である。最近、女性の営業職を部下にもって気がついたことがあるという。次はひとつの事例である。
A社からの受注の一部をB社に外注したところ、B社から納期を1日延ばしてほしい、という連絡をうけた。このような場合、営業担当者のとる行動は、男性と女性で明らかに異なるという。
男性はB社の申し出に寛容でA社の了解を得るべく力を尽くし、女性は何としてでもB社に期限を守らせようと督励する、のだそうだ。
どちらの営業担当が優れているかは明らかだ。
男性型のやり方だと次にまた同様のことが起きかねない。もちろん、A社の信頼を損ねる可能性が高い。
まずは、先方の言い分が妥当かどうか十分確認すること。当社優先の体制をとらせ、むやみにつけを回されないよう注意が肝要だ。
【事例2】
この夏、原発が止まり電力不足になるという。
<男性型>
・夏の電力不足は疑いようのない事実である。
・したがって、停止している原発を直ちに運転しなければ電力不足は解消しない。
・加えて、各企業、家庭とも電力を15パーセント節約しないと計画停電になる。
<女性型>
・電力不足というのは電力会社の言い分。実態がはっきりしないので納得できない。
・原発の危険性が十分に分かったいま、とても運転再開を容認できるものではない。
・企業の自家発電を生かせば、電力不足は解消できるはずだ。
この議論、どちらの主張に説得力があるかは明らかだ。

2011年6月7日(火)
「原発のウソ」(扶桑社新書)

福島第一原発の事故を受けて、この6月1日に緊急発行された書きおろしである。
著者の小出裕章氏は京大原子炉実験所助教で、原子力の専門家でありながら、40年にわたりその危険性を訴え続けてきた“不屈の研究者”である。
機械は故障するものであり、人間は過ちを犯すものだ。至極当り前のことが、なにゆえ原子力に限って抜け落ちてしまったのか。原発が絶対安全などということはありえないのに、私たちは大きな力によって誤った考えを摺りこまれたのだと気づく。
小出助教の警告が現実のものとなり、真実を求める人々によって、本書がベストセラーになっている。
こういう本が売れるのは決して喜ばしいことではない、と思っているのは、ほかならぬ著者自身であろう。
子どもたちの未来のため、今日ほど大人の責任が問われているときはない。

  
【原発のウソ 目次】
    第1章 福島第一原発はこれからどうなるのか
    第2章 「放射能」とはどういうものか
    第3章 放射能汚染から身を守るには
    第4章 原発の“常識”は非常識
    第5章 原子力は「未来のエネルギー」か?
    第6章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない
    第7章 原子力に未来はない


原発のウソ
(777円)

小出助教が本書の中で
紹介している文庫
「朽ちていった命」は

文庫ライブラリ

こちらのページ

2011年5月26日(木)
「真実の追求」 −参議院行政監督委員会−

5月23日、衆議院震災復興特別委員会で福島第一原発事故問題に関し、自民党谷垣総裁が菅総理の責任を追及し不毛の議論を繰り返していたその日、参議院行政監察委員会では、異例ともいえる参考人による意見陳述が行われた。
招聘された参考人は、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章、芝浦工業大学非常勤講師(元原子炉設計技師)・後藤政志、神戸大学名誉教授(地震学)・石橋克彦、ソフトバンク社長・孫正義、の4氏である。
いずれも原子力発電に批判的な立場の人だ。
その模様は、「 参議院インターネット中継 」を開き、5月23日、行政監察委員会をクリックして見ることができる。
日本の国会でもこういう審議があるのかとわが目を疑う。何よりも、真実を追求しようとする姿勢が清々しく、見ていて時間の経つのを忘れる。
さらにお薦めをもうひとつ。5月18日に衆議院文部科学委員会での中部大学・武田邦彦教授の意見陳述も見逃せない。「 衆議院TV 」からアクセスしてみよう。
 
 
<参考>【これらの先生方関連のホームページ】
   ・ 小出裕章(京大助教)非公式まとめ
   ・ 後藤政志が語る、福島原発事故と安全性
   ・ 石橋克彦の歴史地震研究のページ
   ・ 武田邦彦(中部大学)

2011年5月21日(土)
「100,000年後の安全」(映画)

笛吹市の「テアトル石和」で、いま話題の映画「100,000年後の安全」を観た。2020年運用開始を目指してフィンランドのオルキルオトに建設中の高レベル放射性廃棄物最終処分場、“オンカロ”へはじめてカメラが潜入し、制作したドキュメンタリー作品だ。
オンカロは硬い岩盤をスロープ状に掘削し、地下500メートルに廃棄物保管場所を設ける巨大施設である。
原子力発電は、使用済み核燃料の始末を棚上げにして開発されてきた。日本でもおびただしい数のドラム缶が、原発敷地内や六ヶ所村へ仮保管されているという。増え続ける廃棄物をどうするつもりなのか、まったく道筋が見えていない。
原発が「トイレのないマンション」と言われる所以である。
要は水を沸騰させる方法の話である。湯を沸かすくらいのことは、大昔からやってきたことではないか。それを今日の人間は、なぜこんな危険な方法でやらなければならないのだろうか。
それにしても山梨の場合、甲府周辺のシネコンではなく、町の片隅の映画館での公開とは、館主の心意気やアッパレというほかはない。


