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国鉄特急 |
<本州>
はつかり 〔HATSUKARI〕 PC特急 DC特急 EC特急 L特急 写真追加2004.5.10 2008年9月27日更新 2012年4月22日更新( 写真追加 )
2012年4月30日更新( 写真追加 ) 2012年7月22日更新( 写真追加 ) 2012年7月29日更新( 写真追加 )
首都圏と東北を結んでいた名門特急。運転区間は上野〜青森間で、東北本線で北上、北海道連絡の昼間特急としても知名度は高く、東北方面の特急の代表格として輝かしい歴史を刻んで来ました。
はつかりは、1958年10月の改正で、東北初の特急列車として誕生。愛称は、冬の渡り鳥の雁(かり、がん)がその年に初めて飛来する様子を表した初雁(はつかり)という東北らしい名前が選ばれました。当初は常磐線経由で、全線SLが牽引する客車列車でした。
写真は、上野駅で出発を待つSL牽引時代はつかりです。牽引SLはC62 19[尾] 、下り特急はつかり1レ、1960年(昭和35年)12月4日に、Takazawa様が撮影された大変、貴重な写真を掲載しています。
C62は、上野〜仙台間を牽引、仙台 〜 青森間はC61が牽引、盛岡 - 青森間は補機としてC60が使用されました。
C62 19は、晩年、常磐線で活躍し昭和39年11月14日に廃車になりました。旧型客車がひしめく当時の上野駅のホーム、隣にはスハフ32 325の姿も見えます。
特急<はつかり>C6219 上野駅にて 1960年12月4日 Takazawa様撮影
写真は、同列車の最後尾です。列車最後尾の客車44系スハフ43 3 (東オク )にもはつかりのHMが取り付けられていました。しかも牽引SL用のHMとデザインが異なっていました。編成は、
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | |
C62 | スハニ 35 | スハ 44 | スハ 44 | スハ 44 | マシ 35 | ナロ 10 | ナロ 10 | スハフ 43 |
隣のホームには、C57165の姿も見えます。集煙装置取付前の姿、1973年3月1日に、浜田機関区にて廃車になりました。
特急<はつかり>スハフ43 3 上野駅にて 1960年12月4日 Takazawa様撮影
写真は、常磐線、土浦付近を快走するC62牽引のはつかりです。牽引SLはC62 10[尾] 、下り特急はつかり1レ、1960年(昭和35年)11月23日に、Takazawa様が撮影された大変、貴重な写真を掲載しています。C62 10は、晩年、平機関区に移動し1967年(昭和42年)11月24日に廃車になりました。
特急<はつかり>C6210 常磐線土浦付近にて 1960年11月23日 Takazawa様撮影
写真は、同列車の最後尾です。列車最後尾の客車は44系スハフ43 2 (東オク )です。下り特急はつかり1レは、上野発12:20、青森着が0:20で青森まで12時間を要しました。
特急<はつかり>スハフ43 2 常磐線土浦付近にて 1960年11月23日 Takazawa様撮影
写真は、客車列車時代の特急はつかりのサボです。上野駅にて、1960年12月4日撮影。窓付近の小さな黒点は、当時牽引していたC62の煙突から排出されたシンダー(煤煙の石炭の粉)が付着したものだそうです。
特急<はつかり>サボ 上野駅 1960年12月4日 Takazawa様撮影
はつかりがSL牽引の特急列車としてデビューした1958年には東海道本線で、電車特急こだまが登場しており、さすがに見劣りするため、このスタイルを踏襲した、初の特急用気動車81系が新製され、1960年12月10日に置き替えられました。特急用気動車81系は、1960年10月に東京東国立の鉄道技術研究所で開催されたアジア鉄道会議(ARC)に合わせて開発、新製され、大々的にお披露目されました。
写真は、1960年10月13日〜20日に東京国立の鉄道技術研究所で開催された第2回アジア鉄道会議(ARC)にて、お披露目された特急用気動車81系キハ81 1です。Takazawa様が1960年10月15日に撮影された貴重な写真を掲載しています。9両編成で公開され東京〜国立〜鉄道技術研究所間を臨時列車として実際に運転もされたそうです。
特急<はつかり>81系キハ81 1 鉄道技術研究所にて 1960年10月15日 Takazawa様撮影
写真は、同じく鉄道技術研究所にて、特急用気動車81系キハ81の正面です。正面から見ると独特のスタイルが良く判ります。
特急<はつかり>81系キハ81 1 鉄道技術研究所にて 1960年10月15日 Takazawa様撮影
