1980(昭和55)年3月6日 |
H社の入社内定の取消し(卒延決定の為)をしてもらう為
H社訪問 そのため午前中の出発を見合わせる。
友人2人は、すでに旅立っている。
広島13:10のひかり3号に乗り込み出発!
(ひかり3号 自由席特急料金 2,300円)
小倉到着は14:22 ここから俺「まんきち」の旅のハジマリ!
はじまり~ぃ!九州内の普通列車に初めて乗車 折尾まで
進む。この列車内で俺の今回の旅の目的が決まった。
列車内の広告を見てたら 『いい旅チャレンジ20,000km』 の広告発見!
「これじゃ!わしは全線乗り潰す」
まず折尾から若松まで行き すぐに折り返し香月へ
時刻表 には若松発吉塚行きと書かれていたのだが、
後ろ2両は中間より香月行きとなった。
香月線(中間-香月)踏破!
折り返し中間に戻り桂川に行く。18:12あたりはもう暗い。
暗い中 原田まで行く。筑豊本線(若松-飯塚-原田)踏破!
原田から友人2人の待つ小倉へと向かうことにする。
しかし!途中南福岡・竹下間で事故があったらしく緊急停車
「おい!おい!まにあわんで!」
40分遅れで博多着 すぐに乗り換え
友人2人の待つ小倉へ 急ぐ。
小倉22:15頃到着 K君お出迎え
「O君は?」「おらん!」「何で?」「けんかした。」「・・・・・。」
「急行日南9号に乗ると言ってあるから何処からか
乗ってくる かも・・・。」
22:47急行日南9号西鹿児島行き発車!
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いい旅チャレンジ20,000km
国鉄時代乗客離れを阻止するべく生まれたキャンペーン。
当時、宮脇俊三著の
時刻表20,000kmがヒットしたことにあやかったキャンペーンであるとも言える。
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