テアトル石和では
「100,000年後の安全」と
「漫才ギャング」を
5月28日まで
1200円で上映中
2011年5月9日(月)
サクラ咲く国

日本は、サクラの花が咲く国である。山や里のみならず、大都会も、その時期になれば満開のサクラに彩られる。
私たちは、サクラの季節を命の節目と感じるDNAを身につけているのだろう。あの竹内まりやですら、50歳を迎えた記念曲「人生の扉」で、あと何回サクラの花を見ることができるか、と歌っている。
4月を新年度としたのは、自身の生命と社会の動きが連動しているだけに、日本人には馴染みやすい区切りである。
それにしても被災地で、ガレキに押しつぶされながらも花を咲かせるサクラの生命力はどうだろう。
未曾有の災害をもたらした地震・津波も、倒木に咲くサクラも、大いなる自然の日常の営みだ。私たちは、圧倒的な力をもつ自然の中で生きていることを、改めて思い知るべきだろう。


福島第一原発西方約40km
三春滝桜、昨年の賑わい
(2010.04.17)
2011年4月25日(月)
映画「東京原発」 〜ノーカット版リンク付き〜

「東京原発」は、2004年(平16)に公開された日本映画である。東京に原発を誘致しようとする都知事(役所広司)と、それに反対する副知事らとのやりとりを通し、反原発の姿勢を貫いている。原発の恐ろしさがブラックユーモアたっぷりに描かれているが、今日、現実の問題となってみれば観ていて背筋が寒くなる。
東京へ原発を誘致するに当たり、知事、副知事(段田安則)をはじめ幹部職員(平田満、岸部一徳、吉田日出子など)は東大の榎本教授(綾田俊樹)を招致し、原発に関する説明を受ける。原発の危険性を訴える内容で、この映画のハイライトである。浜岡原発の耐震性、プルトニウムの毒性など、聞き捨てならない内容が淡々と語られる。当時、映画の内容について原子力関係の学者などから反論が相次いだようだが、福島第一原発事故を目の当たりにすれば、何と言われてみても納得することは難しい。
映画「東京原発」は上映時間110分。

東京原発
2011年4月1日(金)
言霊の国

高名な作家の言によると、日本人は“言葉に霊力がある”と考えているという。人間を他の動物と分けるポイントのひとつは言葉の有無である。その意味で、人間である限り、どの民族でも言葉の力を信じてはいるのだが、日本人はとくにその傾向が強いらしい。
言葉が持っている霊力を言霊(ことだま)という。日本人は言霊の国の住民である。
日本人は、不吉なことを言うとそのとおりになってしまうと考える。発言者は「縁起でもない」という非難に晒される。だから、“不吉なことは言わない”ということになる。
自身を振り返ってみても、会社の会議で慎重な発言をして反発された経験がある。新たにことを起こそうとする場合、リスクについて触れると発言者が悪い事態を期待しているかのように受け取られてしまうことにもなりかねない。結局、当たり障りのない意見や、無思慮であっても元気な意見がまかり通ることになる。元気な意見を述べていれば、よい結果が待っているような気がするからだ。これも言霊の持つもう一方の力である。
しかし、本当の危機に直面して事態を冷静に判断しなければならない場合、最悪の事態から最良の事態まで、様々なケースを議論するすることは是非とも必要であろう。「そうなっては困る」という思いを背景に現実から目を逸らすのは手遅れを招き、事態をさらに悪化させるに相違ない。
いまこそ、“言霊の呪縛”を解き放し、事態を直視する姿勢が必要とされているといえよう。

2011年3月18日(金)
安全にとまる

計画停電によって電気がとまっている。今日は午後6時20分からの停電なので、家々は月明かりの下に沈んでいる。我が家では灯油ランプなるものを探し出し試してみたところ、これが存外明るい。
今からちょうど40年前、1971年(昭46)3月4日の午前8時25分ころ、富士急行線の緑ヶ丘第二踏切で、大月行き普通電車が遮断機を突破してきた小型トラックと衝突した。トラックは車両の下に引きずりこまれ、空気溜めを破損した。電車はブレーキがきかなくなり、最急40‰の下り勾配を暴走し、寿−三つ峠間で脱線大破した。約120名の乗客のうち17名が死亡し、69名が負傷するという惨事になった。
この事故は、当時の技術では想定外の原因で起こったものであるが、この経験をもとに、以後、ブレーキについては、系統を多重化するなどの対策がとられるようになったという。
どのようなシステムであっても、「安全にとまる」ことができてはじめて「完成」といえるのであろうが、高度なシステムであればあるほど「完成」への路程は長い、というべきだろうか。
同じく40年前の3月26日、福島第一原発一号機の営業運転がはじまった。原子炉は自らとまることができず、いま異常な形でその最期を迎えようとしている。