特急<はつかり>81系キハ81 1 鉄道技術研究所にて 1960年10月15日 Takazawa様撮影
写真は、尾久客車区で、出発前の気動車特急はつかりキハ81 1です。以下の写真も含めTakazawa様が営業運転間もない1961年5月に尾久客車区で撮影された貴重な写真を掲載しています。周囲は旧型客車に囲まれています。初の特急用気動車81系は、他の気動車と異なり客車区に配属されました。
特急<はつかり>81系キハ81 1 尾久客車区にて 1961年5月 Takazawa様撮影
特急<はつかり>81系キハ81 1 尾久客車区にて 1961年5月 Takazawa様撮影
特急<はつかり>81系キハ81 1 尾久客車区にて 1961年5月 Takazawa様撮影
写真は、上野駅に停車する気動車特急81系はつかりです。TAKEMASU様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<はつかり>DC81系 上野駅にて TAKEMASU様撮影
写真は、上野駅で出発を待つ気動車特急81系はつかりのカラー写真です。車両はキハ812、下りはつかり1Dレ、1964年7月上野駅にて、客車時代と同じ時刻で運転された気動車特急はつかりですが、1961年3月改正では、所要時間が、10時間43分に短縮されました。又1963年4月20日からは、9両編成から10両編成となりました。
この写真も含め、以下の81系時代のはつかりの写真は、Takazawa様が撮影された大変、貴重な写真を掲載しています。
特急<はつかり>キハ81 2 上野駅にて 1964年7月 Takazawa様撮影
特急<はつかり>キハ81 2 上野駅にて 1964年7月 Takazawa様撮影
特急<はつかり>キハ81 2 上野駅にて 1964年7月 Takazawa様撮影
写真は、常磐線、湯本駅を通過するDC81系はつかり下り1Dレです。車両はキハ81 3、1965年7月に、福島県の湯本駅にて撮影。
特急<はつかり>キハ81 3 湯本駅にて 1965年7月 Takazawa様撮影
写真は、東北の雄大な景色の中を進む上りDC81系はつかり2Dレです。堂々の10両編成、東北本線、奥中山〜御堂間にて、かつてのSL三重連のメッカで、下り勾配の上り線の道床はブレーキシューの錆で茶色に変色、一方上り勾配の下り線の道床はSLの排出する空転防止の砂で白く変色しています。
特急<はつかり>2Dレ 奥中山〜御堂にて 1964年7月 Takazawa様撮影
写真は、常磐線の「夜ノ森駅」を通過中のDC81系はつかり1Dレです。1965年5月に撮影、現在この駅は福島原発事故で立ち入り禁止区域になっており、施設は相当傷んでいるのではないかと心配です。
特急<はつかり>1Dレ 夜ノ森駅にて 1964年5月 Takazawa様撮影
写真は、常磐線の進む上りDC81系はつかり2Dレです。常磐線、夜ノ森〜富岡間にて、1965年12月撮影、こちらも現在立ち入り禁止区域です。
特急<はつかり>2Dレ 夜ノ森〜富岡間にて 1965年12月 Takazawa様撮影
写真は、常磐線を進む同列車、DC81系はつかり2Dレです。常磐線、夜ノ森〜富岡間にて、1965年12月撮影。
特急<はつかり>2Dレ 夜ノ森〜富岡間にて 1965年12月 Takazawa様撮影
写真は、常磐線を快走するDC81系はつかり下り1Dレです。常磐線、夜ノ森〜富岡間にて、1965年12月撮影。未舗装の道路など当時の周辺の風景が良く判ります。
特急<はつかり>1Dレ 夜ノ森〜富岡間にて 1965年12月 Takazawa様撮影
写真は、常磐線、福島県の山間を行くDC81系はつかり下り1Dレです。常磐線、夜ノ森〜富岡間にて、1965年12月撮影。無骨なスタイルのDC81系は、この様な非電化の山間路線を走る姿が良く似合いました。
特急<はつかり>1Dレ 夜ノ森〜富岡間にて 1965年12月 Takazawa様撮影
写真は、東京都内の三河島駅を通過するDC81系はつかり下り1Dレです。常磐線、三河島駅にて、電車化直前の1968年7月撮影。
特急<はつかり>1Dレ 三河島駅にて 1968年7月 Takazawa様撮影
写真は、日暮里〜三河島駅を走行するDC81系はつかり下り1Dレです。常磐線、日暮里〜三河島駅にて、1968年8月撮影。
特急<はつかり>1Dレ 日暮里〜三河島駅にて 1968年8月 Takazawa様撮影
写真は、電車化前、利根川橋梁を渡る最終の上りDC特急はつかり2Dレです。車両はキハ81 3、1968年9月9日、常磐線、取手〜我孫子間にて、HMの周囲にはお別れの造花が装飾さていました。
特急<はつかり>キハ81 3 取手〜我孫子 1968年9月9日 Takazawa様撮影
写真は、同じく電車化前、最終の上りDC特急はつかりです。車両はキハ81 2、1968年9月9日、常磐線、取手〜我孫子間にて。
特急<はつかり>キハ81 2 取手〜我孫子 1968年9月9日 Takazawa様撮影
以下は、各時代のはつかりのヘッドマークです。SL牽引時代のヘッドマークは、よく見ると3羽の飛ぶ雁に、ちゃんと目もくちばしも描かれています。又客車用のテールマークには、脚まで色分けして描かれています。客車用のテールマークは、電線の様なものが延びているので、夜は点灯するタイプだったではと思われます。
はつかりヘッドマーク SL用 上野駅にて 1960年12月4日 はつかりテールマーク 客車用 上野駅にて 1960年12月4日 はつかりヘッドマークDC用 上野駅にて 1964年7月 3枚共Takazawa様撮影
気動車特急の礎を築いたはつかりですが、1968年9月9日には常磐、東北本線の全線電化により、はつかりは電車化されました。キハ81は、その後 つばさ 、 いなほ 、 ひたち に使用された後、和歌山に転属し、 くろしお に使用され、1978年10月に引退し廃車されました。
電車化されたはつかりは、当時の新鋭583系が使用され、1968年10月1日改正では、東北本線、上野〜仙台間が電化複線化されたためはつかりは常磐線経由から全線東北本線運転となりました。
写真は、上野駅に現れたはつかり電車化試運転列車です。車両は、583系クハネ581、直流、交流50Hz/60Hzに対応した583系は、1968年に新造され、関東以北に姿を現したのはこれが最初でした。上野駅にて、1968年8月撮影。Takazawa様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
583系試運転列車 上野駅にて 1968年8月 Takazawa様撮影
写真は上野駅に停車する583系はつかりです。1976年頃、Toyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
電車化後はつかりは1968年10月1日からは、2往復体制になり、最速で上野〜青森間を8時間30分で結びました。1970年10月改正では、3往復に、1973年(昭和48年)3月改正では4往復となり、583系だけでは車両が足らなくなったため485系も加わりました。更に1973年10月改正では5往復となりました。
特急<はつかり>583系 上野駅にて 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は夕日を浴びて快走する583系はつかりです。1976年頃、Toyoshima様が撮影された、貴重な写真を掲載しています。
特急<はつかり>583系 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は上野駅に到着した583系上りはつかりの横顔です。車両はクハネ581、1976年頃、Toyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<はつかり>583系 上野駅にて 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は上野駅で撮影したはつかり、1976年3月に撮影、車両は非貫通の485系です。この頃は5往復が運転され、485系も使用されていました。又1978年10月改正では、さらに増便され6往復体制となりL特急に指定されました。
特急<はつかり>485系 上野駅にて 1976年3月26日撮影
写真は仙台駅で撮影したはつかり、1979年8月撮影、車両は583系です。このはつかりも1982年11月15日の東北新幹線開業により、盛岡〜青森間の新幹線接続の特急列車となり、活躍の場を北へ追いやられました。
特急<はつかり>583系 仙台駅にて 1979年8月撮影
特急<はつかり>485系 仙台駅にて 1979年8月撮影
下の写真はイラスト入りヘッドマークの583系のはつかりです。1982年5月にデジアナ様が、上野駅で撮影された写真を掲載しています。イラストは雁が群れで、飛ぶ姿がデザインされていました。
特急<はつかり>583系 上野駅にて 1982年5月1日デジアナ様撮影
その後、はつかりは青函トンネル開通により、一部の列車が、函館まで進出、近年、車両では、リニューアル車の485系3000番台やスーパーはつかりのE751系が登場し、発展して来ましたが、2002年12月の東北新幹線、八戸開業により、八戸以北の連絡特急の愛称が 白鳥 に決定したことから残念ながら廃止となります。特急列車としては、絶滅危惧種の雁より早く、絶滅する事になりました。
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