停電の間、手元を
照らしてくれた
灯油ランプ
2011年2月12日(土)
デジタル社会

今年7月からテレビの地上波が完全デジタル化するとのことで、各テレビ局は宣伝しきりである。アナログ波のままでは電波が不足してしまうためデジタル化するのだとか。デジタル化により余裕のできた分、交通案内や緊急通報など生活に便利な使い方ができるという。
テレビ波のデジタル化に象徴されるように、世の中、何もかもデジタルに移行しているが、何故かこうした流れに違和感をおぼえてしまうのは、あながち小生が高齢だからという理由だけではなさそうだ。
以下デジタル化の持つ問題点について、まったく異なる3つの視点からみてみたい。
まずもって、人間はもともとアナログ的能力によって思考し運動しているのではないか、という疑問である。例えば、キャッチボールで球を受けるとき、人は球の速度とか方角を計算して受けているわけではない。自然に腕が伸びて自然に受けているだけである。もし、この作業をロボットにさせるとしたら、瞬時に膨大な計算をしなければならないだろう。こう考えれば、人間に限らず生命体は、アナログ的能力の集積物ということができないだろうか。人間の感覚は、所詮0、1信号には馴染めないのかもしれない。
次に視点を変えて、デジタル技術が完成する過程についてである。新たなデジタル技術は従来の技術を断ち切ってしまうことにより生まれるいう特性がある。CDの誕生はレコード技術向上の価値を奪い、液晶の誕生はブラウン管技術を終焉に追い込んだ。またCCDの登場によりフィルム技術の進歩は危機に晒されている。新技術が従来の延長線上にないということは、見方を変えれば、技術開発のリスクがいかにも大きいといえないだろうか。
ところで、デジタル技術の進化によってもっとも懸念されるのが、記録媒体の脆弱性である。いまや、さまざまな媒体によって多量の記録を保存することが可能になったが、これらの記録は物理的に破壊されることによって一瞬のうちに失われてしまう。あるいは長期的にみた場合、データはきちんと保存されているものの、データを復元するハードウェアが現存しないといった事態も十分考えられる。実際、このような事例は、ワープロからパソコンへ移行したとき、すでに経験している。
いやが応でも進むデジタル社会。これから私たちに何をもたらすか、十分注意していく必要がありそうだ。

2011年2月5日(土)
ブランの日記 「近況報告」

久しぶりに日記を書きます。
実は1週間ほど前から右前足膝に傷ができて病院へいったところ、傷口をなめないように、こんなカラーをつけられてしまいました。今は化膿止めの飲み薬で様子をみています。
右の写真は夜明け前、お散歩へ行ったときの富士山です。富士山に向かって右側、地平の上に地球の影(アースシャドウ)が見えます。山中湖は氷っています。
まとまりのない日記でした。


カラーが邪魔

氷の山中湖と富士山
         【クリックで拡大】
2011年1月15日(土)
富士北麓の小正月

富士北麓の各地では、小正月の行事として道祖神の祭りが行われている。集落により道祖神の飾り方はまちまちで、比べてみると面白い。
とりわけ立派なのは忍野村の飾りである。何本もの青竹へ満艦飾のように飾り付ける。子どもたちは書初めを展示して学業成就を祈る。
道祖神祭りは、ご近所協力してのお祭りだ。

   
 【写真はクリックで拡大】

富士吉田市内
子の神通り
富士河口湖町
河口地区
山中湖村
長池地区
忍野村
内野地区
忍野村忍草地区
書初めも展示
忍野村忍草地区
満艦飾の飾り
富士吉田市
新屋地区
富士吉田市
向原地区
2011年1月7日(金)
大河ドラマ「江」

平成23年のNHK大河ドラマの主人公は、浅井長政と市の三女にして二代将軍秀忠の正室、江(ごう)である。
戦国時代を描いた物語は数多くあるが、誰を中心に据えるか、ということで大分趣が変わってくる。
この時代のメジャーな人物といえば、信長、秀吉、家康といったところだが、「江」を真ん中に置いてみると、この3人から適度な距離にいることが分かる。
さすが、作者はうまいところに目をつけた、と感心する。

  
サムネイル=江をめぐる相関
       【クリックで拡大】
  

ホーム
所長室
路線研究室
運行研究室
車両研究室
岳南線分室
鉄道写真館
情報センター
交流センター

所長室です。写真は、ボクが所長のお供で岳南鉄道の岳南江尾駅へ出張したときのものです。岳南鉄道は、所長が好きな鉄道のひとつです。
所長は不在のときが多いのですが、部屋のドアはいつでも開いています。自由に出入りして構いません。机の上にある所長の雑記帳は〜たまにしか書いてないのですが〜自由にお読みください。

所長室

2011年

所 長 室 レポート集

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください